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移り変わり 魔法少女まどか☆マギカ
▼DVDでヱヴァンゲリヲン序・破を鑑賞。ビルなどが整然と地下に格納されていく様子、ミサイルが次々と発射されていく秩序だった様子。ああいうのを眺めるのが好きだ。司令部のモニターや、その他の機器も面白い。作品とはべつに、時代の移り変わりについて考えさせられた。

主人公の碇シンジは、カセットテープが再生できる携帯用音楽プレーヤー(面倒なのでウォークマンと書きます)を使っていた。エヴァンゲリオンが放送された頃は、ウォークマンが現役の頃だった。A面の再生が終わり、テープを入れ替えなくても自動的にB面に移行するオートリバース機能が憧れだった。

エヴァンゲリオンの放送は95年なので、もう16年も前の話なのだ。時代の流れの早さがすごい。なんだかめまいが。そういえば、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で学園祭で曲を演奏するシーンがある。そのときは、MDにダビングするというセリフがあったと思う。

今なら自作の曲を誰かに渡すときは、データをネットにあげてダウンロードさせるか、USBメモリに入れるか、CD−Rに焼くかだろう。本当に移り変わりが激しい。

携帯電話やノートパソコンのヒンジ(ちょうつがい部分)で大きなシェアを持つストロベリーコーポレーションという会社がある。ここは2001年にJASDAQに上場する。しかし業績が急速に悪化し、今年の10月末には上場廃止になってしまう。それというのも携帯電話の流行が、折りたたむ必要のないスマートフォンに移行したのが大きな原因である。

もうわたしの周りでは親の世代を除けば、皆スマートフォンである。折りたたみ式を使っているのは、わたしぐらいだ。ある流行が盛り上がり廃れる栄枯盛衰の速度は、どんどん加速していくのだろう。もう、わたしなどは置いていかれるのだろうねえ。だって、スマホかスマフォか、どっちが正しいのかわかんないとか言ってるぐらいだし。

来年は少しネットと距離を置いてみようと思います。あまりにもこの世界は流れが早い。何かを追いかけることより、ずっと引いてみてそこから見えてくるものもあるんだと思います。ネットよりも読書の比率を大幅にあげたいですね。ネットは面白いから、つい時間をくってしまう。

▼未来も過去も実は存在せず、今という時間しかないという話を聞いた。目から鱗でした。
なーるーほーどー。今年一番なるほどと思いました。

▼お世話になっている会社に卑屈くんという人がいる。フェイスブックで知人を検索し、その人間関係が充実しているのを見て嫉妬するという、実に屈折した趣味を持っている。そんな彼の家に招待され、ヱヴァンゲリヲン序・破を観せてもらった。

その後に、魔法少女まどか☆マギカという作品を観てほしいと言ってきた。えー、魔法少女て。オッサンが魔法少女て。通報されるわーと嫌がった。だって、DVDのジャケットをみてもらえばわかりますがこんな絵柄だし。
 
しかし、彼の目は真剣だった。
「しゅんさん(わたしのこと)、言ってましたよね。『他人の意見なんて聞かなくていいときもあるよ。自分のやりたいようにやればいい』って。僕もそう思います。良い作品なら他人がどう言おうが観るべきだと思いませんか?作品て、そういうもんじゃないんですか!」って、そりゃそうだけどー。仕事ではそんなことをチラッと言いましたけどー。だって、そのときはそういう状況だったし。

なんだ、この熱さ。そんな卑屈くんの勢いに押された。
「とりあえず三話まで観て判断してください!三話まで観てわからないときは……、そのときはまた考えます!」

なんだ?わかんないとき、わたし刺されるのかな?どうなるのかな?
いろいろ疑問が渦巻きつつも鑑賞しました。

結果、最後まで一気に観てしまった。とても面白かったです。ただ、この話の核の部分が、最近観たいくつかの作品に似ていた。この作品が十年前に発表されたなら圧倒的だったと思うけど、似たものをすでに観ていたせいか、「あ、このパターンか」と思ってしまった。

だが、10話から最後までは特に素晴らしかった。そして、卑屈くんは10話で泣いていたのだった。なにも泣かんでも。あんた、三十なんだし。

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author:しゅん, category:日常, 18:56
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ツイッター
▼ブログを始めてたった二日で炎上し、即閉鎖した友人Fという人がいる。先日、ツイッターを始めたという。もうね、わたしはとめたんですよ。チンパンジーに生卵を運んでもらうのと同じぐらい危ない。いや、チンパンジーのほうがまだ信用できる。

ちょっとFのツイートをのぞいてみたら危ない発言がいくつかあった。まだ始めたばかりというのに、なんという潜在能力の高さ。ツイッターをやらないために生まれてきた男、それが友人F。もう、何もつぶやくな。早く飽きないかなと思った。

これは何かやらかすのも時間の問題だと思ったら、さっそくやったのだった。フォロワー数がほとんどいないからたいした騒ぎにもならず済んだが、ちょっと危なかった。

解決後、わたしにメールが来た。
「もうツイッターやめるよ!ほんとツイッター、ヤバイ!」

「ヤバイのは、おまえの頭」と返信。

また一人友だちが減る、をお送りしました。

▼インターネット小咄を聞きました。

ある男が犬を飼っていました。その犬が死んでしまい、男は「かわいがっていた犬が死んでしまいました」とフェイスブックに書きました。友人たちは、男に同情してその記事についているボタンをクリックしました。

「いいね!」って、どういうことだよ!よかないよ!と、男は怒ったそうです。

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author:しゅん, category:日常, 18:03
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忘年会2
▼前の会社の同僚Tさんと食事。Tさんは三十代半ばの女性である。わたしが仕事で困っていると、スラスラとプログラムを書いてくれて助けられたことが何度かある。所属部署が違ったから直接の上下関係はないものの、先輩であり半分上司のようなものである。お互いの近況を報告しあい、だらーっと飲んでいた。以前は仕事帰りにたまにこうした日があった。

Tさん:カップルの会話で女が風邪を引いたときにさ、男が、『俺にうつせばいいよ』とか言うじゃん。

わたし:あ〜、昭和のドラマでありそうですね。

T:あのね、けっこういるよ。そういう男。

わ:そうですか?

T:わかってないわー。まあ、あんたに恋愛の話してもね。小学生の女の子に相談してるほうがマシだからね。

わ:そんなことないですよ。いや、もう、恋愛体質ですからね。合コン、合コン、お見合いパーティー、合コンの毎日ですから。

T:……、合コン行ったことないでしょ?

わ:ありますよ!もう、殿様ゲームとかやりまくりです。

T:王様じゃなくて?

わ:殿様です。『殿様だ〜れだ?』『あ、ワシだ!えーと……、じゃあ、3番が切腹で4番が介錯!』で、おなじみの!

T:おなじみじゃないけどね。そんな、毎回死体でる合コンつらいわ。まあ、いまどき王様ゲームもないと思うけど。

わ:そうなんですか?

T:でさ、『俺にうつせよ』とかいう男がいるでしょ?

わ:はい。

T:あれさ、どう思う?

わ:そういう考え方もあることを理解しています。

T:英訳でもしてんの?

わ:いや、なんて言うか……、そういうことを言う気持ちもわかります。僕は言わないですけど。

T:うん。人にうつそうがどうしようが関係なくて、治る治らないは本人の体内の問題だからね。

わ:そうですね。もう一人にうつると買い物とかにも行ってもらえなくなるから、『俺にうつすな』が本当は正しいのかなあ。痛みを共有するとか、犠牲の精神みたいのに女の人が魅かれるんですかね。

T:うん。病気で心細くて、さらに一人暮らしでさみしいときに、『俺にうつせよ』って言われると、これがけっこう効くんだわー。

わ:そういうもんですか?

T:そうなのよ!これがねえ……、こういうこと言うのってたいてい駄目な男なんだけど、駄目な男と知りつつもはまっていくのよねえ。冷静なときならねえ……。

わ:わかってんなら、引っ掛からなきゃいいのに。

T:違うの!引っ掛かりたいの!

わ:え?

T:ふだんはそういうこと言わない男が、こっちが弱っている瞬間だけは本気で、『俺にうつせよ』ってバカみたいなことを言ってほしいの!でも、本当にバカな男は駄目なの!

わ:うわ、もう、どうすりゃいいんですか。面倒くさい。

T:そうなのよう!面倒くさいのよう!

わ:あ……、ひょっとして別れましたね、駄目な男と。

T:まあね。スッキリ、サッパリしたわ。

わ:でも、いったい男はどう振る舞えばいいんですかね。バカなことを言っても駄目だし、言わないと駄目だし。

T:それを考えるのが、おまえらの仕事だろー!

わ:そんな無茶な!

T:客が黒って言ったら、白も黒と言うのがおまえらの仕事じゃー!

わ:なにこのモンスタークレーマー。
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author:しゅん, category:日常, 23:03
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サンタ
▼友人夫婦の家にお邪魔。友人夫婦の子ター坊(小学校二年)と話す。クリスマスにサンタからプレゼントをもらうらしい。今年は仮面ライダーのなんかをもらうとかで、もうそういうのがさっぱりわからないのだった。親は大変だろうと思う。サンタのために型番で指定するといいかもしれない。
「サンタさん、サンタさん、いい子にしてたので、バンダイの仮面ライダーフォーゼ ファイヤーステイツ 定価2,940円 型番4543112701466をください」
そんな子どもは嫌だよ。しっかりするにもほどがある。

ター坊が、「しゅんくん(わたしのこと)はプレゼントもらわないの?」と聞く。思えば、サンタからプレゼントをもらった覚えがない。小さい頃に何かもらったような気もするが忘れてしまった。
「もらったことがないかもしれない」
「え!……、そうなんだ……」
「いい子じゃなかったから、もらえなかったのかも」
「……そ、そんなことないよ!きっと家に煙突がなかったからだよ」
「この家も煙突ないけど、サンタ来るよね?」
「……、うん」
「……」

小学生に気をつかわせる、をお送りしました。

▼しかし、親というのは偉いなと思います。サンタからのプレゼントということで、あえて自分達からというのは言わない。子どもが喜ぶ姿を静かに見守っている。

わたしならば、かなり自分をアピールする。クリスマスの朝、「サンタより」と書いた紙とチロルチョコを置いておく。子どもが、「チロルチョコか……」とガッカリしていると、「なんだ、サンタはその程度かー。こっちはすごいぞー!」と、本気のプレゼントを渡す。どこまでもサンタをおとしめる。

「サンタはおもちゃを配って人気を取っているけど、実はおもちゃ泥棒の犯罪者なんだ」ぐらい言う。

わたしの器の小ささは尋常ではない。

当然、わたしのところにサンタは来ないので今年はホームベーカリーを買いました。パンを焼きまくります。 メリークリスマース!

どの口でそういうことを。
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author:しゅん, category:日常, 23:58
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楢山節考
▼楢山節考 / 1983 日
正直なところ、あんまり観たくない映画というのがあります。人間の本性や汚さを正面から取り上げていて、できれば見て見ぬフリをしたい。この映画もそういう映画の一つです。


【あらすじ】
舞台は貧しい信州の山村。その村では、七十歳になると口減らしのために老人は山に捨てられます。

【みどころ】
人のあさましさ。あさましくならざるを得ない貧しさ、そんな中にも存在する人間性。

【感想】
よく、「昔は良かった」などと聞きますが、あれは嘘だと思います。こういう映画を観ると、今ほどいい時代はない、こんなに恵まれている時代はないと思います。

とにかく出てくる人間が醜い。嫌なところをこれでもかと見せつけてきます。貧しさのせいで、家を継ぐ長男以外は結婚することができません。嫁をとることができない次男は、性欲を処理するために犬を犯します。男の赤ん坊は野に捨てられ、女の赤ん坊は売られることもあります。食料を盗んだ村人は、それがばれると他の村人たちから家族全員生き埋めにされます。

この人間性が欠落したような状況を責めるのは簡単ですが、このような貧しさに置かれたら人は誰でもこういうふうになるのだろうなあ。監督から、「思い上がるなよ、おまえだって一皮むけばこうなんだぞ」と言われているようで、観ていてつらくなってきます。

そういった中にも人間性が垣間見える場面もある。来年で七十歳になるおりん(坂本スミ子)は、一家が冬を越せるよう、口減らしのために山へ行く決断をします。おりんの息子辰平(緒方拳)は反対するも、おりんの決意は固い。山へ入る儀式を終え、辰平とおりんはひっそりと家を出る。辰平がおりんをおぶって険しい山道を歩く場面がひたすら続く。

辰平がふと口にするセリフで、自分もあと二十五年もすれば子どもにこうしておぶわれるのだろうというものがある。ここで暮らす者はいつか親を捨てねばならず、また自分もやがて捨てられることを覚悟して生きている。それは現代に生きる者が、ひどいとか野蛮とか責められるようなものではない。

辰平がおりんを捨てて家に戻ると、辰平の嫁や、辰平の息子が連れ込んだ女がもうおりんの服を着ている。(ここ、わたしの記憶違いかもしれません。DVDが手元になくて確認できないのだけど)
それはすごく図々しいようなのだけど、その女たちもやがては捨てられる運命を静かに受け入れているようで、第二第三のおりんのようにわたしの目には映った。

劇中で歌われる姥捨ての歌がある。
「塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る」
この一節の意味がよくわからない。劇中でも、おりんを山に捨て辰平が下山しようとするとき、雪が降り出す。その雪を見て辰平が本当に喜ぶ。

姥捨ての日に、山が雪で白一色に美しく染められる。それがせめてもの慰めになるのだから、それを「運がよい」と歌ったのだろうか。これから親を捨て、又は子に捨てられようというのに、雪が降っただけで「運が良い」と歌う世界はあまりにも悲しい。
 

予告編ですら濃い。

▼もうねえ、贅沢に暮らしていて本当に申し訳ないような作品なのです。現代人はみな贅沢である。この映画にパルムドール(最高賞)をあげるとは、さすがカンヌといったところでしょうか。

こういう良薬は口に苦しという映画もたまにはいい。こんな映画観たくないと思う反面、こういう映画を撮る監督はもう出てこないのかと思うとさびしくもあります。勝手ですね。ごくごくたまーに観るといいかもしれません。たまーに。いつもこんなの観てたらおかしくなる。

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author:しゅん, category:-, 12:00
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忘年会
▼グッと寒くなりまして、いよいよ年末という雰囲気でございます。年末というと忘年会。ふだんは会わない知り合いなどと会って、互いの近況について報告しあったり楽しく過ごしております。

土曜もそんな忘年会の一つでした。久しぶりに会った相手が、仕事や最近読んだ本の話などするのですが、わたしを退屈させないようにか次から次へと話をしてくれました。きっとこの日のために話題をいくつか考えてきてくれたのでしょう。

わたしも若い頃デートのときは、今日はあの話をしよう、この話をしようと考え、その話の見出しをメモにまとめ、彼女を退屈させないようにと気をつかったものでした。

そうやって一生懸命にいろいろな話をしてくれる彼を見て、ちょっといいなと思ってしまいました。話自体は少しぎこちなかったものの、そのがんばっている姿というのが実に微笑ましかったです。わたしより十五歳も上の元上司ですが。

おまえが気をつかってもっとしゃべれ、をお送りしました。

▼突然ですが、あの戒名というやつがありますね。亡くなった人間が仏教徒になった証として授けられるものらしいですが、そういった意味すら知らなかった。ただ、なんとなく付けてもらってました。わたしは死んでないんで、まだないですけど。立川談志さんのように自分で適当に付けるのもいいかもしれません。

それで、あの料金とはいったい何かと思いましてちょっと調べていました。バブル期の頃は高いランクの戒名をつけてもらうと、それこそ外車が買えるような金額になったといいます。島田裕己さんの「葬式は、要らない」を読むと、戒名は仏教の教えに基づいていないとある。そもそも、戒名という制度があるのは日本だけと書かれている。

戒名が庶民に広まったのは江戸時代で、寺請け制度が義務付けられてからである。もともとは、禁教とされたキリスト教から仏教に転宗した者に対してだけだった。彼らはキリシタンでなくなった証に寺の檀家となる。つまり、為政者からの要請によって身分証明のために檀家となり戒名を授かることになったようです。それが転宗したものだけでなく、やがては一般庶民にも義務付けられ社会に浸透したとある。

ここだけ読むと、「じゃあ、戒名料などはぼったくりじゃないか」という意見になりそうである。だが、よく考えてみると葬儀のときだけお経をあげてもらうということがおかしい。寺も維持するには当たり前だがお金がかかる。檀家になって寺の維持費用を出すわけでもない。ましてや信仰を持っているわけでもない。それなのに葬式をやってくれという。

信仰が薄れ、葬儀が簡素化の一途をたどり、寺としても十分な檀家の確保をできず経営も苦しい。そうすると、戒名料で取るしかないということらしい。それがあの金額に跳ね返っている。

一方的に戒名料の高さを責めるのではなく、戒名の歴史的な成り立ちから葬式をめぐる社会状況の変化などをとりあげており興味深く読めました。


▼そもそもこういった本を読んだのも、知人の家族に不幸がありまして、そのときに知人が葬儀費用をなるべく安くあげてほしいと寺にお願いしたところ、「そんな志では成仏できない」などと言われたからである。

たしかに信仰を持っておらず、檀家でもないのに葬儀をやってほしいというのは本質的に間違っている。ただ、身内の不幸で意気消沈している人間に「成仏できない」と言うのはどうなのだろうか。わたしのように無宗教なら葬儀をやらないでもいいが、親族がうるさかったりするとそうもいかないのだろう。故人の看護でお金がいり、どうしても葬儀代を値切るしかない情けなさというのも汲んでやってほしい。

そもそもお釈迦様は、「葬儀代が足りなくて……」と言ったところで怒るだろうか。とても気にするように思えない。で、肝心の坊さんは実のところ極楽や地獄を見たこともない。我々と同じようなものである。成仏できないと言う根拠にとぼしい。一度も死んだことがないくせにと思ってしまう。

ベテランの浪人生のようで、言うことが怪しい。そんな人に、「合格の秘訣は……」などと言われても、いや、あんたも受かってないんだけどねとなる。

さて、そのお坊さんがいつか亡くなったとする。死後、お釈迦様に今回の件を胸を張って報告できるのだろうか。そのときお釈迦様はなんと言うのだろう。

「そんな坊主は成仏できない」と言うのではないか。
  
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author:しゅん, category:日常, 01:12
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超敏腕プロデューサー(小学四年生)
▼監獄島 / 2007 米
WWE(アメリカのプロレス団体)のスターが映画にちょくちょく進出しています。ロックやジョン・シナ、そしてこの作品はストーン・コールド・スティーブ・オースチンである。プロレスからの進出って流行なのだろうか。昔はホーガンぐらいしかいなかったのにね。

左:オースチン(主役)  右:悪い人
これだけ見ると、絶対に左が悪く見えるな……。

【あらすじ】
超敏腕プロデューサーがネット配信の番組を企画します。
「無人島で死刑囚を10人集めて戦わせて、最後まで生き残ったヤツは無罪ね!これ面白い!アクセス数ガッポガッポですわ!オレちゃん天才!」という、小学四年生の思いつきをためらわず実行したような企画。誰か、とめてやれ。

【感想】
正統派のアクション映画でした。欲を言えば、もうちょっと心理的な駆け引きがあると面白かったんですけどね。右端から順にぶっ飛ばしてくような感じで、それはそれでいいんだと思います。

この映画の良心といえる存在にプロデューサーの恋人がいます。他はだいたい悪い人である。彼女は、中継スタッフとともにこの監獄島に来ています。で、映画の本筋とは関係ないんですが、アメリカは職場に恋人を呼ぶってよくあるのだろうか。一応、周りも彼女に気を遣っている様子です。

他の中継スタッフはみんな仕事があって忙しく働いている。当然、彼女の恋人であるプロデューサーも忙しい。彼女だけがヒマなんですね。プロデューサーの恋人ってだけだから。それなのに、仕事場の真ん中にデーンと立っている。あれ、なんであそこにいれるの?なんだ、あのハートの強さは。

「ここにいますけど、なにか?」みたいなね。もう、アメリカ人のああいうところがわからん。映画自体は、本当に普通のアクション映画かなあ。オースチンがもっとプロレス技を使ってくれればファンは嬉しいと思う。わたしが嬉しい。必殺技のスタナーは出ません。フロントネックロックみたいのをリバーススープレックスで切り返したのが、唯一のプロレスっぽいところでしょうか。

あんまりプロレスにこだわると、「じゃあ、映画じゃなくてプロレス観ればいいじゃん」てなるからか。ごめんごめん。

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author:しゅん, category:日常, 18:27
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映画「南極料理人」
南極料理人
2009年 / 日本 / 監督:沖田修一 / コメディ


「西村君‥‥、くふふ‥‥、ラーメンだぁ!」
ここのところあんまり映画を観てないのですが、それでもわりといい作品に当たっている。勘が冴えるといいますか、連続でいい作品に当たるときがありますね。ついてるんだなあ。

【みどころ】
かわいいおっさんがたくさん出ます。おっさんしかいない。

【あらすじ】
南極観測隊の一人として、南極にあるドームふじ基地へ派遣された西村(堺雅人)。隊の食事をまかなうため、8人分の食事を作り続ける毎日。男だけの集団生活は、まるで学生寮を思わせるようなコメディになっている。

【感想】ネタバレしてません。
ストーリーらしいストーリーはなく、ショートコントを繋ぎ合わせたような作りになっています。上品なコメディなんですよね。いやらしくなる一歩手前で止めるというか。

南極だとか潜水艦の中だとか、閉鎖空間で生活していると食事の重要性はふだん以上に増してくると思います。なにせ楽しみがないしなあ。本当に大切なことだと思いますよ。食事をするシーンがいくつかありますが、みんなけっして「うまい」とか「美味しい」と口に出して言いません。ただ、黙々と食べている。その様子が本当にいい。

それに対して料理人の西村も、「どうですか?」とか「美味しいですか?」と一々訊ねずに、みんなの反応をキョロキョロうかがっている。まあ、ソースやマヨネーズをドバドバかけられたりもしてるんですが、ぐっと我慢している。その品の良さが良かったです。

男たちが集団でバカ騒ぎをしたり、何かあるとすぐ裸になったり、そのくだらなさっていうのが微笑ましいんですね。男のかわいらしさをうまく撮っているようで、こういう笑いは男より女のほうが好きなんじゃないだろうか。男は、男のかわいらしさについてはちょっと引いた目で見るところがあるので。もう本当に男子寮のバカ学生そのまんまですが、嫌になる感じはなくて仲間に入りたくなります。あれはうらやましい。

キタロウさんがラーメンを食べるシーンがあるのですが、あれがねえ、映画史上もっとも嬉しそうにラーメンを食べるシーンだと思います。微笑ましさの極致。あれをかわいいと言わずして、何をかわいいと言えばいいのか。最高。

大笑いするというより、ちょっと微笑んでしまうエピソードが連なっています。ホロッとさせるシーンもありましたが、そこも泣かせようとすれば泣かせられるのだけど、あえてサラッと仕上げています。やたらに泣かせようとしないのがいい。

みないろいろ問題を抱えつつも一つの家族みたいで、ずっと彼らを眺めていたいと思わせる内容でした。これはあえて終わりを作らなくてもいいと思うので、是非二作目、三作目と撮ってほしいですね。ラーメンが食べたくなる映画です。お薦め。 


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author:しゅん, category:-, 17:04
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インク
▼この時期、家庭内の順位が上がる人は多いのではないか。それはパソコンでの年賀状印刷があるからです。このときだけはいばっている。ふだんの家庭内順位は、ベランダで雨風にさらされているアロエの鉢植えの次ぐらいですが、この時期はグーンと上がり、アロエの鉢植えを抜いて98位にランクアップします。早く人間になりたい。おうちに入れてほしい。

で、去年までは年賀状印刷をサクサクッと2、3日でこなしていたが、そうするとこの優位を短期間しか持続できないことに気づいた。ということで、この期間を4日、5日と引っ張ることで優位を継続させる方法を採ったところ、「無能」という烙印を押されました。「無能」て。またしてもアロエの鉢植え以下に。

実際のところ、インクを買いに行くのを面倒くさがっていたら遅れたのだけど。今日、量販店に行ってきました。年末ということもあり、インク売り場は混みあっていた。今はみんなパソコンで作成するせいか年配の方も多い。型番が書かれた紙を持ってウロウロしている人たちがたくさんいた。

わたしはなぜかよく店員に間違われる。店員顔なのか。なんだ、店員顔って。今日もインクの場所を聞かれたので速やかにご案内した。訊ねた方は、すぐにわたしが店員ではないことに気づいて謝ったが、インクの型番を探すぐらいたいした手間ではない。なにせ店員顔であるわたしが悪い。

純正品だと高いのでecoricaというリサイクルインクトナーを薦めた。これはかなり格安である。お孫さんの写真を印刷したが普通紙だとにじんでしまったというのでフォト光沢紙も薦めた。

プリンターの種類によりますが、特にパソコンに接続せずに印刷するタイプは純正品でないと紙をうまく吸い込んでくれない場合があります。だから、紙だけは純正品にしておくと無難かもしれない。そんな話をしていたら、今度はPCを一緒に見てくれないかと言われる。

わたしの数少ない特技として、「ヒマそうに見える」というのがありますが、このスキルがいかんなく発揮された。インクの会計を済ませた後、一階上のPC売り場にご案内した。しかし、PC売り場はすぐ店員が寄ってくるね。インク売り場はインクの整理や店内の飾り付けを優先していて、客が型番の紙を持ってウロウロしていてもほったらかしなのに。

インクは安い物だと一個千円もしない。店の懐に五十円入るのか百円入るのか知らないがそんなに大きい金額ではないというのはわかる。その点PCは一つ売れれば、高い物なら何万も入るのだろう。だからPC売り場に人員を割くというのはわかるのだけど。

だけど、インク売り場で親身に相談に乗れば、PCとまではいかなくても今後その店で買ってもらえるとか、他の物も買ってもらえるということもあるだろうに。結局、そのおじさんはPCの購入は見合わせた。インク売り場で店員が親切に接客しPC売り場の店員に引き継いだら、一台売れたかもしれない。

二十歳ぐらいの頃だろうか、新しくメガネを作ろうとメガネ屋に入った。どうにも目が疲れやすい気がしたのである。店員に視力を測ってもらったが、今のメガネで度は合っているという。目は体調によっても調子が異なるし、特に新しくメガネを作る必要はないでしょうと言われた。

うまいこと言って買わせることもできたはずだが、その店ではそういうことはしなかった。わたしは以後、その店がなくなるまでメガネはそこで買っていた。「『この人から買いたい』と、お客さんに思ってもらうことが大事だ」と父が言っていた。わたしは営業の仕事をしたことがないからよくわからなかったが、つまりそういうことではないか。

うまいことを言って客に買わせることは、一度ならできる。ただ、それはその場限りかもしれない。他にもっと安い所ができたら、そちらに行くのではないか。もし客の立場で親身になってくれる店があったなら、多少高くてもまたあそこで買うかと思ってくれるかもしれない。人件費は高いから、簡単にインク売り場に人を増やせとは言えないものの、それでも困っている客がいたらそれを助けるのが先ではないかと思う。それが結局は売り上げを増やすことに繋がると思うのだけど。

大丈夫ですかね、こんなに正しいことばかり言って。どうしたんだろう。頭の具合がおかしいのだろうか。

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author:しゅん, category:日常, 23:20
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アデランス child of Eden
▼芦田愛菜ちゃんのアデランスのCMが怖い。

バーベキューパーティーを楽しむ愛菜ちゃんとその友人。
「愛菜ちゃんのパパかっこいいね」という友だちに対し、「でも前はこうだったんだよ」と、ハゲていた頃のパパを撮影したスマートフォンを手渡すママ。悪魔のような女である。隠してこそのカツラではないか。CMだから髪のあるなしの比較は必要だけども。

カツラのCMで、使用前後の比較で若い女の子にチヤホヤされるというものはあった。それはいいと思うんですよ。見ているこちらも、「そうまでしてモテたいんか」という微笑ましい感じというか、でも、娘を出してくると別である。

CMの終わりには愛菜ちゃんに「パパ、アデランスにして良かったね」と言わせている。また、別バージョンでは、「(ハゲていた頃より)今のほうが好き」と言わせている。もう、こんなの脅迫じゃないですか。髪がないとかわいい娘に愛してもらえないと言っているようなものである。恐るべし。

まあ、わたしは愛する娘もいないのでいいけど。髪の毛はまだあります。そこは大丈夫。あと5年は大丈夫、と信じたい。

▼child of Edenというゲームがすごいというのを知り合いから聞きました。シューティングゲームということで意外な気がした。現在はシューティングは下火であまり作られていないからです。

youtubeで動画を観たのですが従来のシューティングとはまったく違って見えます。まるでchild of EdenというPVみたい。シューティングだから弾を撃って敵を撃墜するのだけど、弾を撃つ音や撃墜する音が作品の一部になっていて、その音や映像作りに参加しているようです。

・公式トレーラー
プレイしている様子も入っていますが踊ってるみたいに見える。音もいいですし、フルスクリーンで観るといいかも。


・実際のプレイ動画
5分過ぎあたりからだんだんすごくなってきます。
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author:しゅん, category:日常, 21:25
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ラグナロクオンライン