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- 灯台
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2015.12.29 Tuesday▼小津安二郎監督の「浮草」を観た。「浮草」とは、ある田舎町を訪れた旅回りの一座の話。感想については「映画の感想」に書いたものの、ちょっと気になったことがある。冒頭、田舎町の灯台が映し出される。
白い灯台を異なる距離と方向から撮っている。なんでこんなことをしたのだろう。灯台を4つの方向から撮ることで、何を表現しているのか。
小津映画を観て思うのは、人を「善人」や「悪人」と簡単に区別することはできないということである。人はコインの裏表を同時に見ることができない。ある人から見たら表、ある人から見たら裏が見えていたとしても、それはどちらも本当である。人も同じで、同じ人が、ある人にとっては善人、ある人にとっては悪人に映ることがあるかもしれない。
善悪は絶対的なものではなく、一時的状態を表し、それは観察者から観た主観によってしか語られないんじゃないかしら。灯台をさまざまな位置から見れば、それはその角度と距離の分だけ、他とは異なって見える。主人公の駒十郎は、さまざまな面を持っている。息子から見たときの「面白いおじさん」。スミ子から見た「浮気性で、一座をなんとか支える男」。お芳から見た「金を送り続ける義理堅い男」などなど。どれも本当で、どれも違うともいえる。それは、駒十郎と接している当事者にとっての本当でしかない。
これは駒十郎に限らず、人そのものに言えるのだろうけれど。それを小津は冒頭の切り替わる灯台の絵だけで表現したのではないか。恐るべし小津! それとも「灯台をいろんな角度から撮ったんだけど、これ面白くない?」というだけかもしれない。こっちが正解のような気もする。じゃあ、この文章はなんなのだ。どうしてくれるんだ。
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- マンネリ
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2015.12.22 Tuesday
▼今日も今日とてアメリカの脱獄ドラマ「プリズン・ブレイク」のシーズン2を観る。シーズン1の段階でプリズンはブレイクしたわけであって、2は普通に逃げておる。
アメリカや韓国ドラマの長所とも短所ともなる点ですが、評判がいいと無理矢理続けていく。長くなることで、シーズン1で描けなかったことがやれるというのもあるけど、やはりマンネリ化は避けられずにズブズブの展開になることも。
緻密だったシナリオは綻びを見せ、行き当たりばったりの展開も増える。だけど、長時間観ているからキャラへの愛着は増してくる。囚人たちが登場人物なので、基本的に悪い人しかいないのだけど、バッグウェル、アブルッチ、ケラーマンなどのキャラは、知り合いを観ているような感覚になる。全員殺人犯ですけども。
キャラはシナリオの都合の他に、人気がないので消えることがある。オーディション番組みたい。毎週毎週、何か課題をやらせて不合格者を出していくシステムに近い。「あー、あの人、やっぱり消えたかー」と思うことも多い。
ゾンビドラマの「ウォーキング・デッド」などはシーズン6に入っていますが、シーズン1から生き残っている人はちょっと風格がある。シナリオの都合で、魅力的な役にあたったから俳優が輝くというだけでなく、俳優が役を成長させていると感じることも多い。そうやって出番が増えていくような。頼りなかったグレンやキャロルはずいぶんとたくましくなって、もはや別人の感すらある。成長を感じる楽しさもマンネリ化打破の一つなのだろう。
物語が長くなると、脱獄慣れ、ゾンビ慣れし、どういう驚かせ方をするかもだいたいわかってしまう。どうがんばってもドラマはシーズン2か3が限界なのかもしれない。
プリズン・ブレイクもだいぶ展開に慣れてしまったが、それでもシーズン4まで観ていきたい。わたしは食料雑貨店を拳銃で二度襲ったフェルナンド・スクレを応援している。いやあ、これだけの悪人に囲まれますと、ただの武装強盗(殺人はしてない)というのは天使に見えるなあ!
感覚が変になっている。
左は主人公のマイケル、右がフェルナンド・スクレです。恋人にあげる指輪ほしさに強盗する男、恋人のために脱獄を企てる男。「わたしー、恋愛体質でー」というOLの方は是非見習っていただきたい。真の恋愛体質とは、やつのことよ。頭がおかしい。
Amazonプライムで観られます。お試し期間(30日間)中は無料。年末お時間ある人はいかがでしょうか。
▼「世界最高のクレーマー目指す」 建造物侵入でつくばの男逮捕(livedoor NEWS)
「茨城県で16日、通院していた歯科医院に侵入したとして45歳男が逮捕された。男は以前よりクレームの電話を執拗にかけ、医院に押しかけるようにもなった。『俺は世界最高のクレーマーを目指している』などと話していたという」
こういうニュースを見ると、子供が「将来、Youtuberになりたい!」などと言っても笑顔で許せるのではないか。もう満面の笑顔で許すね、わたしは。子供がいないのは置いとくとして。
以前、変なニュースを集めたサイトを作ってましたが、またやりたくなってくる。趣味として密かに始めようかしら。JUGEMテーマ:日記・一般
- 留守番
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2015.12.20 Sunday▼一緒に仕事を請けているN氏の家へ。N氏が実家に帰らなければならない用事があるとかで、飼い猫ホームズの世話を頼まれる。「おまえしか頼める奴がいない。他にヒマそうな奴がいないんだ」という正直な言葉。正直は美徳というがあれは嘘だね。もっと嘘をついてほしい。
名探偵ホームズは痩せているイメージだが、飼い猫のホームズは丸々太った三毛猫で、どうもホームズっぽくない。名推理をしそうもない。食べては寝、食べては寝、も、もしや、おまえ、名探偵ではなく、ただのデブ猫では?
そんなホームズはわたしを警戒するでもなく、ただひたすら寝ている。ご飯の時間になると、わたしのほうにやってきて「ナァ〜」と鳴く。わたしを珍しがる様子もない。主人がいないのを訝ったり、さみしがったりすることもない。ホームズにしてみれば「餌をくれるおっさんが、いつの間にか別のおっさんになった」という程度かもしれない。
N氏から様子を確認する電話がある。「ホームズさみしがってない? うるさく鳴いたりしてない?」と何度も聞く。全然さみしそうじゃないし、むしろN氏がいないことに気づいてないかも、などと答えると傷つくような気もする。
「そういえば‥‥どことなくさみしがっているように見えないこともない‥‥」などと、お茶を濁した。「そうかあ! やっぱり俺がいないとさみしいんだなあ!」と喜んでいた。
嘘をついてしまった。
▼で、N氏の家でひたすらアメリカの脱獄ドラマ「プリズン・ブレイク」のDVDを観る。シーズン1は22話あるが、徹夜で観てしまった。N氏が帰るまでに観てしまおうとがんばったが、22話観ても、まったく話が決着しないという。そのままシーズン2に突入である。このままでは、わたしが死ぬ。
ちょっと話に無理があったりもするのだけど、それでも全体的によくできていて登場人物が魅力的。困難な状況を、単に運が良かったとかで解決するのではなく、一つ上の方法で知恵を絞って解決していく。これ、本当に脚本をよく考えましたねえ。
登場人物の大部分が囚人なのだけど、観ているうちに愛着が湧いてくる。看守のベリックも、囚人以上に極悪でたまりませんなあ。
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- 贅沢
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2015.12.13 Sunday
▼お世話になっている会社へ。12月10日、立川にオープンした巨大な商業施設「ららぽーと立川立飛」のことが話題になる。近所ということでもないが、わたしの家から行けないこともない。「でも、しゅんさん(わたしのこと)は、ああいうおしゃれな場所は関係ないですよねえ」と、半笑いで言われる。全身ブランドで固めているわたしに、なんたる暴言。今日のカバンの中だって、カルビー、森永、明治、ロッテだ。ブランドの申し子。
バカにされたので反抗するためだけにオープン初日に行った。まったく興味がないのに行った。服を中心に、雑貨、家具、食品、300店舗ぐらい入っているだろうか、朝の新宿駅を思わせるようなすさまじい人混み。焼きたてチーズタルトを買おうと思ったら40分待ちだというので断念。みんなよく並ぶこと。
興味はなかったのに、眺めていたら、それはそれで楽しい。全品50%オフなどという店もあって買いたくなってしまう。ついカバンを衝動買いしそうになってやめる。すてきな服や雑貨ばかりで、見ているときりがない。
韓非子に収録された象牙の箸という話がある。殷の国の受王が象牙の箸を作らせた。それを知った家臣の箕子(きし)はおおいに恐れた。なぜかといえば、箸が象牙で作られたとなると、土器の椀にあわず、必ず犀の角や玉器で飲食器が作られる。
そうなると豆の実や葉の羹(あつもの)などは食べず、うまい牛肉など美食を重ねるようになる。美食から、豪華な衣服、住まいと贅沢はとどまるところを知らぬだろう。箕子は受王の華侈(かし)が拡大していくことを予見した。
欲望に際限がないとすれば、どこで歯止めをかければいいのだろう。現代人は満ち足りているのに、無理に買っているような気さえする。え、そんなおおげさな話?帰りがけにセブンイレブンで100円ちょっとの「ミルクたっぷりとろりんシュー」を買う。んまーい!
溢れんばかりのクリーム、なんという贅沢。贅沢は体に悪い。これは月一にする。JUGEMテーマ:日記・一般
- 会長
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2015.12.09 Wednesday▼前にいた会社の会長のところへ。もう八十半ばを超えたと思うが矍鑠としている。会長と出会ったとき、すでに会長は老人だった。なので、老けたかどうかよくわからない。老人というのは、ある時点からずっと老人である。ただ眼光は鋭く、話していると試されているようで怖い。
ある会社の応接室でお会いした。テレビには、芸人のとにかく明るい安村さんが裸で映っていた。いつものように、全裸に見えるかっこうで「安心してください。穿いてますよ」とやっていた。それを観た会長は「なんだ、この男は!」と怒り出した。
会長にしてみると穿いていようがいまいが関係ない。裸でテレビに出ていること自体が許せない。以前、武井壮さんがタンクトップで出ていたときも「下着で出るとはなにごとだ!」と杖を振り回して怒り狂っていた。
わたしは安村さんを観ても、腹も立たなかったしなんとも思わなかった。だが、夜中ならともかく、裸の男が昼から堂々とテレビに出るということは実はおかしなことかもしれない。おかしいと感じないほうが、よっぽどおかしいということもある。同世代とばかり話しているとこういうことに気づけない。
会長は眉間にしわを寄せて「おまえ、あれ(安村さん)どう思う?」とわたしに訊ねる。ここで「なんとも思わない」と答えたら、杖でふくらはぎあたりを叩かれる。会長のことはよくわかっている。「社会の公器であるテレビでやるにはあまりに品がない。やるなら夜中にすればよい」と、会長が望んだ回答を出した。媚び媚びで生きてゆく。長い物に巻かれる人生。
自信満々でいたら、杖でふくらはぎをビシッと叩かれた。「おまえ、どう答えたら俺が喜ぶか、わかって言ってるだろう?」とにらまれた。「ははは。介護です、介護」と言ったら、また叩かれた。誰かこの暴走老人をとめてくれ。
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- ゾンビ
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2015.12.06 Sunday
▼友人Nと話す。最近またゲームに、はまっているらしい。ゾンビをひたすら撃ちまくって休日をつぶし、夕方になって後悔するという繰り返し。
ついに「このままではいけない」とコントローラーを置いた。だが、それは朝の5時という。元気がありあまる高校生でもさすがに朝5時まではなかなかできない。そして、また起きてゾンビを撃ち続けるらしい。反省のない人生を送っている。すばらしい。
「このままではいけない」とか、嘘だろ。コントローラーを握り締めたまま死んでほしい。
▼ゾンビと言えば、というのも変な書き出しだが、仕事を請けている先の部長も「ウォーキング・デッド」というゾンビが出てくるドラマを観ている。
先日、電車内でゾンビの話題になった。ゾンビの目の前に、有名シェフが作った料理と人間がいたら、やはりゾンビは人間のほうに行くのだろうか。ゾンビ化すると、味はどうでもいいのだろうか。ゾンビにとって重要なのは鮮度なのかもしれない。
じゃあ、脂身が多く入った柔らかそうな松坂牛の塊と、ゴリゴリでマッチョな軍人だとしたらどっちに行くか。これはねえ、難しいところですよ。松坂牛かなあ。でも軍人は生きてるし。だが、軍人は絶対に堅いしまずい、あと臭い。臭いに決まっている。それでも、柔らかさより鮮度ではないか。
という会話をしていたら、私立の制服を着た賢そうな小学生にゴミを見るような目で見られた。本当にお利口そうな坊っちゃんで。そりゃ、四十になろうかというおっさん同士が「どっち食べる? どっち食べる?」ってワーキャーしてたら気持ち悪い。
だが、聞きたまえ、坊っちゃん。だいたい四十近くなってもこんなもんですよ。三日に一度ゾンビの話をしてますよ。みんなそうなんだ。間違いない。
▼「生きざま死にざま」三國連太郎
俳優三國連太郎の自伝。父親が被差別部落出身であることが書かれており、実際に自分も差別を受けている。なぜ自分は差別されるのか。三國連太郎は、ただそれだけが知りたくて歴史を学びはじめたのかもしれない。「とにかくそうなっている」と仕方なくあきらめるのではなく、突き詰めてみないと気が済まない人なのだろう。そこから親鸞や法然への興味に繋がっていく。
三國連太郎太郎が第二次大戦に召集された際、一発の銃弾も撃たなかったという逸話も興味深い。もし国が自分にとってすばらしいものならば国のために死ぬというのもわかる。だが、国がなんの根拠もない差別を認め迫害する側にいるとしたら、そのような体制を守るために誰が命を投げ出すだろうか。一度、国が崩壊してしまえばいいと思っても当たり前だ。三國連太郎が戦争に行ったのは、もし自分が徴兵拒否をすれば妹が村八分にされるという理由だった。
「異母兄弟」で老人役に扮するため、歯を10本抜いた有名な逸話も収録されている。麻酔を使うと治りが遅くなるので、嫌がる歯医者を説得し麻酔なしで抜かせたという。恐ろしい話だが、でも戦争を経験しているということが大きいのかもしれない。自分は一度死んだものと考えていたのではないだろうか。
「釣りバカ日誌」の物分りがよくて心の広いスーさんとはかけ離れた三國連太郎の姿があった。
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- 夢の中
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2015.12.03 Thursday▼どうしても遅刻できない用事があり、ベッドの脇に目覚まし時計をセットして寝た。緊張したのか早く目が覚め、机の上の時計を確認するとまだ午前5時。もうちょっと寝られると再び眠り、また時計を確認すると5時15分。そんなことを4、5回繰り返しただろうか。
6時半に起きれば余裕なのに実際は7時に起きた。危ない。少し驚いたのは、目が覚めて時計を確認するという動作、あれ自体が夢だったということである。なぜ夢かといえば、いつもは机の上にある目覚まし時計を、ベルがよく聴こえるように今日だけはベッドの脇に移動しておいたのだ。だが、時計を確認して「まだ寝られる」と思っているとき、時計は机の上にあった。ものすごくリアルな夢だった。
「起きて時間を確認して寝る」という夢を見ている。学生時代も似たようなことがあった。起きてトイレに行ってご飯を食べて、途中でそれが夢だと気づく。今度は本当に起きなければと思い、起きてトイレに行ってご飯を食べて、また夢だと気づく。この繰り返しである。そのループから抜け出せない。そんなSFのようなことをやっていたから、朝はたいへんに疲れた。しかし、学生時代からちっとも進歩してない。重症化している。
▼糸井重里さんが「ほぼ日」というサイトで日記を書いている。そこに「写真を撮るとき自然に笑うには、いやらしいことを考えるのが良い」と書いてあった。たしかに、いやらしいことを考えると、自然ににやけることができる。発見だった。
写真だけでなく、ふだんもにこやかなほうがいいので、最近はいやらしいことばかり考えている。今まで、笑顔がすてきな人や、いつもにこやかな人を尊敬していた。なぜいつも笑っていられるのだろうと不思議だった。やつらがこんな卑猥な人間だったとは。まったくがっかりである。
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