RSS | ATOM | SEARCH
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:スポンサードリンク, category:-,
-, -, pookmark
引退、ゆるキャラのすすめ。(石井一久)
▼今年はたくさんの野球選手が引退する。中日からも山本昌、谷繁、和田、小笠原、朝倉などが辞めることになった。引退はしなくても、岩瀬は一度も登板せず、吉見はあまり投げられず、浅尾も今一つの成績だった。もはやわたしの好きだった中日の選手はあまりいない。

中日ドラゴンズという入れ物は残っても、中身はまったく別の物になっている。これ去年も書いたような。おじいちゃんですからね。

わたしが自分で組み立てたPCがあったとして、そのPCを山田一号と名づけたとする。山田一号は老朽化し、パーツを交換してだましだまし使っていくうちにすべてのパーツが入れ替わってしまった。まったく別物になってしまっても、山田一号は山田一号と言えるのだろうか。中日は中日と言えるのか。

この問題を「山田のパソコン」と名づけたい。でも、この手の話は古くからあって「テセウスの船」「ヘラクレイトスの川」「ジョン=ロックの靴下」などいろいろある。じゃあ、べつに山田のパソコンはいらんのじゃないか。ヤマダ電機で売ってるパソコンみたいだし。

やはり重要なのはアイデンティティということかしら。そのものをそのものたらしめているものは何かという。コーラの瓶にトマトジュースが入っていたら、それはやはりコーラではなくトマトジュースなのだし。なんの話でしたっけ。たとえすぎてわからなくなった。



▼野球選手の話といえば、元ヤクルトの石井一久投手の本「ゆるキャラのすすめ。」を読んだ。


表紙からしてもうやる気がない雰囲気で、ちょっと読む気もなくなってくるような。しかし、野球選手の本はとりあえず読むことに決めてある。

ふつうの野球本というのは、その選手の現役時代の名試合を振り返っていることが多い。なぜあの場面でそういう決断をしたとか、監督ならばなぜあの采配をしたかなどである。この本はそういうことはあまり書いてないんですね。

試合についても一応ちょろっと書いてありますが、もっと汎用性のある考え方、処世術のようなことが中心だった。一見、何を考えているかわかりにくい石井選手ですが、何も考えていないわけではなくて独自のルールに則って行動している。

1997年9月2日の横浜ベイスターズ戦。先発の石井投手は8回終了時までノーヒットノーランを継続していた。これは一本のヒットも打たれてないということで、投手にとっての大記録ですが、石井投手は8回終了時に野村監督に投手交代を申し出る。大記録がかかっているのに交代なんてとんでもないと野村監督から怒られてしまう。

これだけ聞くと、本当に何を考えているかわからないのですが、石井さんの本には理由が書いてある。前年に左肩を手術し、一試合100球ぐらいと医師から助言されていたとある。無理をしてノーヒットノーランをやり、その後肩の調子を悪くしてチームに迷惑をかけるより、ここで交代したほうがより長くチームに貢献できると考えたそうである。

読めば納得する話なのだ。面白いのは、こういう理屈を石井選手はまったく説明しない。説明しないでニヤニヤしている感じがある。そこが実に石井選手らしいというか。自分が一見奇妙な振る舞いをして、相手がどういう反応をするか測っているところがある。意地が悪いともいえるし、単に変な人かもしれんけど。なにかユーモラスでおかしみがある。

「ゆるキャラ」と評されるようですが、石井選手の考え方は一度は必ず常識を疑ってみる、確実な物の上に確実な物を積み重ねていくという考え方からできており、けしてゆるくはない。反対に、慎重で堅固という印象でした。読む前と読んだ後でこれだけ印象が変わる人は珍しかったです。意外かもしれませんが、森博嗣に似ている感じがある。興味深い本でした。
JUGEMテーマ:日記・一般 
         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:しゅん, category:日常, 12:16
comments(0), trackbacks(0), pookmark
アシュレイ・マディソン自己紹介bot

▼秋の五連休。シルバーウィークと言い出したのはいつからなのだろう。子供の頃には言われていなかった。ちょっとずついろんなことが変わっていく。

連休中は、久しぶりに友人Nと会った。Nは江戸川区に引っ越した。駅まで迎えに来てくれたNと、ぶらぶら歩く。「住み心地はどんな感じ?」「なかなかいいよ」とNは答えた。

と、わたしたちの右脇を自転車に乗ったおっちゃんが猛スピードで走り抜けていく。抜きざまに「どけコラ! ボケェ!」と叫んでいった。道幅は広く、6,7メートルもある。対向車も走っていないのに、わざわざわたしたちの横スレスレを走っていくのだ。

住み心地の良い江戸川区、みなさまも是非。名物は、怖いおっちゃんとカラスです。



▼ブログを読んで連絡を頂いた方と会う。ブログや日記はもう10年以上書いていると思うけど、こういうのは初めてですね。なんとなく気が向いたというのもある。

わたしが考えていたのは「とにかく変人と思われたくない」ということだった。余計なことや人の悪口は言わず、終始まともなことだけしか言わなかった。都内を散策し、道に迷うこともなく「次の交差点を右で目的地だと思います」みたいなことだけを言っていた気もする。わしゃ、カーナビか。まともで無難なことだけを言った結果、えらく盛り下げてしまったようで申し訳ない。もっと矢口真里の悪口を言っておけばよかった。

興味があることも、電子書籍の分野みたいなことを答えてしまった。興味があるのは本当だが、最近よく読んでいるのは電子書籍関連の本ではなくアシュレイ・マディソン自己紹介botである。恥ずかしくて言えなかった。

アシュレイ・マディソンとは「人生一度。不倫をしましょう」がキャッチコピーの既婚者向け出会い系サイトである。ちょっと前にアシュレイ・マディソンのサイトがハッキングを受け、個人情報が流出した。流出したプロフィールをまとめたツイッターがあり、それをたまに読んでいる。いろんな人がいる。
 

アシュレイ・マディソンの村上春樹。

 

えらい所で探す。

 

アピールになっているのか。

 

前半普通からの性癖カミングアウトに惚れる。

 

夜のワンピース的な。

 

なにか怖い。

 

たまにこういう頭を強打した村上春樹みたいなのを見ますが、流行ってんのかな。

 

・・・。

 

うまいことを。


 

尾崎放哉のような。

わたしもアシュレイ・マディソン登録者のように自分を出すようにしてみたい。以降、アシュレイと呼んでもらいたい。

         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:しゅん, category:日常, 00:45
comments(2), trackbacks(0), pookmark
説明
▼「説明」についての本を読んでいる。著者は理屈っぽい人で、「説明」とは何かを語る前に、まず「説明」を定義しなければならないとある。それはそうだ。そして、説明とは何かを定義するためには「定義とは何かを定義する必要がある」と書いてある。なかなか本題に入らない。この次は、定義するということはどういうことかを定義しそうである。本題に入るのはいつの日か。

前にいた会社の上司がこんな感じだった。いいかげんなわたしだが、なぜかこの上司とは馬が合った。



▼スーパーに買い物に行ったら、安保関連法案反対の運動をしていた。「安部はただちにやめろ」と気勢をあげて盛り上がっていた。もっとひどいことも言っていたが、とりあえず安部首相とか安部氏と言ったほうがよいのではないかしら。

過激になればなるほど組織内では盛り上がるが、外から見ていると少し怖く見える。危うさを感じるのだ。自分たちがどう見えているか客観性に欠けているように思う。過激な人が一部いると、全体もそう見えてしまう。

やはり弱者の側にいる認識があるから呼び捨てにするのだろうか。強者が呼び捨てにすると、それは権力による弾圧やいじめを意識させてしまう。が、弱者の側なら礼を失してもよいかといえばそうではあるまい。そういう基本的なところができていないところにも危うさ、弱者を盾にした傲慢さを感じる。

関西のおばちゃんは電車内などで子供が騒いでいると「本当に元気なお子さんで」と言うと聞いた。いっそ、それぐらい婉曲に言ってみたらどうか。「安部さんは本当に勇ましい法案をお作りになって」

わけがわからなくなる。



▼どうしたの急に時事の話して。バカが政治の話して。もうしない。ツナサンドと蒸しパンの話だけをするブログでありたい。

で、先日、お世話になっている会社に新しい女性が入った。まだ姿を見ていなかったが、隣席のOさんによると、すごくかわいい人らしい。実際に会ってみたら、そうでもなかった。これはよく言われてるが、女から見たかわいいと、男から見たかわいいはまったく別物のようだ。

新しく来た女性は、かわいいというよりかっこいいに近い。真矢みき、天海祐希などの宝塚男役路線である。これは凛々しいとか、さっぱりしているとか、ジャングルで一人で生きていけそうとか、そういう方向であって、かわいい方向ではない。なぜかわいいに分類してしまうのだろう。

車が一台あったとしてエンジニアに見せれば性能側からの評価、デザイナーに見せれば外観の評価が主になるだろう。人は自分が興味がある部分を重点にして考える、というか、そこからしか物を見られないのではないか。かわいいという人は、かわいさに重きを置いており、かっこいいという人はかっこよさに重きを置いているという。

なんだか当たり前のところにたどり着いてしまった。長々と書いて、当たり前のところに着地しますね、いつも。飛躍したい。
JUGEMテーマ:日記・一般 
         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:しゅん, category:日常, 15:13
comments(0), trackbacks(0), pookmark
失敗
▼「若い頃の失敗はいくらでも取り返しがつく」といいますが、あれは、若い頃の失敗ならまだかわいげもあるから許してもらえる、だからいろいろやって失敗してもよい、そんな意味にとってました。実はこれはもう一つ意味があるのではないか。

ちょっと前に一緒に仕事をしているK君が失敗をした。それは仕事をしているなら起こりうることだし、なんとも思わなかった。でも頭にこなかったのは、わたしが二十代前半に似たような失敗をしたからかもしれない。上司や同僚に助けてもらったことも多い。自分が失敗していると「そういうこともあるよなあ」と寛容な気持ちにもなれる。寛容さを持つためには、失敗した経験があったほうがいい。

普通の人間は自分の経験を通してしか物事を見られない。だからあまり失敗せずにきてしまうと、失敗した者に対して「自分は簡単にできたのに、こんなこともできないなんてどうしようもない」という、厳しさを持ってしまいそうである。そこへいくとダメな人間てのはいい。ダメであることの数少ないメリットは、自分と比べればたいていのことが許せるという点だろう。

で、問題がなんとか収まって一段落した後、失敗したK君が言った。

「まあ、若い頃の失敗はいくらでも取り返しがつくって言いますからね」

え、自分で言う? それ周りが言うやつじゃなくて? ちょっとー、誰か包丁買ってきてー。そんな気分になりました、初秋の午後。
JUGEMテーマ:日記・一般
         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:しゅん, category:日常, 21:13
comments(0), trackbacks(0), pookmark
お金を使う
▼プロジェクトが終わり、慰労でキャバクラに連れて行ってもらう。キャバクラは苦手だ。キャバクラに行くならバンジージャンプでもしているほうが気が楽だ。連れて行ってくれた営業の人の手をキャバクラ嬢が揉んでいた。「ゴツゴツしてる。働き者の手だね!」と言っていた。営業の人はデレデレしていた。

アニメ「風の谷のナウシカ」で、ナウシカが風の谷の老人の堅い手を「働き者のきれいな手」と評する場面があった。地球が腐海に包まれる前、ナウシカは中野のキャバクラで働いていた。時給2200円で働いていた。



▼お金持ちの人にご馳走になってしまった。ドラマで目にする「この店で一番高い酒持ってこい」とか「ここからここまで掛かってる洋服全部ちょうだい」みたいな人だった。いるのだな、そういう人。

昔、貧しかったのだろうか。お金持ちになって、お金への復讐を見ているようであまり気分の良いものではなかった。育ちが良い人というのは確かにいて、そういう人は物の価値がわかっている。物の価値がわかるということは自分にとってその物が必要かどうかわかることだと思う。

テレビで取り上げられる有名店に行くことができても、吉野家が好きだから吉野家に行くというような。高い安い以外の価値基準を自分の中に持っている。じゃあ、育ちの良い者がすばらしいかというと、そうはならない気もするのだ。育ちが良い者は、その環境を得るために親が十分なお金を使ってくれている。それは自分の力で稼いだわけでもない。一度、先祖が成金状態を通り越した結果、与えられた果実を貪っているだけとも言える。

人は、うっかりすると無粋なお金の使い方をしてしまうから難しい。だがうっかりしようにも金がない。うっかりしたい。誰かわたしにうっかりさせてくれないものか。
JUGEMテーマ:日記・一般 
         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:しゅん, category:日常, 21:08
comments(0), trackbacks(0), pookmark
サンドイッチ
▼ツナサンドばかり食べている間に9月になった。涼し。

サンドイッチといえば、ジャポニカ学習帳に書いてあったコラムを思い出す。ポーカーが好きなサンドイッチ伯爵がポーカーをやりながら片手で食べられる物を作らせたのが始まりだという有名な話。

小学生の頃、このコラムを読んだ友人の小林君が「だからサンドイッチ伯爵は偉い」と言っていた。だが、わたしは「別に偉くもなんともない」と言い、とっくみあいの喧嘩になるという。これはサンドイッチを作らせたという曖昧な記述にも原因があるように思う。

作るといっても「スライスしたパンに肉と野菜を挟み、片手で持てる大きさに」などと厳密な指示があったのかという話ですよ。「ポーカーやりながら食べられる物作ってよ」と料理人に頼んだとしたら、伯爵が発明者と言えるだろうか。発明者は料理人のほうだ。だいたい、ギャンブルがやりたいがためにサンドイッチを作らせる伯爵はどうなんだ。ただのギャンブル狂である。しかも、その料理に自分の名前を付けるという心臓の強さ。山田さんがサンドイッチを開発したとして「今日からこの料理を『山田』と呼ぼう」となるだろうか。まったくサンドイッチ伯爵にはあきれる。

小学生時代のわたしが以上のような理屈っぽい主張を展開するわけもなく、ただコラムを読んでなんだか偉そうにしている小林に腹が立ったという理由でとっくみあいになったのだと思う。よくそうどうでもいい理由で喧嘩しますね。彼とは高校時代に「大黒摩季はありかなしか」で再び対決することになる。そのときは、とっくみあいにならなかった。成長したなあ。険悪にはなったけど。

で、サンドイッチの歴史などを読んでいたら、実はこのサンドイッチ伯爵の話は現在では正しくないようなのだ。wikipediaの信頼性はあまり高くないが、そもそもパンに具を挟んで食べる食べ方は世界各所(古代ローマのオッフラ、インドのナン、中東のピタ、メキシコのタコスやブリート等)で古くから自然に発祥したとある。

サンドイッチ伯爵もギャンブル狂というより、海軍大臣としての仕事が多忙のためサンドイッチを作らせたとある。ああ、ギャンブル狂のほうが面白かったのに。しかしですよ、ギャンブル狂であると世間体が悪いから、海軍大臣説を子孫がでっち上げたということもあるのではないか。

そもそもサンドイッチ伯爵とサンドイッチがたいして関係がないとすると、小林君とわたしのとっくみあいはなんだったのか。小林君がこの話を聞いたとき、どんな気分になるだろう。

なんとも思わないと思います。
JUGEMテーマ:日記・一般 
         web拍手 by FC2 このエントリーをはてなブックマークに追加
author:しゅん, category:日常, 17:44
comments(0), trackbacks(0), pookmark
ラグナロクオンライン