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- 寒い
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2016.11.28 Monday
▼親から頼まれていた年賀状印刷。ここのところ毎年まったくミスなく印刷していた。今年はプリンタを買い換えて印刷スピードも速くなり快適。調子に乗っていた。連続印刷を指定してトイレから戻ったところ、50枚の印刷ミスのハガキが出来上がっていた。とても初歩的なミスでハガキを逆にセットしていたのだ。宛名面は問題ないが、裏面が逆さまに印刷されている。
また宛名面から刷り直しである。刷り直しも面倒だが郵便局に行って交換してもらうのが面倒くさいのだった。だいたいですよ、年賀状というのは、ふだん連絡を取れない人々が「元気でやっていますか」という近況確認をする意味があったわけではないか。現代は電話もあればFAXもある。メールだってSNSだってある。年賀状、必要ありますかね。ない。
などと言い訳して気づいたが、受験生のときに「イチゴパンツ(1582年)で討ち死に 本能寺の変」などを憶えて「年号ってそもそも社会に出て必要あるー?ないよねえ?絶対ない」と三日に一度ぐらい日本の受験システムに不満をぶつけていたわけである。まったく進歩してない。わたしにはそういうところがある。いつかはまともな人間になりたい。もう手遅れなのだろうか。
▼ピカソについての話を聞く。ピカソは食事や日用品の購入にも小切手を使っていたという。小切手というのは受け取った相手が銀行に持ち込むと現金化できます。ピカソは生きているうちに作品が売れたので知名度があった。彼の小切手を受け取った相手は、ピカソのサインが入っているから持っておけばもっと価値が出るかもと現金化しなかったり、小切手を額に入れて部屋に飾っておくこともあったらしい。銀行に持ち込まれなければ、ピカソの口座から現金が減ることはない。こうしてピカソはお金を払わずに買い物ができることがあった。
一見せこいようだけど、誰も嫌な気分にならずに金を儲けている。何か重要なヒントをもらったような、そんなでもないような、どっちやねんという話ですけども。
▼寒いので心が温まるような話を。
映画を観てあれやこれやいうだけの活動。映画部の集まりがあった。他の人たちが買い出しに行っている間、ほとんどしゃべったことのないS君とわたしのみが残された。気まずい。同棲してもう長いというS君の彼女の話を聞く。二人の間では、食事を作るときはメニューを提案したほうが作らねばならないというルールがある。でも、食べたい物があっても作るのが面倒くさいときがある。そんなときS君の彼女は、たとえばそれがカレーなら、カレーの箱を持ってくる。言い出したら作らないといけないので、無言でカレーの箱を持ったまま、S君の周りで踊ったり、寝転がったりするという。
「その様子がものすごくかわいいんですよ〜」ってオイ、なんだこの話、聞かなきゃダメか。
スマホに撮りためたいろんな写真を見せてもらう。彼女の写真や、彼女のご両親、実家の写真はまだいい。
「これね、彼女の実家の隣の家の犬小屋」
もはや犬ですらないという。それよく人に見せる気になったなあ。さらに、このあと20分ほどのろけ話を聞かされた。前世、わたしがどこかの国の専制君主で、しばしば罪のない人間を面白拷問で殺したりしたのかもしれない。これはそのときの報いではないか。
買い出しに行った人たちが戻ってきてようやく解放された。隣席のTさんが小声で「彼女の話聞きました?」と訊く。うなづくと、「あの話を毎回されるのが嫌でみんな逃げてるんですよ〜」という。なら、なぜわたしだけを置き去りにしますか。
「Sさんて彼女と別れてもう5年ぐらい経ってるのに」というTさんの言葉に驚いた。そういえば、彼が見せてくれた写真は最初のうちこそ彼女や彼女の両親が写っていたが、途中から人はあまり写らなくなった。彼女の実家や会社もみょうに遠くから撮っているような不自然な角度のものが多かった。そのことに気づき少しだけ寒気がした。
どうでしょうか、温かい気持ちになっていただけましたでしょうか。
- 雪の日の美しい人
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2016.11.24 Thursday
▼雪が降る。都心では11月としては54年ぶりに初雪を観測(NHK NEWS WEB)。雪を手の中で強く握って、透明の氷の玉を作る。雪が降ったら必ずやってしまう遊び。今年もやった。つめたひ。
雪というと友人Mの話を思い出す。小学校3,4年ぐらいの頃、友人Mは頻繁にデパートに通っていたという。デパートで買い物をするわけではない。デパートの外壁や床に化石が入っていることがあり、それを見つけるのが楽しみだったという。雪が降りしきる2月、学校から帰ったMはまたデパートに出掛けて化石を探していた。デパートの外壁に埋まっているアンモナイトの化石に見入っていたところ、不意に傘を差しかけられた。
「何見てるの?」
デパートの制服を着たきれいな人だったという。雪の中、小学生が熱心にデパートの壁を見ているので少し心配になったのかもしれない。Mは突然のことに驚いて、口ごもりながら壁に埋まっているアンモナイトのことを説明した。Mの指先にあるアンモナイトを見つめる女性の横顔に感動したという。なんて美しいんだと、息を吞んだ。思い返すとMの初恋はそのときだったらしい。思い出で美化されているにせよ、彼はいまだにあれほど美しいものを見たことはないという。それからはそのデパートに行くこともなく、化石への興味もいつの間にか失せてしまったという。
ちょっと聞くと何やらいい話のようだが、それから10年余りたち、彼がアルバイトした金でデパートガールもののアダルトビデオを狂ったように買いまくるのだが、その話は聞きたくなかった。Mは、なぜいい話を台無しにしてしまうのか。思い出は美しいままに。
▼老年の価値(ヘルマン・ヘッセ)
小説家ヘルマン・ヘッセのエッセイ、詩、写真など。ヘルマン・ヘッセは老いを自然に受け入れている。逆らうわけでも、あきらめるわけでも、楽観的でもない。わたしたちの隣にあるものとして感じているようなのだ。こういう心境にいつかたどり着けるのだろうか。自然の美しさを紙に写し取ったような言葉の数々、老いて希望を失わない姿勢に何か救われるものを感じる。老いた人が楽しいのであれば、自分にも希望が持てるような。そういった先人を見つけて安心してしまうのはちょっとずるいような気もするのだけど。老い先の楽しみは自分で見つけなければならないというのはわかっているが、それでもずるをしたくなるもの。ヘルマン・ヘッセはそれにちょっとだけ手を貸してくれる。
「老年は青年に劣るものではありません。老子は釈迦に劣るものではありません。青は赤より悪くありません。老年が青春を演じようとするときにのみ、老年は卑しいものとなるのです」
「この世を去ってしまった人たちは、私たちが生きているあいだ、私たちに生前影響を与えた本質的なものをもって、私たちとともに生き続けています。それどころか多くの場合、私たちは生きている人びとよりも、死者との方がずっとよく話をしたり、相談したり、助言を得たりすることができます」
この二つ目の文、これは死者だけでなく、遠く離れた友人や恩師などについてもいえるかもしれない。何か問題が持ち上がったとき、その人だったらどう考えるだろうと思うことがある。その人がいいそうな答えがパッと頭に浮かぶことがある。答えだけが浮かんで、なぜその答えに至ったかの道筋はわからない。だが、その答えは確かに正しいように思えるのだ。答えまでの道筋を考えて、わかるときもあればわからないこともある。
そんな答えはおまえの頭の中の話で、それは想像にすぎないだろうといわれればそうなのだ。でも、確信をもった正しさで心に訴えかけてくるのだ。
- いい医者
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2016.11.17 Thursday
▼会長の句会の雑用のお手伝い。お年寄りが集まる場でよく話題になるのが「いい医者が少ない」ということである。若い人はあんまりこういうことはいわないが、そもそも医者にお世話になる機会が少ないのだろう。なにせ年寄りはみなよく医者に通う。通うどころかハシゴしている。医者から医者への生活だ。仕事に通うがごとく医者に通う。
話をよく聞いてみると、いい医者には共通点がある。治るか治らないかではないのだ。足腰の痛みなどはすっきり治ることは少なくて加齢からくる慢性的なものが多い。とすると、医者に行っても痛み止めをもらったりマッサージをしてもらうぐらいしかない。お年寄りの話を聞いて思うのは、共感してほしいということである。「痛いんでしょうねえ」とか「大変ですねえ」と同情してほしい。
医者のほうは一人の患者に多くの時間を割けないし、なるべく多く患者を診たい。症状だって前に来た時と同じわけだし。そうなると、どうしたって前と同じ処置になるだろう。医者からすれば、同じ話なんかいちいち聞いてられないというのはもっともなのだけど、患者はどこの医者にかかっても劇的に改善することはないのだから、話を聞いてくれて多少なりともすっきりした気分で帰れるのがいい医者ということになる。そもそも治らないのだ。
医者がお年寄りに共感できないのは時間的余裕がないこともそうだけど、痛みが理解できないからだろう。歳をとらなければ足腰の痛みは知識としてしかわからない。自分の身に起きないと実感がない。どうすればいいのだろう。痛いところがある患者同士、傷を舐めあう場みたいのがあればいいのかなあ。言い方。気をつけて。
この句会とかカルチャースクールというのも一助にはなるのかもしれない。ストレス解消の場になっている。なにせみな医者の悪口がすごい。医者についてだけではなく、全体的に悪口がすごい。とまらない。歳をとっても人格的に完成するということはまったくないのだなあと感心する。むしろ暴走する。リミッターが外れる感じがある。わたしなどは警察も怖いし社会の目も怖い。ちゃんと発言に気をつけてルールを守って暮らしている。そこへ行くとお年寄りは、棺桶を改造してロケットエンジンを積んでくるところがある。いつ死んでもいいという命知らずとは勝負にならない。
▼そういえば先日、NHKで万歩計で歩いた歩数によってポイントがもらえるポイントシステムを紹介していた。健康になってポイントももらえるいい仕組み。スマホでもできそうですし。ポイントカードなどもいるから初期投資はかかりそうだけど、健康になって医者にかかる回数が減れば自治体の医療費は減るかもしれない。わたしがいた会社も行政に売り込めばよかったのだなあ。まだ間に合うかもしれん。
▼攻殻機動隊実写版のトレーラーが公開されました。
押井守監督の劇場版が基になっているのでしょうか。アニメの実写化というとこれまで数々の煮え湯を飲まされてきたが今回はどうか。主演はスカーレット・ヨハンソンです。トレーラーを見る限り、かなり期待できそうなんですよねえ。期待していいのかなあ。煮え湯を飲まされる準備はできている。
▼上馬キリスト教会のツイッターをよく見ています。
#Twitter始めた理由
— 上馬キリスト教会 (@kamiumach) 2016年10月16日
楽して伝道豊富な宗教知識と適度な不謹慎さのバランス。神をも恐れぬ神様いじりの姿勢がすばらしい。
▼GYAO!をのぞいたらSF映画の名作「第9地区」がやっている。明日までですけども。エビちゃんを応援したい。
- 人目
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2016.11.15 Tuesday
▼打ち合わせ。50歳を超えている方から、アイドルの魅力について熱く語られる。50歳を超えてアイドルを追い続けるという心境はどういうものなのだろう。中高生だったら、あわよくば付き合いたいとか、そんな夢のような妄想を抱いていても微笑ましい。50歳を超えていると、これは娘の成功を祈る親の視点で見ているのだろうか。勝手に娘て。それもなんだかという話ですけども。
アイドルの地位の低さや、楽曲自体の魅力を語られたが、どうも語れば語るほどというのを感じる。50歳を超えてアイドルを追いかけている自分に負い目を感じるからこそ説明過剰になるのだろうか。「好きだから」でいいのに。思えば、これはわたしにも通じる。アニメを観て感想を書くときに、どこか「偏見なくいいものはなんでも観ようと思っているんです」と匂わせるような。やかましいという。ただ「好きだから観てる」でいいのに。
何か重要なことを教えてもらった気がする。何かを好きというのは誰に言い訳する必要もない。でも、どこか人からよく見られたい想いがあって、うっかりするとそんな気持ちが出てしまう。どうしたらこの呪縛から抜け出せるのだろう。「好きだから観てる」というシンプルさすら「言い訳をしない人」として見てもらいたい感情があるのではないか。人目を気にせずに生きるにはどうしたらいいのだろう。
全裸で街中を徘徊するとか、まずは自分のできることからやっていきたい。でも冬だしなあ。
▼打ち合わせ後、喫茶店でN氏からアメリカ大統領選について語られる。語られてばかりの日である。わたしはそうだったが、みんなもそんなにアメリカ大統領に興味はなかったと思うのだけど急に語るなあ。
N氏の主張はともかくとして、ドナルド・トランプ氏のことをトランプではなくドナルドと呼ぶのがとても気になる。「ドナルドがいいたいことってさあ」などといわれると、おまえは知り合いなのかと思う。お笑い芸人のキングコング西野さんがウォルト・ディズニーをライバル視して「ウォルト、あいつはおもろい」などといっているのを思い出した。
細かいところまで計算されている。誰もがわかるディズニーではなくウォルトと呼んでみせる巧妙な釣り針の垂らし方。つい「知り合いか」といいたくなる。本人はとっくに亡くなっているから多少ひどいことをいっても傷つけないし、本気で怒る人もいない。「またおかしなことをいっている」と取り上げてもらえる絶妙なライン。運が良ければ炎上も狙える。頭のおかしい人のようでいて、本当におかしかったらこんなきわどいラインで踊れない。世間が自分に何を望んでいるかわかっている。見事なビジネスキチガイっぷりを感じる。
そこへいくとN氏は本物なのではないかと思えて怖くなる。最初はドナルドといっていたが、最終的には「ダニエルが」となり、間違いに気づかずダニエルが、ダニエルがと得意げにいい続けていた。うるさいのでアイアンクローをして黙らせた。おっさんがおっさんにアイアンクローをする11月中旬。
- バターの香りは
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2016.11.14 Monday
▼吉岡純子さん(現代俳句協会会員)という方のエッセイを読む。アメリカのニュージャージーに一軒家を借りて住んでいたことがあり、家の持ち主がその家を売却することになる。以降、買い手が頻繁に内見に訪れることになる。不動産屋から内見の連絡があるのは前日にあればよいほうで、ひどいときは到着10分前ということもあるらしい。病気だからと断っても「あなたは寝ていていいから気にしないで」と押しかけてしまうことも。さらに、誰も家にいないときでも、不動産屋が勝手にお客を連れてきて家の中を見せてしまう。これは州法で決められており違法ではないという。プライバシーを重んじるアメリカ人にしてはずいぶん意外に感じた。
だが、家はなかなか売れない。内見が頻繁に来るので著者がまいっていたところ、隣人から「お菓子を焼くとすぐ家が売れる」と聞く。試しにやってみたところ本当に売れたという。でも、エッセイではなぜ売れたかという理由は書かれてないんですね。どういう理由なのだろう。
家というのは結局、料理に対しての皿のようなものでしょうか。家は人が住むために存在する。家単体では用をなさない。家を買うからといって買い手が見ているのは家だけではない。無意識に現在住んでいる住人も観察している。そこで暮らしている人たちがどんな人たちなのか、幸せそうなのかを観ている。お菓子を焼くということは幸せの象徴のように映るのかもしれない。夫が銃を乱射し愛人を家に連れ込み、子供は覚醒剤中毒で家庭内暴力が絶えない。この状況でお菓子を焼くかといえば焼かないだろう。焼いたらどうかしている。ポリスを呼べ。
家族がうまくいっていて、さらに買い手にもお菓子を出してくれたりして「幸せそうな家族だな。いい人そうだな」という像に自分たちを投影してしまう。そこに住んだら自分たちにも明るい未来が待っていると思わせるのではないか。お菓子の甘い香りを幸せの香りと錯覚して、買い手は家を買ってしまうのかもしれない。錯覚て。意地悪な。
だけどやっぱり美味しいものが作られているというのは、とてもいい環境に思える。人は美味しいものを前にすると機嫌悪くできない。つい、ニヤニヤしてしまう。ニヤニヤ笑いながら「コノヤロー、ぶっとばすぞ」とはいえない。いえたらサイコパスっぽい。そういえば竹中直人さんが笑いながら怒る男というネタをやってましたね。なんの話だっけ。
- 騒がない
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2016.11.10 Thursday
▼一緒に仕事を請けているN氏の家へ。飼い猫のホームズは今日も泰然自若としていた。猫は「トランプ氏勝利!」などと大騒ぎしないから偉いと思う。号外も出さない。
▼アメリカ大統領選挙のニュースで大騒ぎしている。表現の違いこそあれ結局は、今後どうなるかよくわからないということをいっているに過ぎない。そもそも今までも、これからどうなるかわからなかったわけで、過去を振り返ってみても先が見通せた時代などなかった。透明度に若干の差はあって、先行きが不透明か、より不透明かぐらいの差はあるのだろうけど。情報の洪水である。出来事に対してなんらかの意見を持たねばならないという強迫観念のようなものを感じる。仕事に関係あるならともかく、関わらずに行きたい。
ただ少し気になったのは、トランプ氏に投票した人はバカみたいな論調である。トランプ氏の過激で差別的な意見はとても許容できるものではないにしろ、投票者をバカ呼ばわりするのは違うように思う。意見が異なる他者に対しての寛容さに欠ける主張が目立つようになった。顔や体型が異なるように、意見が違うのも当たり前というのは誰にでもわかりそうだけど。そんなことは百も承知だけど攻撃したいということなのかな。猫のように次のご飯のことだけを考えていたい。
▼radikoのタイムフリーサービスが始まってから、頻繁にラジオ放送を聴いている。今までは深夜ラジオを中心に聴いていたけれど、他の放送も聴くようになった。ただ、正直なところ深夜ラジオほど面白くないんですよねえ。なんだろう、グダグダ感がすごい。ただ、グダグダも行きつくとこまで行くとちょっと面白くもある。
大学生のアイドルがゲストに来て、最近観た映画の話をしていた。DJが「どんな俳優さんが出てるの?」と訊いても答えられない。映画の見どころもうまく説明できない。評論家じゃないのだから仕方ない。でも、すごく良くて号泣したといっているのでストーリーを訊くと「まだ半分しか観てない」という。
半分て。あんた、よくそれをラジオで話そうと思ったなという。友達と喫茶店で雑談してるんじゃないんだから。うーむ、このグダグダ感。斬新!
面白いというか、自分好みの番組を探そうと思った場合、あてになるのはリスナーのメールだと思う。リスナーのメールの質が高い番組はたいてい面白い。どうでもよいメールなら、つまりそういう番組なのかも。
- ナース
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2016.11.08 Tuesday
▼何年かぶりに風邪をひいてしまった。今年の風邪はのどにくるようです。
「バカは風邪ひかない」という言葉がある。バカというのは能天気だから、くよくよ悩むこともなく免疫力が高いという解釈もできそうである。なのに風邪をひいてしまった。バカである意味がない。今までなんのためにバカだったのか。無駄にバカではないか。無駄バカ‥‥。
傷ついている。
▼女子大生バイトのアタシちゃんからハロウィンの仮装写真を見せてもらう。大学の友人たちとナースのコスプレをしたという。ハロウィンて、詳しいことはわからないがオバケの仮装をするのではないか。ナースて。どゆこと。みんなミニスカートのかわいらしいナースに扮するなか、一人だけ長ズボンで体温計と回覧板のようなものを持ち、キリッとした眼鏡をかけているナースがいる。かわいさなど追求しないリアル志向のやつが混ざっている。友達になれそう。
ハロウィンの意味を考えず、ただの仮装大会になっているという批判もあるが、それはそれでいいような気もする。やっている人たちは楽しいのだろうし。ハロウィンのウィキペディアを見ると「秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的行事」という起源があるらしい。日本人は悪霊を信じていないわけで、信じていないからこそ悪霊を無視したナースのコスプレにたどり着ける。
ただ、現代人が本当に悪霊を信じて宗教的行事を行おうとすれば、それもまた嘘っぽい。もはや神も悪魔も信じてないわけだし。突きつめて考えれば、神事などを現代人が行うことは自分の心に嘘をついていることになりはしないか。信仰うんぬんではなく文化として定着しているから行ってよいとも考えられるが、それでも嘘は嘘である。
伝統を無視して独自のハロウィンを作り上げても、伝統を重視してハロウィンを行っても、もはや霊的なものへの信仰が欠如しているのだから意味はないような気がする。だとすればナースになろうが、ガンダムになろうが、自由ではないか。でも、こう、なんだろうね、モヤモヤ感がある。諸手をあげて賛成とはいえない何かが。
あれかなあ「トリック オア トリート」かなあ。お菓子をくれないといたずらするぞという、あれが気に入らないのかなあ。脅迫のようで、人の在り方として卑怯ではないか。お菓子が欲しいなら「お菓子をください」といえばいい。いたずらしたければ「いたずらするぞ」といえばいいだけなのに。条件をつけてくるのが納得がいかないのか。おまえが上から選択肢を提示してくるのはなぜだという。
うーん、ここまで一息に書いて読み返したが、ちょっとアレな人の日記ですよ。怖い怖い怖い。そんなわたしは今年、ナースではなく患者のコスプレをしました。血尿を出して尿路結石でのたうち回るという、救急車で搬送されるというわりとリアルなやつ。あ、これはコスプレではないのか。現実だった。お大事に。
▼ドラゴンズドグマオンライン
背中から漂う哀愁。寒々しいですね。家でもついにストーブやホットカーペットが登場しました。ホットカーペットには魔力が備わっており、何時間でも寝られるから怖い。あの上で映画を観ると最後まで観続ける自信がない。
さて、今まで従者を従えてソロプレイに専念してきたものの、ついに他のユーザーとパーティーを組んでクリアしなければならないミッションが。レベル58のエクストリームミッション地獄のなんちゃらかんちゃらである。ううう。もはや他人とパーティーを組むことが、わたしにとってはエクストリームミッションである。苦痛。おまえ、オンラインゲームやめろよという話ですが。
このクエスト無視したら、強い武器は作れないのだろうか。むむむ。
ドラゴンズドグマは共に冒険をするポーンという従者(NPC)をパーティーに加えられる。今まではポーン頼みでプレイしてきた。このポーンも主人公同様に育てられるので頼もしい。職業は現在9種類あり、転職すれば新しい職業はレベル1になる。弱い。本当は転職しなくてもよいのだけど、転職するとステータスを上昇させやすくなったりメリットがある。ソロプレイヤーにはポーンの育成は欠かせないのです。
今はポーンを転職させていろいろ育てている。ただ、転職してレベル1のままいろんなところを引きずり回すとまあ死ぬ。敵がわらわら出てくると救助するのを忘れてしまうことがある。死んでも霊界のようなところ(上の画像)に迎えに行くと、再び仲間になってくれるのだった。ポーンさんの立場からすると逃げ場がない。悪い主人に見込まれたものよ。ポーンさん虐待の秋である。レベルは63になった。
- 体力
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2016.11.03 Thursday
▼ハロウィンが盛り上がっていた。10月末にあるなんだかわからないフワッとしたイベントという印象だけど、ここ何年かは仮装をする人が増えた。時代に適合したのだろうなあ。画像を手軽に投稿できるSNSの普及という下地があってのことなのだろう。ひいてはスマホのおかげというか。ながらスマホとか、歩きスマホとか、当たり前に見かけるようになった。今日は、スマホをやりながらスマホをやるスマホスマホの人がいた。どうしたいんだ、それは。スマホ二刀流である。
近所ではロングコートの下に全裸の男が捕まった。遅すぎたハロウィンと言い張ればいいのに。変質者の仮装と言い張ればいいのに。駄目だと思います。
11月である。
▼ここ最近いろいろありましてねえ。それで思ったのは「健康って大事」ということである。当たり前だけど。あとね、暴力も駄目だし、戦争は絶対駄目!
そうです、ここがバカの日記です。ようこそ。などとふざけてみたものの健康は大事ですよ。人を心と体に分離して考えることがあるけれど、あれは間違いなのではないか。過労による自殺など悲しいニュースもありましたが、心が病むのではなくて体が病むのだと思う。心は体の中にあるもので、体が疲れてくると正常な判断ができなくなる。
「めんどくさい」というのが曲者で、疲労すればめんどくさくてどうでもよいという状態が起こりやすくなる。自殺をする人は、何か明確な理由があって重々考えたうえで死ぬと思っていた。それはたしかにそうなのだけれど、あまりに疲れ切っており、その状態でついフラッとということもありそうなんですよね。魔がさすというのも変だけど。
そうしてみると体を疲れさせない、誤った判断をしないように体を保つしかない。これは結局、体力なのではないか。体力をつけたいなあ。そんなことを考えながら、またドラゴンズドグマオンラインをやってしまった。レベルが高くなっても、持ち物を入れる場所がない。倉庫不足問題が解決しない。アイテムリストを作り、あまり使わない物、安い値段の物を売り払うことにした。リストが100以上あるので一苦労だった。体力はつかないがレベルはあがった。61である。