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映画「Dear フランキー」
Dear フランキー
Dear Frankie / 2004年 / イギリス / 監督:ショーナ・オーバック / ドラマ

【あらすじ】
耳が聴こえない9歳の少年フランキー(ジャック・マケルホーン)は、母のリジー(エミリー・モーティマー)と祖母の三人暮らし。フランキーの唯一の楽しみは、世界中を航海している父親からの手紙だった。

【感想】
実はフランキーの父親は世界中を旅する船乗りではなくて、単なるろくでなしなのだ。母親のリジーは、フランキーにその事実を伝えることができない。父親と偽ってフランキーに手紙まで書いてしまう。え、そんなことすんの?と思うが、脚本が丁寧なのと母親役のエミリー・モーティマーの演技もいいので、母親が嘘の手紙を書き続ける心境というのもすんなりと受け入れられる。

ある日、父親が乗っているはずの船がイギリスに寄港することを知ったフランキーは、父親に会うことを望む。困ったリジーは偽物の父親を仕立てあげることにする。無茶をする人である。で、その代理父役がストレンジャー(ジェラルド・バトラー)。

無愛想で不器用な男なのだけど、フランキーと偽物の親子を演じている間に本当にフランキーのことがかわいくなってしまうという。ありがちな話である。ありがちに弱いわたしだ。泣く。

ジェラルド・バトラーというと、映画「300<スリーハンドレッド>」でスパルタ王を演じていた。さらに映画「ゲーマー」でも、ずいぶん暴れていた。人を殺しまくる映画にしか出ないのかと思っておった。だってこんな人だもの。話が通じなさそう。

それがこの「Dear フランキー」ではまったく違う。

この楽しそうな感じ。「キャッキャウフフ」ではないか。300で「This is Sparta!」と叫んでローマ軍を殺しまくったジェラルド・バトラーさんはもういない。更生したのです。

派手なアクション物だけかと思ったら、こういう地味な映画もできるとはすばらしい。疑似親子の関係から愛情が芽生えるという、本当にありがちな話ですが良かったなあ。変にひねった終わり方ではなく、先に希望がある終わり方なのも良い。

フランキーが好きなタツノオトシゴのエピソードも効果的。タツノオトシゴは、オスの育児嚢という腹部の袋に、メスが輪卵管を挿し込んで受精させる。オスは卵を育児嚢の中で育てる。父親の存在とタツノオトシゴがうまくかかっている。今ならGyaoで無料で観られるので、お時間ある方は是非是非。どなたにもお薦めできる作品です。

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author:しゅん, category:-, 01:03
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ホラー、ほどほど
▼映画が好きでたまに観るけど、ホラーやスプラッタ映画はあまり観ない。怖いからだ。なぜ時間とお金をつかってまで怖い物をと思う。あんな怖い物を好きな人がいる。不思議だ。

そもそもホラー好きな人は、モンスター・殺人鬼側の視点で観ているのだろうか。だから楽しいのかもしれない。イチャイチャしていて殺されるカップルというのは、もはやホラー映画のお約束だけど、あのときのわたしの視点は確かにモンスター側になっている。「やっておしまい!」という。

だけど、主人公が危ない目に遭うと「ひいい!」となってしまうのだから、被害者側への視点移動が起きているのだろうか。この視点の移動が起きず、たえずモンスター側に視点があるのがホラー好きなのかなあ。

などと思ったので、ホラーを借りて友人Nと観ることにした。実験である。わたしはホラーだけは一人で観ることにしていた。というのも、いい歳をして「ひええ!」と声が出たり、ビクッとするのは見苦しい。それこそモンスターにバッサリやられたほうがよろしいのでは、と思う。

映画が始まって残酷な場面があり、それでも驚いたり声を上げたりするのは恥ずかしいので、画面に焦点を合わせずボカす感じで、観ていないのに観ているフリをしていた。そこまでするなら、観なければいいではないかと思うでしょう。わたしもそう思いましたね。観なければ良かった。怖いし。

で、目の端で友人Nを盗み見ると、両手で顔を覆って指の隙間から画面を観て「うっ!」と声を上げていた。乙女やないか。完全に乙女ではないか。38歳のゴリゴリのおっさんがしていい観方ではない。結果、ホラーの魅力はやはり理解できなかった。おっさんが怖さで身悶える姿だけを確認できた。


▼以前、一緒に働いていた元同僚のKさんと会う。わたしが仕事をもらっている会社のすぐ近くに勤めている。浮ついたところがなく、一見地味なのだが芯の強さを感じる人だ。彼女は口数が少ない。わたしといるときはわたしが8、Kさんは2ぐらいしか話さない。

いつお会いしても「いやー、本当にこれといった事件もない人生で」と仰っている。対して友人Fは事件だらけの人生を送っている。出会い系詐欺に引っかかり、架空請求詐欺に引っかかり、整形をして、ある日突然仕事を辞める。恐ろしい男である。

Kさんが「これといった事件もない人生で」と言うたびに感心する。事件がない人というのは、無意識のうちに事件を回避しているのではないか。よく携帯に「今日中に8000万もらってくれないと困るんです!」とメールがくるが、当然あんなものは中身も見ずに削除する。友人Fは、あれに「8000万ください」と返信するからすごい。どうかしてる。医者へ行け、医者へ。

それほどわかりやすい例ではなくても、暗い道を避けるとか、人の悪口を言わないとか、時間に余裕をもって行動するとか、そういった小さなことでも悪い出来事に遭う確率は下げられるように思う。Kさんは、それを無意識にできているのではないか。だが「事件がない」ことの退屈さはあるかもしれない。友人Fは自分から事件を作りに行っている感さえある。もし、映画を観るならば、穏やかな人生を描いたものより滅茶苦茶なものが面白い。ただ、それは他人事だからである。事件ばかりの人生、穏やかな人生、実際に体験するならばどちらが良いのだろう。

孔子が論語で中庸ということを言っている。過不足がなく極端に走らないこと。ほどほどに行動するということ。「ほどほど」というと、なんだか中途半端な気もするが、何事もこの「ほどほど」が良いのではないかと最近は思う。真理は「ほどほど」なのか。
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author:しゅん, category:日常, 23:10
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映画「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」
プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命
The Place Beyond the Pines / 2012年 / アメリカ / 監督:デレク・シアンフランス / ドラマ

こんなはずじゃないのに‥‥。思うように生きられないもどかしさ。
【あらすじ】
天才的なバイクテクニックを持ちながらも、移動遊園地のバイクショーでその日暮らしを送るルーク(ライアン・ゴズリング)。野心的ながらも正義感の強い警察官エイヴリー(ブラッドリー・クーパー)。対照的な二つの家族の物語。

【感想】
この映画は本当に良かったですね。話が地味で暗いし長いしで、まったくヒットしない気もするけど。わたしは地味で暗い話もけっこう好きなのだ。人が大勢死ぬ話も好きだ。不穏なことを書くなという。ここ半年の中で一番好きな作品ですね。

ライアン・ゴズリング、すごい体である。「ラースと、その彼女」に出ていたときはポヨンポヨンした感じだったがマッチョに。しかも全身タトゥーである。向こうから歩いて来たら、全力で逃げたい。

いかにも荒くれ者という雰囲気のルークだが、自分に子供がいることを知らされ、家族を幸せにしようと決意する。はじめて自分以外の人間を大事にしようと思ったものの、やり方が無茶苦茶なのだった。銀行強盗で稼ぐという‥‥。あかんで。

愚かで貧しくて這い上がるのに必死で、間違った方法を選択してしまう。それを弱さとか愚かさという言葉で切り捨てるのは簡単だが、笑う気にはなれない。同じように、貧しい人々が誤った選択をしてしまうというのはケン・ローチ監督の作品によくありますが、ケン・ローチ作品は社会構造を糾弾しているように見えるが、デレク・シアンフランスの作品は社会構造というより、どうやってもどん底から抜け出せない哀しさをより強く描いているように見える。

一方、警察の腐敗を見逃せない正義の警官エイヴリー。聞かぬフリをする上層部。エリートにはエリートの悩みがあるのです。青年から中年までをブラッドリー・クーパーが演じてますが、見事に雰囲気が変わってますね。

汚職警官役にレイ・リオッタ。迫力ありすぎる。警官というか、ほぼマフィアである。怖くて目を合わせられないエイヴリーさんであった。

一か所とても印象的な場面があった。エイヴリーは強盗犯ルークを射殺してしまう。やがてエイヴリーは、ルークに自分と同じ一歳の子供がいることを知る。事件は解決したが強奪された金は行方不明だった。ルークが強奪した金を、腐敗した警官たちが奪い取ろうともくろむ。ルークの恋人だったミーナ(エヴァ・メンデス)の家に警官たちが押し掛ける。赤ん坊が寝ているベッドに金が隠されているが、赤ん坊をどかすとき、警官の一人がエイヴリーに子供を抱かせる。

エイヴリーには同じ年齢の子供がいるし、その子供の父親は自分が射殺している。腐敗した警官たちの無神経さが、とても残酷だった。この場面のブラッドリー・クーパーの表情が痛ましい。やるせない気持ちになりました。

15年の時が流れ、二人の子供は偶然に出会う。ルークの息子(デイン・デハーン、写真右)の繊細な鋭さが良かった。

原題「The Place Beyond the Pines」(松並木の向こうの場所)の松並木は映画の最後に出てくる。希望に満ちたとは言えないが、希望を含んだ終わり方で安堵した。複雑に絡み合った二つの家族の物語であり、ごく当たり前に幸せに生きることの難しさを見せられた思いがしました。お勧めですが、楽しくはない映画。

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author:しゅん, category:日常, 10:14
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▼まぶたの上に水ぶくれができた。帯状疱疹かと思ったら、そこまで重症ではなくて単純疱疹だという。痛みがともなわないのでありがたい。ただし、右まぶたは敗戦後のボクサーのように腫れている。鏡の前で両の拳をかまえてファイティングポーズをとってみる。何をやっているのでしょうか。

眼帯をして皮膚科へ。4、5歳ぐらいの女の子がやってきて眼帯を指さして訊かれる。「それ、おしゃれ?」「いや、目が腫れてるから、やってるの」「ふーん。痛い?大変?どれぐらい痛い?うちはねえ、弟がシンマジンで来てるんだよ」とよく喋る。

シンマジン‥‥、真・魔人て何かかっこいい気がするが、弟は魔人ではなく蕁麻疹なのだろう。そのあとに「消しゴムか飴、どっちかあげる」と不思議な二択を提示されたが断った。気持ちだけいただいた。抗生物質を飲むと少し腫れが引いたような気がする。


▼見ず知らずの他人が夢に出てくることがある。不思議でもなんでもないように思うけど、けっこうすごいことではないか。脳が夢を作り出すのだから、他人というのも脳に入っているストックから出してくるはずである。だからどこかで見かけているはずであり、完全な他人ということはないはず。

完全な他人を夢に出したいときは、どこから他人を探してくるのだろう。街やテレビで見た人の顔から他人を作り出すのかしら。一度どこかで見かけてはいるものの、忘れてしまっている顔の中から選んでいるのかもしれない。するとその他人というのは、わたし自身の意識では自覚していないが、一度は見かけたことのある他人だ。意識からみると「忘れてしまった人」だが、きちんと脳の在庫にはストックされていることになる。

またしても「で?」みたいな話を書いてしまった。


▼そんなこんなで、脳関係の本を読んでいます。解けなかった問題が朝起きると解けていることがある。材料さえ揃っていれば、寝ている間にうまいこと整理して答えを出す機能が脳にはあるのではないか。そう経験的に思っていた。

今回読んだ本にはデフォルト・モード・ネットワークという言葉が載っている。脳がある特定のことを考えているときと、リラックスしているときを比較すると5%ほどしか活動量が変化しないという。今まではリラックスしているときは何も考えてないとみなされていたが、無意識下でなんらかの作業を行っているらしい。その仕組みをデフォルト・モード・ネットワークといっている。

考えることをやめても、材料さえ放り込んでおけば、無意識下で考え続けて問題が解けることもあるという。もちろん、ふだんから問題に取り組んでいなければひらめきが訪れることはない。アインシュタインは職場である特許局の椅子によりかかっているときに「一般相対性理論」についての考えがひらめいた。わたしは38年間、何もひらめかずここまできている。恐らくなんの材料も頭に入れずにここまでやってきたのだろう。恐ろしい。できるなら、なんの材料も入れないでここまでやってきたという事実を忘却したい。志はどこまでも低い。
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author:しゅん, category:日常, 22:44
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映画「ローマ法王の休日」
ローマ法王の休日
HABEMUS PAPAM / 2011年 / イタリア・フランス / 監督:ナンニ・モレッティ / コメディ、ドラマ


脱走おじいちゃん。たとえ神が選んだとしても。
【あらすじ】
ローマ教皇に選ばれたが、無理っぽいので逃亡します。

【感想】
原題の「HABEMUS PAPAM」はラテン語で新しい教皇が決まったことを意味する。

ローマ法王とローマ教皇という二つの呼称があります。違いについて、カトリック中央協議会のサイトに説明があった。まとめると以下のような内容。

以前は、日本のカトリック教会内でも混用されていたが1981年のヨハネ・パウロ2世の訪日の際、ローマ教皇に統一することにした。「教える」という字の方が、教皇の職務をよく表すということからマスコミにはローマ教皇を使用してほしいと要望しているが実現していないとのこと。それと、駐日バチカン大使館である「ローマ法王庁大使館」だが、日本とバチカンが外交関係を樹立したさいの定訳が「法王」だったため、そのまま「法王庁大使館」 となっている。日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り変更はできないとある。

ローマ教皇の呼称を推奨しているので、ここではローマ教皇を使うことにします。で、逃亡するローマ教皇の話なのだった。

前任のローマ教皇が亡くなり、枢機卿が集まって次のローマ教皇が選出されるコンクラーベが行われた。まあ、なかなか決まらないんですね。何度も投票をやり直し、ようやく選ばれたのがメルヴィル(ミシェル・ピコリ)。選挙の最中も「自分には無理だから〜、無理だから〜。神よ、どうかわたしを選ばないでくれ!」と、えらくネガティブなお願いをするおじいちゃんなのだった。神は残酷なのでメルヴィルを選んでしまいます。

ローマ教皇ともなると、何億人もの信者の代表であり、半分神様みたいな扱いになってしまう。恐ろしいほどの重圧がのしかかるのでしょう。人間には向き不向きがあるし、それは仕方のないこと。で、メルヴィルは早々と白旗を上げる。最初の就任演説から、すっぽかす。どこまでも逃げる気である。おじいちゃんの決意は固い。後ろ向きに固い。

困った枢機卿たちは心療内科医を呼んで極秘に治療を行う。でも、悩みを話したくても二人きりにはなれず、枢機卿にずらりと囲まれてしまう。囲み過ぎである。

いろいろ嫌になったので街へ逃げ出してしまった教皇。残された枢機卿たちは‥‥。

バレーボールをして盛り上がってました。のんきだな、オイ!

街へ出たローマ教皇が、街の人に職業を訊かれる場面がある。そこで「役者」と答えたのが印象的だった。若い頃、役者になりたかったというので咄嗟に口から出たのかもしれない。だが、ローマ教皇という今の立場を「役者」と表現したようにも受け取れる。

自分の立場を当然と捉えず「自分などで本当に良いのだろうか」と悩む人は信頼できる。是非自分にやらせてくれというのは、何か信用できない気がするのだ。その点、メルヴィルはローマ教皇になる資格のある人だとも思うのだけど。とにかく逃げる人である。

この映画は最後にとんでもないどんでん返しがある。普通、どんでん返しをくらいますと「なるほどー」と感心するが、この映画の場合「そんなことやっちゃうの‥‥」となってしまった。都合の良い安直なハッピーエンドを避けたかったのかもしれないが、まさかこんな終わり方にするとはねえ。

おじいちゃんがたくさんでてくるので、困るおじいちゃん、追いかけるおじいちゃん、逃げるおじいちゃん、バレーボールをするおじいちゃんが好きな人にお勧めの作品。


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author:しゅん, category:-, 17:43
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脚がきれいなので耳が遠くなる
▼仕事を請けている会社へ。休憩所ではMさんという女の人が弁当を食べていた。休憩所は他の会社と兼用になっていて、よその会社のパートのおばちゃんもやってくる。おばちゃんは、おばちゃんだけあってよく喋る。あれだな、喋らないと死んでしまう病気なのだな。わたしにもMさんにも、よく話しかけてくる。

おばちゃんはMさんのすらっと伸びた脚を見ると「はぁ〜、ほんとにきれいな脚してるわねぇ‥‥」と、うっとりする。一度ではなく会うたびに毎回感心している。Mさんは恥ずかしそうにしている。それだけならばいいが、なぜか毎回わたしに同意を求めてくる。「ね!きれいな脚よね。そう思わない?思うでしょ?」などと言う。困る。

同意すると脚ばかり眺めているようだし、否定するのも変だし、なんだか居心地が悪い。結果「ええ、まあ‥‥」などと煮え切らない感じである。どうしたらいいのか。逆にわたしからMさんに「きれいな脚だなあ、オイ!」などと言えばいいのかもしれない。セクハラで一発退場である。それか「わたしも脚には自信がありまして」とズボンを脱ぎだせばよいのか。社会から退場したいのか。

最近は、おばちゃんには悪いが、考え事をしていて聞こえないフリをすることがある。先日、会社にいったとき、おばちゃんがわたしのことを話していた。

「あの子(わたしのこと)ね。なんだかちょっと耳が悪いらしいのよね」

どうすればいいのか。


▼黒死病(ペスト)についての本を読んでいる。1348年、ペストがヨーロッパに広まり、ロンドンでは人口の40%、トスカーナでは80%が死亡した。ペストはアフリカからの貿易船に乗ったネズミが、体に宿したノミを通じて広まった。

ペストで何が変わったかというと信仰心の喪失があったとある。病人を看取る聖職者や、信仰心の厚い敬虔な信者もバタバタと死んでいく。残酷な現実の前に信仰心は失われていき、教会の権威も衰えた。ペスト以前は、科学的に重大な発見があっても、それが教義と相容れない場合、誤りとされた。教会が科学的進歩を抑圧していた。

富裕層は教会に寄付していた金を研究施設に寄付するようになる。1348年にはプラハ大学、1350年にはフィレンツェ大学が創設される。ウィーン、クラクフ、ハイデルベルグにも大学が設立される。

大勢の人間が死んだので着る者のいない衣類が発生した。やがて服を煮てとれた繊維でラグペーパーという紙が作られるようになった。安価で紙が供給されるようになる。それまで異端とされていた知識が見直され、グーテンベルクの印刷機の発明によって世間に知識が普及していった。ヨーロッパはペストで苦しんだ暗黒時代から輝けるルネッサンス時代へと突入した。

ペストというのは当時のヨーロッパ人にとって不幸だったのは間違いない。ただ、ペストが起きたからこそ、ルネッサンス時代が到来したという見方もできる。歴史というのは、ある点だけを捉えて評価するのではなく、一本の長い線と考えたほうがいいのだろう。一見マイナスに見えることがプラスの結果を引き連れてくることもあるのだから。なんだかまともなことを書いておりますが、具合が悪いわけではありません。
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author:しゅん, category:日常, 16:05
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映画「レッド・ライト」
レッド・ライト
Red Lights / 2012年 / アメリカ、スペイン / 監督:ロドリゴ・コルテス / ミステリー


具合の悪いキリアン・マーフィー。
【あらすじ】
インチキ超能力者は許しません!という、シガニー・ウィーバー&キリアン・マーフィーの物理学者コンビ。対するはデ・ニーロ演じる伝説の超能力者。年末にやってるTVタックルの超常現象スペシャルをシリアスにしたような感じ。韮澤編集長は出ません。

【感想】
超能力、宇宙人、未知の巨大生物など、怪しげなものや手品が好きな人にお勧めです。とても良かった。アマゾンのレビューを観たら、ものすごく評判悪いんですよねえ。なんでだ。面白いじゃんかあ。

デ・ニーロ演じる伝説の超能力者サイモン・シルバー。見れば見るほど怪しい。まあ、インチキ超能力者だから怪しくていいんだけども。

しかし、デ・ニーロは何をやってもマフィアに見えてしまうなあ。

久しぶりに見たシガニー・ウィーバー。トリックを一切信じないやり手物理学者です。序盤に、インチキ超能力者のトリックをバシバシ暴いていく場面が良かったですね。で、主人公の物理学者トム・バックリー(キリアン・マーフィー)は映画が進むほど具合が悪くなっていきます。ただでさえ、具合が悪そうな顔なのに。

映画前半では、助手に自分好みの女の子(エリザベス・オルセン)をスカウトするほど元気だったのに。職権乱用するほど元気だったのに。ああ、あの頃のキリアンはどこに‥‥。

きちんとしたトリックがある映画でした。勘の良い人ならば、前半でわかってしまうかもしれない。わたしはわかんなかったけど。映画の中に材料がすべて提示されているので、フェアなトリックである。キリアン・マーフィー、デ・ニーロ、シガニー・ウィーバーという大御所が揃っているものの、それでもどこか地味な作品になってしまった。具合の悪いキリアンが観たい人には特にお勧めです。


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author:しゅん, category:-, 18:56
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