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命名
▼女子大生バイトの後輩ちゃんが犬を飼い始めた。「すごく悩んでて、家族でも意見が割れていて、名前が全然決まらないんですよ〜」と言うが、悩みがそれとは幸せだなオイ。

後輩ちゃんから、名前を考えてくれと付箋を渡された。犬はミニチュアダックスフンドのオスで、和風の名前が良いのだという。付箋に思いついたものを書き、雑談しているときに付箋は回収された。

「では、この中から最初に引いたものに決めようと思います」と、後輩ちゃんは一枚の付箋を開けた。だが、それをクシャッとつぶし、二枚目を開ける。一枚目はなんだったのだ。二枚目の付箋には「マカロン」と書かれていた。隣席のTさんが書いたものだった。女の子たちは「マカロンてかわいいよね!」などと盛り上がっている。後輩ちゃんは、お母さんに確認してきますと自分の席に戻っていった。しばらくして戻ってくると、お母さんもマカロンが気に入ったそうで正式に決定となった。お父さんはいいのだろうか。ねえ、お父さんは。

そして、後輩ちゃんが握りつぶした一枚目の付箋を開けてみると、わたしの字で「すし太郎」と書いてあった。すし太郎、ボツだったのか。ちょっと待ってください。すし=和風、太郎=オス、これのどこがいかんのか。マカロンなんてオスかメスかもわからない。しかも、和風でもない。断然、すし太郎が正しい。だが、わたしの主張は無視された。「人は自分の見たいものしか見ない」というユリウス・カエサルの言葉は正しかった。結局、かわいいが第一条件だったのか。

「マカロンの写真見ます?」と後輩ちゃんが写真を見せてくれる。「すし太郎かわいいなあ」と言うと目が冷たい。「マカロンかわいいなあ」と言い直すと「ですよねえ!」と次々に写真を見せてくれる。これでいいのだ。すし太郎が幸せならば、わたしはそれでいい。
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author:しゅん, category:日常, 14:08
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鳥獣戯画がコップのフチ子に
▼東急ハンズ池袋店のツイッターで、鳥獣戯画(コップのフチ子)が宣伝してありました。こ、これはたまらん。東急ハンズ池袋店7Fのカプセルガチャで1回300円で販売中だそうです。



無駄遣いをやめようやめようと思ってたのに。猫が特にかわいいぞ。定番のカエルも捨てがたい。





しかしですよ、ガチャで引くとなると確率は1/7。ということで、全7種セットを大人買いしてしまった。立派な大人は、きっとやらないであろう大人買い。だが、このときのために、わたしは働いてきたのだ。部長の靴を舐め、会長の杖で小突き回され、女子社員に雑巾のしぼり汁をコーヒーに淹れられても堪えてきた。それも、この日のため。

楽天で2000円で売っていたので買いました。わははは。届くの楽しみ。
 

PUTITTO 鳥獣戯画 全7種セット
価格:2000円(税込、送料別)

 

下のサイトで買ったのですが、500円クーポン(真ん中の青いバナー)を配ってましたので、送料500円がそのまま無料になって買えます。クーポン獲得後、会計画面で「クーポン使用」を選択すればOK。早くこないかなあ。

 
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author:しゅん, category:日常, 20:17
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地図
▼新装開店する店があり、サイトに載せるための地図を作ることになった。地図など作ったことはないが勘で作る。なんとかなるだろうよ。だってただの地図でしょ、怖がることはない。アライグマの洋服を作ってくれと言われたわけではない。謎のたとえ。他にも、ヒグマの入れ歯を作ってくれと言われたわけでもない、などがございます。謎の品ぞろえ。

完成したものをオーナーに確認してもらったところ、周辺の店に「さん」をつけるようにと言われる。今では常識らしい。いろんなサイトの地図をのぞいてみたら、たしかに「サンドラッグさん」とか「ウェルパークさん」などと「さん」がついている。しかし、店舗に「さん」て必要なのかなあ。周辺の店に本当に配慮しているというより、うちはこれだけ配慮できる店なんですというお客へのアピールを感じる。

わたしに「さん」をつけるように要望したオーナーは、ライバル店の真向いに出店したのだった。当然、地図上ではライバル店にも「さん」をつける。だが、つぶす気満々ではないか。真向いだぞ。笑顔なのに全力で殴りにくる人みたいで怖い。本当に「さん」は必要なのか。

「ぶち殺すぞ、ボケェ」と口汚く罵る人より「お命、頂戴いたします」という人から殺られたほうが嬉しいというのはある。嬉しいのか? そういうことか? よくわからない。



▼映画の感想を書くとき、作品情報を検索していたら出演者やスタッフのツイッターなどに行き当たることがある。わたしにはまったく面白くなかった作品でも、たいへんな愛情を持って作品を作ったのが伝わってきて、後ろめたさを感じることがある。べつに悪口書いてるわけでもないんだけど。感想や批評は、どんな偉そうなことが書いてあっても金魚のフンのようなもので、作品という金魚がいなければ発生しようがない。作品への敬意と感謝を忘れてはならない。そうは思うが、たいてい翌日にはケロッと忘れているところがある。ケロケロ。
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author:しゅん, category:日常, 12:23
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スーツ
▼ずいぶんと久しぶりにスーツを買った。ここ何年かで値段が上がったのかな。1着で5万円ぐらいかかってしまった。以前は2着で3万ちょっとじゃなかったっけ。まあ、もういい歳ですからね、30万ぐらいのスーツを買ってもいいのだろうけど。わたし、時給5億円だし。

いいかげん、いい歳してくだらないこと書くの虚しくなりませんか。なりません。

ということでねえ、スーツ屋が苦手なのが治らない。1対1の接客が窮屈なのかな。向いてないんだと思う。店の出口まで、何人かでお見送りしてくれるのも苦手だ。わたしに構わず、他の仕事をしてほしい。おまけと称して、ズボンやシャツをつけてくれるがそれも在庫整理にしか思えない。疑心暗鬼だ。だいたい、わたしなんてスーツを着るような立派な人間じゃないんですよ。打ち合わせのときだって、普段は貝殻か葉っぱしか身に着けない。完全に変質者だけど。貝殻と葉っぱの素材にこだわる変質者でありたい。違いのわかる変質者でありたい。


▼スポーツいろいろ。イチローが1試合で4安打。嬉しや。中日は、なぜか堂上直倫が活躍している。なぜかといっては失礼だけど。中日ファンとしては驚き。

相撲は白鵬が夏場所全勝優勝。白鵬はたまに立ち合いで変化をする。相撲は、反則ではないが暗黙のルールがいろいろあって難しい。横綱は突っ張り、変化などをすることは好ましくないとされている。白鵬が変わった技を使うと、ちょっと横綱としてはどうか、などと言われてしまう。先場所か、先々場所、猫だましを使って勝ったときも批判されていた。

他のスポーツでは上の者が下の者から制約を受けることがあまりないように思う。ゴルフ、テニス、ボクシングなどを観ても対等な条件で戦っている。なぜ、相撲だけ上の者が制約を受けなければならないのか不思議だ。相撲道とか国技とか神事とか言われても、よくわからない。相撲道という言葉も曖昧なもので、明文化されておらず相撲を観る人の頭の中にしかない。柔道も国技だけど、特に制約はないように思うのだ。相撲はそういうものだ、と言われればそうなんでしょうけども。しかし、古いものをすべて正しいとすれば、何も変えられなくなってしまう。

白鵬はなぜ批判にさらされても変化などを使い続けるのか興味がある。一度、本人に聞いてみればいいと思うんですよね。相撲を競技として見ていて、競技ならば競技者の条件を対等にすべきだと考えているのかもしれない。勝つことにベストを尽くすのであれば、白鵬のやり方はちっともおかしくない。変化を使えば、相手は突っ込みにくくなり戦術に幅が出る。白鵬は何を思うのだろう。先日の稀勢の里、日馬富士との二番はどちらも良かった。やはり正面から組み合った相撲は面白い。

相撲を観ていると、おまんじゅうを食べたくなる。力士の体がおまんじゅうをイメージさせるからだろうか。不思議なことに、おまんじゅうを食べているとき相撲がとりたくなることはない。なぜだ。和菓子屋の店先で相撲をとっている人を観たこともない。なぜだ。とっていたら狂人だと思います。いや、しかし、全然関係ないこと書くね。
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author:しゅん, category:日常, 00:31
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朝礼
▼夕方から偏頭痛。三か月に一度ぐらいの割合でなる。目の使いすぎが原因なのかしら。もはや何もできぬ。この症状を改善させるため、わたしにできることは何か。そうです、この日記を書くのをやめることだけ。



▼交渉術(佐藤優)

交渉術といっても、これを読んで交渉がうまくなることはない。そもそも交渉について取りあげた本ではなく、外務省、対ロシア外交、政治家評について書かれている。表題と内容が掛け離れているものの、面白いから良いと思います。ずるいなあ、もう。

政治家や官僚の生態について見事に書かれている。出世は官僚の職業的良心、政治家の動機は名誉か利権など、その行動原理を厳しく喝破する。だがそれだけではないようにも思える。元外務官僚である著者の根底には国を想う良心が垣間見える。杉原千畝氏の名誉回復問題について鈴木宗男氏を描いた部分も、鈴木氏の政治家としての信念を感じた。魑魅魍魎が蠢く伏魔殿のような政治の世界でも、それでもなお最後は赤心こそが人を動かすとすれば、なにか希望のようなものを感じる。

ちょっとトリビアのようなことを書けば、ハンガリーのブダペストには殺し屋がいて、安ければ5000ドル、最高でも30万ドルで殺しを請け負ってくれるとのこと。ほんとにいたんだー、殺し屋って。実のところ、この本を読んでもっとも驚いたのはそこだった。北方領土返還が失敗するまでに何があったかとか、いろんなこと書いてある本なのに。



▼偏頭痛で集中力が出ない。こんな日は、何か心温まる話が良いのではないか。

友人の勤める会社では朝礼があるという。司会の人は、周囲がざわついていると朝礼を始めない。静まったあとに「皆さんが静かになるまで2分かかりました」などと言うそうである。中学校のようだ。社会人がざわついているのも問題だが「今から朝礼を始めます」と言えば、静かになると思うのだけど。

中学時代、朝礼か何かで体育館に集まったとき、クラスがざわついていたことがある。先生は私語を注意せず、生徒が自主的に静かにするのを待っていた。普段は気の短い先生で「おい、おまえら、静かにしろ」などと言うのだがその日は違った。テレビの学園ドラマの影響でも受けたのか、はたまた職員会議で何か指導があったのか。「はい、皆さんが静かになるまで15分かかりました」と言った。

わたしは列の先頭におり、私語もせずに話が始まるのを待っていた。だが、気の短い先生が、いつもと違って似合わぬことを言ったので「ははっ」と笑い声をあげてしまった。その時だけはなぜか周りの私語が収まり、わたしの短い笑い声だけが響いた。次の瞬間、先生の豪快なビンタが飛んできた。むかついたのであろうよ。

いや、でもですね、生徒の自主性にゆだねて注意しないで待つという方針だったではないか。そこをいきなりビンタしたら元も子もないでしょうよ。わたしをビンタしたあと平然と「はい、静かになるまで15分かかりましたよ」と続けたが、今クラスが静かなのは、わたしをビンタしたからだからな。生徒の自主性ではない。そこを誤解するな。

先生はお元気だろうか。先生からは人の理不尽さを教えていただいた。先生のことを陰で「神様が、ゴリラにするところを間違えて体育教師にしたパターン」などと呼んでいたが本心ではない。神ゴリ様と呼んでいたが本心ではない。神ゴリ様、お元気でしょうか。わたしは偏頭痛で、こんな日記を書いています。
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author:しゅん, category:日常, 01:44
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管理人、機械のアナウンサー
▼プリンターを粗大ゴミとして出した。粗大ゴミは大きさに応じて料金がかかる。マンションの管理事務所で粗大ゴミシールを購入した。マンションの管理人のおじさんがねえ、本当に丁寧なんですよね。「大変お待たせしました」と恐縮した様子で応対される。ちっとも待ってなどいないし、わたしの顔面に粗大ゴミシールを貼るわけでもない。いい人だなあ。

昭和の頃の管理人は、もっと横柄だったのを憶えている。老眼なのか、顎を引いて上目遣いで「なんの用?」と不機嫌に訊かれたものだった。あれ? わたしはこの人に何かしたっけ? 残り少ない毛を面白半分に抜いたりしたのだろうか、抜いたかもしれない、などと思わせる無愛想さ。

それを考えると恐ろしい。何が恐ろしいって、わたしがもし管理人をやる場合、今やとんでもない丁寧さが求められるということですよ。居住者に「なんの用?」などと言った日には、即、管理会社に連絡が入るであろうよ。もっと普通の対応でいいんだけど。わたしに粗大ゴミシールを貼っていいんだけど。丁寧なサービスが増えて嬉しくもあるが、自分が逆の立場になったならと思うと怖さも感じる。



▼すべての男がSEX以外に考えていること(シェリダン・スモーヴ)

この本は中身が一秒で読めるので、是非リンク先で中身を確認してほしいです。わざわざこういう本を作るのが偉いなあ。バカですねえ。



▼不毛な打ち合わせだった。不毛を有毛に変える力はわたしにはなかった。というか、有毛って言葉あるのだろうか。ありました。オオアリクイやナマケモノは有毛目とのこと。なるほど。

休憩が入ったときに帰ってればなあ。そうすれば傷は浅かった。3時間も不毛な会議に費やすことはなかったのに。あれがなければ「まだベッキーを復帰させるのは早い!」ってテレビ局に電話しまくる時間もあったのに。それだけが心残りです。



▼「あと5年もすれば人間の仕事はどんどん機械にとられるよ」。知り合いのエンジニアがそう言ってから5年以上経った。正直なところ、まだそんなでもない。これからどんどんとられるのだろうか。

アナウンサーの仕事は、ソフトを改良すれば初音ミクのようなソフトで置換可能なのかもしれない。キャスターのように自分のコメントを言わず、あくまでニュース原稿を忠実に読むだけならという話ですが。その気になればできるのではないかと思う。ただ、そうしたときに人間が読むニュースと機械が読むニュースを視聴者が選ぶことになる。

実際の人間と見まごうほどのCGを作って、人間と見分けがつかなくなった場合、人間の読むニュースにどれぐらいの価値があるのだろうか。正確さだけを求めるのなら機械に軍配が上がる。ただ、言い間違えたり、噛んだりしたときにこそ、ちょっと人間味を感じるのも本当なのだ。しかし、それもランダムで間違いが発生するよう確率設定をすれば、間違いを作り出すことはできる。

まったく人と見分けがつかない機械のアナウンサーができたとしたら、それでもやはり人間のアナウンサーがいいとなるのかな。それとも予算の関係から、徐々に置き換わっていくのだろうか。置き換わるべきところは置き換わったほうがいいのかもしれない。何十人もの奴隷を鎖で繋いで船を漕がせたとして「やっぱり船は人間に漕がせるのが一番! 機械とは違うなあ」とはならないからである。

そこで奴隷とかなると、また話がずれるようですけど。

人とまったく見分けがつかない機械のアナウンサーが出たとき、視聴者はどちらを選択するのだろうか。画面の向こうにいる者が「人であること」にどれほどの意味が存在するのだろうか。
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author:しゅん, category:日常, 00:10
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一人称
▼日記を書くときには「わたし」という一人称を使っている。でも、わたしが「わたし」という一人称を会話の中で使うのは仕事のときだけだ。それも、あらたまった場のときだけで、普段は「僕」を使う。友人と話しているときは「俺」になる。でも、どれもしっくりこない。どこか自分とは遠い感じがする。

「わたし」というのは堅すぎるし、「僕」は幼くかわいい感じがする。「俺」はちょっと乱暴すぎるような。こう、ちょうどいい感じのものがないかね。友人Oは「オイラ」を使っている。「オイラ」なんて言うのはビートたけしか、不倫がばれる前の矢口真里ぐらいか。さすがの矢口真里も、叩かれてからも「オイラ」を使い続ける根性はなかったとみえる。矢口の話はどうでもいいか。いずれにしろ「オイラ」は癖がありすぎる。

「自分」というのは体育会系っぽいし、「小生」などというのも何か違う。「小生」という一人称を使う人間は、だいたい面倒くさいんだよ。もう、あれは本当にロクなもんじゃない。なにか「小生」を使っていた人間に恨みでも? あります。

さておき、一人称を使うとき、自分と若干ずれたものを感じていた。自分とのずれをなくすのなら、自分の名前を呼ぶという画期的な方法もある。だが、あの方法に堪えられるのは矢沢永吉やももち(嗣永桃子)などの特殊な人間に限られている。常人のハートではとても堪えられない。

自分で自分の名前を呼ぶのはやめにして、自分の本質に近いもので表現するのなら違和感を感じないのだろうか。わたしの本質とはなんだろう。四つん這いの姿勢で、背中に乗った女王様からムチで打たれ「この豚野郎!」と罵られたときに感じたあのときめき。あれこそがわたしの本質なのではないか。豚野郎は、そのように感じました。以後、これでいこう。
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author:しゅん, category:日常, 22:47
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会わなくても
▼ゴールデンウィークは何年かぶりに懐かしい友人たちと会った。べつに会わなくてもいいかと逃げていたら、わたしの予定に合わせるからと言われてしまい、逃げられなくなってしまった。今回のことでふと思ったが、わたしはやっぱりひどい人間なのではないかしら。

正直なことを言えば、もうだいぶ前から友人たちと趣味や興味がすれ違っていて、だったらべつに幼馴染だからといって会わなくていいのではないかと思っていた。お互いが元気でやっていれば、それはそれでいいんじゃないかという。幼馴染全員と会わないわけじゃなくて、友人Nとは関係が継続していて、彼とはひと月に何回か話している。話しすぎかもしれない。

久しぶりにみんなと会って、1時間もすると学生時代の感覚に戻る。ああこうやってダラダラ話していたなと当時が懐かしくなった。だけど、当時のようにはいかないのだと思う。もうみんな考えている方向がかなり違ってきている。それについて残念に思ったところもあったけど、その違いというのは成長分なのだろう。ずっと学生時代と同じようにピッタリ合うのであれば、それこそ何も成長していないということにならないか。もっとそこは肯定的に捉えていいと思う。

川をカヌーで下るようなもので、たまたま同じ流れに乗ったら仲良く下ればよいし、支流に興味があって「ちょっとあっちに行ってみる」となれば、それもまた気ままでよい。今付き合いがある人たちと付き合っていければいい。そう考えると、やはりもう会わなくていいんじゃないかしらと思うのだけど。そんなことを隣席のTさんに言ってみれば「将来、絶対孤独死するタイプですよ」と言われた。やめろ、そういう呪いをかけるようなことを。

あと、カヌーには乗ったことがない。これからもやったことのないカヌーたとえを自信満々で出していく。十勝川の激しい流れを乗りこなした後の心地良い疲労感、などと書いていく。
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author:しゅん, category:日常, 14:14
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連休
▼ゴールデンウィーク。いまだかつてゴールデンだったことはないが、今年は何色でしょうか。

仕事を請けている会社へ。電話が掛かってこないというだけで仕事場はずいぶん快適になる。ずっとゴールデンウィークだったら良いのに。知人のフェイスブックをこっそり覗いて、その生活ぶりが充実しているのを確認して妬むのが趣味である卑屈くんが来ていた。彼は、やたらとわたしにゴールデンウィークの予定を聞いてくる。暇なのは自分だけではないと安心したいのだろう。「全部予定が入っている」と答えると、卑屈君は顔を苦しそうにゆがめた。そんなに傷つかなくても。なにやら心苦しい。のび太に「未来へ帰る」と告げたときのドラえもんの気持ちって、こんな感じかしら。違うと思います。

「本当は全部空いてる」そう答えると、パァっと卑屈君の顔に光が射した。いい笑顔するなあ。どこまでもゆがんでおるね、君は。「そうだと思ったんですよ。しゅんさん(わたしのこと)だけは裏切らないと思いました」なんだ、裏切るって。

そのあと卑屈君から、会社近くのものすごくかっこいいデザイナーズマンションの外壁に「うんこ」と落書きがあった話を聞く。執拗に見に行くことを勧められたので見に行く。確かにこれは見事な。今年のゴールデンィークの収穫はこれだけか。


▼仕事に目途がついたので帰り支度をしていると営業のSさんがやってきて着替えていた。これから取引先のパーティーに行くので、よかったら一緒にどうかと誘われる。やっぱり営業は華やかだな。ドレスコードがあって、服装のどこか一カ所に赤を入れていかないといけないらしい。なにそのお洒落なやつ。芸能人のような。みんな、わたしが知らないところでそんなお洒落なパーティーをやっているのか。恐ろし。

しかし、突然言われても赤なんて持ってない。Sさんは「バラか何か挿していけばいいんじゃないですか」と言う。バ、バ、バラ? 貴族か。さっきまで「うんこ」という落書きがあるマンションを見に行ってましたけど。そんな人間でも大丈夫か。なんだか大変そうなのでやめておいた。


▼「パワー・ゲーム」という映画を観ました。経済格差などの社会問題が犯行動機の基になっているサスペンスです。モラルなき大企業や富裕層が描かれてますが、実はよく見ると貧困層にもモラルがないように思えたのでした。

ちょっと前に、不倫した芸能人がSNSで叩かれるというのがありましたが、あれも同じような構造なのだろうか。叩かれる側と叩く側の人間の価値観は実はよく似ていて、自分も同じ立場にあれば不倫をしたい。でも、お金がないのか容姿が今一つなのか、そんなことはできない。わたしはできないのになぜあいつだけおいしい思いを、その憎悪が攻撃に向くのだろうか。社会的に報われない立場にあるということもあるのかもしれない。

批難する者が特別高い倫理観を持っているようには思えない。自分が報われない位置にいることについて、何か正当な理由を見つけなければならない。まして、その理由が能力やお金の無さということは受け入れがたい。無意識にそこから目を逸らし、自分はこんなに清く正しい生活を送っているのになぜあいつだけという武装をするように思える。自己のプライドを保つために清貧にならざるを得ないのではないか。本当に清く正しい人は、他人を誹謗中傷することはない。

まあでも、こんな書き方をすると、金があって機会があればみんな不倫するのかといえば、もちろんそんなことはない。
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author:しゅん, category:日常, 02:20
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