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- パーティー
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2011.10.31 Monday▼おこたを出しました。暖かくて幸せである。コタツに入って蜜柑を食べながらウダウダする。これ以上の幸せがありましょうか。いや、ない。実に野望のない人生。ライバルは猫。あいつらには負ける気がしない。わたしのほうが猫より芸がうまい。
▼ある会社の創立何周年だかのパーティーへ。とても華やかで、わたしのような人間には場違いである。この会場に来るときに見つけたボロい中古ゲーム屋のほうがよっぽど似合う。あそこには住める。
しかし、男性はスーツだからまだ楽なものの、女性はこういう時は大変である。髪を上げたり、ドレスを着たり、いつもとは違う。こういうわずらわしさを大変ととらえるか嬉しいととらえるかで、人生を楽しめるかどうか大きな分かれ道になるような、そうでもないような。
言うことがないなら黙ってろ、をお送りしました。
▼隣のテーブルではTPPへの参加の是非や、中国のあとに大きくなる市場はインドやベトナムであるとか時事問題について熱心に会話が交わされていた。特にインドは英語を話せる人口が多い。アメリカがIT関連の仕事をインドに委託し、アメリカ人エンジニアが失業しているという記事は何年か前によく見かけた。
グローバル化といわれるが、日本は日本語によって守られており言語上はグローバル化しているとは言いがたい。だが、英語を話せる人口が増えることによってこの競争に直面しなければならない時代が来るのだろう。
すると、委託可能な簡単な技術仕事は海外委託され、より高度で技術的な仕事だけが国内で必要とされる。だが、そんな高度な仕事に就ける人材を多数確保できるのだろうか、また確保できたにしろ高度な仕事にそこまで多数の需要があるのか、そしてそこからこぼれてしまった人たちの雇用は保たれるのだろうか。
そういったことが頭の隅に浮かびながら、こちらのテーブルでは別な話題で盛り上がっていた。
「SMのときに奴隷がつける首輪は、ペットショップで売っている物は買わないほうがいい。専門店で買うべきだ」ということである。首輪の内側にノミ・ダニ避けの薬が塗ってある場合があり、それがかぶれの原因になるらしい。なんにでも専門というのはあるのだと感心した。
隣のテーブルから刺すような視線を感じた。こちらのテーブルで、ノリノリでSMについてしゃべっている人がいるからである。たしかにこの場に相応しくない話題である。しゃべっている人は、睨んでいる人に背を向けているのでその視線に気づいていない。よって、聞いているだけのわたしにその視線が向けられている。
睨んでいる人からすれば「おまえもそのテーブルにいるんだから、おまえが注意せえよ」ということなのだろう。しかし、わたしはこのしゃべっている人と初対面なのである。
中学校の頃、体育館に集まったときに「集合が遅い」というので先生に説教されたのを思い出した。あのときの状況に似ている。
その先生はかなり怒っていたのだが、「集合が遅い」と怒りの対象になっている生徒はまだそこに来ていないのだった。もう集まっている集合の良い人間が怒られるとは、人生はかくも理不尽である。そのことをしたり顔で指摘した友人K山は、その体育教師にビンタされた。だいたい、こういうときにビンタするのは体育教師である。人生は理不尽に満ちているということを教えてくれたのだろう。これぞ教育である。単にむかついただけともいう。
話が逸れすぎた。結論として、SMは信頼関係が大事という話をうかがいました。勉強になりました。次はもう少し小声でお願いします。
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- わからない
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2011.10.24 Monday▼仕事を請けている会社にお邪魔した。
男性社員の一人が結婚することになったそうである。彼を囲んで、女性社員二人(いずれも独身)とわたしで結婚相手がどんな人か聞いていた。彼は丁寧で堅実な仕事をする人である。彼が選んだ人だから、相手もしっかりした人なのだろう。
「べつに特技があるわけでもなくて、ごく普通の人ですよ。家庭的といえば家庭的かなあ」
それまで「家庭的」という言葉について考えてみたことはなかった。家事が得意とか、子どもが好きとか、そういうことなのだろうか。よくわからない言葉である。肉ジャガが得意とか、そういうことかな。
一緒に話を聞いていた女性二人は家庭的という言葉を聞いて、納得したようなそうでもないような、曖昧な反応をしていた。なんだかその様子がおかしくて笑ってしまった。
「はっはっは!非家庭的な人たち!」
彼女たちを指差してそう言ったら、そのうちの一人から人差し指をつかまれて、曲がらない方向にギュイーッと曲げられた。ごめんなさいしても、なかなか離してもらえなかった。あれは本気で折りにきてた。目が笑っていなかった。こちらが本気で痛がる様子を心の底から面白がっている。これだから非家庭的な人間は恐ろしい。やつらの血は緑色である。
毎朝、通行人を一人、笑顔でボッコボコにしてから出社しているとか、そんな感じがする。それが日課である。そうに決まっています。わたし見たんです。非家庭的な人間はそれぐらいやります。
▼「わからない」ということについて考えています。
しばしば、わからないことに出会いますが、わからないとはなんだろう。わからないって一つではないように思う。わからないにもいくつか種類がある。
1 知らない
2 手段がわからない
3 何がわからないかがわからない
大別するとこの3つだと思う。1は知識についてである。例えばパンがあるとして、その名前を知らないとか、パンが何かをしらないというもの。これはネットで検索すればわかるようなことである。
2は、パンを作るとして、小麦粉や水、バターなど、パンの材料が揃っていてもどうやってパンを作ったらいいかわからないという手段の話である。つまり、答えが見えているのにそこに至る道が見えないのだ。
3は、問題が見えてない状態である。例えば、いま死にそうな人がいるとする。その人はなんで死にそうなのかがわからない。そして、その人は空腹で死にそうだとする。そうするとパンを食べればよいという答えが導ける。この「空腹である」という死の原因となる理由がわかれば答えはすぐに出てくる。
答えを出すのが難しい問題、それは人間関係だったり、放射能の不安に対してどう行動するかだったり、そういう複雑な問題は3の「何がわからないのかがわからない」というケースではないかと思う。
じゃあ、この3を解決するにはどうしたらいいのか、問題を探すにはどういう方法があるのか、その具体的な手段は何かを考えていた。これを書くと長くなりそうである。まだ人にうまく伝えられるようにまとまっていない。簡潔にわかりやすく伝えられるよう整理できたら、いずれ書きたいです。
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- ラーメン屋
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2011.10.22 Saturday▼スーパーに行った。
幼稚園ぐらいの男の子がダンボール箱を指して、しきりに母親を呼んでいる。
「ママー!オニー!オニー!」
その段ボール箱を見ると「鬼ひび」と書かれている。どうやらセンベイの箱らしい。その子は鬼という漢字だけは読めるようだ。積み上がった段ボール箱を指して「ママー!これもオニー!あっちもオニー!」とやっている。母親はそんなことには慣れっこで、もう飽き飽きしているのか、ずっと先を歩いている。
「ほらあ!早くしないとおいてくよ!」そう一喝されて、すごすごとダンボールの山から離れる子ども。母親を追いかけながら「ママ〜、オニ〜……。ママ、オニなんだよ……、オニなの……」と、しきりにつぶやいていた。そのひとり言はいろいろ誤解されそうである。誤解ではないのか。
▼ラーメンが美味しい季節になった。スープの香りに誘われて、ふらりとラーメン屋に入った。午後5時ぐらいということもあって店内にはわたしの他に客はいなかった。まだ忙しくなる前だからか、のんびりした雰囲気である。アルバイトらしき二十歳ぐらいの男と三十代半ばぐらいの店主が厨房にいる。
店主が麺を茹でながら、そのスタッフに話しかけた。
「この前うちの店、一周年になったんだよ」
「はい」
「来週の日曜に店終わった後、みんなで飲みに行こうと思うんだ。来週、バイトのあと予定空けといて」
「はあ……」
いかにも気乗りしなさそうな返事だった。店主は少しさびしそうだった。
そのバイトの子の気持ちがすごくわかる気がする。ただバイトしてるだけなのに勤務時間が終わったあとに拘束されるとか、面倒だなあという。わたしが学生時代にここでバイトしていたら、やはり同じことを思うかもしれない。飲み会が苦手なタイプだっているわけだし。
だいたい、一周年だか十周年だか知らないけど、それはお前の店の事情でそんなことは知らないよというのもある。
ただ、店主の気持ちも少しわかる。店を開くというのは大変なリスクを抱えている。飲食がひと月いくらで回せるかは知らないが、おそらく2〜300万なのではないだろうか。仮に200だとすると年間ほっといても2,400万かかる。採算が取れない時期のために、いくらかの蓄えは必要である。
しかし、一年分の蓄えがあって出店する人はいないだろう。おそらく手元に500万あれば良い方ではないか。それで店主が仮に病気などで入院すれば、もう店をたたむしかない。また、近くに人気店が開店すれば、もろに圧迫される。そういうギリギリのところを切り盛りし、経営を安定させて、こうして人も雇えるようになった。
店主にとってこの一年は新しいことばかりだし、きっといろんな苦労があったんだと思う。年齢的にも金銭的にも失敗はできない。でも、独立して挑戦しようと店を開き、それでなんとか一年やってこれたのである。
店主がラーメンを出してくれた。
「一周年なんですね。おめでとうございます」
自然にそう口から出た。
「……、ありがとうございます!」
一瞬の間のあと顔を上げて、本当に嬉しそうに笑った。そして店を開くまでの話などを聞かせてくれた。
店主に見送られて店を出た。寒空の下、ラーメンの温もりが残る中、家へと自転車をこいでいた。僕が二十歳ぐらいだったら、あのバイトの子のように一周年と聞かされても何も思わなかっただろう。店はごく当たり前に存続しているものだと思い込んでいるかもしれない。
そんなことを考えていたら、歳を取るってことはなかなか良いことかもしれない、ふとそんなふうに思いました。
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- 「ノリシロのある仕事をしなさい」と、よく言われた
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2011.10.20 Thursday▼仕事をもらっている会社にお邪魔。
打ち合わせも一段落し、給湯室でコーヒーを淹れた。そこへ、つい先日入社した花の女子大生アタシちゃんがやってきた。「花の」て。2011年に「花の」て。定着するまで言い続ける。
で、彼女もコーヒーを淹れ出したが、うっかりカップを倒してしまった。こぼれたコーヒーを慌てて布巾で拭く。そしてコーヒーを淹れなおして、そのまま出て行こうとする。待て待て。布巾を洗ってから行きなさいと姑のごとく説教した。この会社のお局様として見過ごすわけにはいかない。
「先発ピッチャーがマウンドを降りるときには次のピッチャーのためにマウンドをならしてから降りるんだよ。どんな小さな事も、次の人の事を考えてやらないと」
言ってやりました。おっさん特有の野球たとえで。野球をまったくやらないわたしが。バッティングセンターで最低速度80キロの球を豪快に空振りするわたしが。
「野球やってたんですか?」と聞いてくるから言葉に詰まった。
「……、まあ、ちょっとね」
「ちょっとやってたんですか?」
「やってない。小学校のときは囲碁将棋部」
「囲碁将棋!?……、ウフフ。い、い、囲碁将棋って!ツボです、それ!」
ツボってなんだ!笑わせてないよ!自然体だわ。
なんですか。囲碁将棋やる人間が野球を語っちゃいけないと?囲碁将棋部は人間ではないと?そういうことでよろしいでしょうか。
お局様として、彼女をいびり倒すことに決定しました。携帯に将棋の駒ストラップを付けてきて「将棋ほどすばらしいゲームはありません!」と、将棋を崇拝するまでいびり倒す。
なんだか状況がよくわからない。
▼twitpic
悪魔のような犯罪とはこのことか。
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- フライパン
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2011.10.17 Monday▼あたしのためやない、このお腹の子のため!この子のために食べるんやで!と思って食べていたら66キロになった。この子が、大福を、ドラ焼きを、みたらし団子を欲しいって言うから……。この子ったら!キーッ!
▼というようなことはツイッターに書けばいいのでしょうかね。
▼ケーブルテレビでよく宣伝されているダイヤモンドコートフライパンというのを買いました。錦糸卵を焼いて、その広がった卵の下に向けて「フーッ」と息を吹き込むと、卵がぺローンとひっくり返ってフライパンにちっとも張り付きません!みたいなやつである。ご存知ですか?
なんと油をひかなくても、このフーッペロン!ができるという。すごいことである。そして、フーッペロン!がやりたいがために買ってしまった。今まで使っていた溶岩から作ったフライパンもコーティングが剥がれて、そろそろ買い替え時だったというのもある。
で、卵を焼いてですね、「フーッ!」と息を吹き込むのだけどフライパンと卵が張り付いて、なかなかペロンとならない。あと、意外に卵に重量があるということに気づいた。卵とフライパンを箸で一度はがしてやって、そのあとで思い切り「フーッ!」と息を吹きかけると「ペロン」となる。
しかし、これはわたしが求めていたフーッペロン!ではない。もっと、こう自然に箸などを使わずに純粋なフーッペロン!を期待していたのではないか。電話をかけて「すいません!フーッペロンができないんですが!」とクレームを入れようかと思ったが、完全にアレな人なのでやめとく。
フーッペロンて言いたいだけの人、をお送りしました。
耐久性に優れ、キズに強くなったマーブルコートフライパンマーブルダイヤモンドコートフライパ...
価格:1,371円(税込、送料別)
▼カラパイア
ミミズクの恩返し
ありがた迷惑という言葉は、この日のためにあった。
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- 中日 落合監督の交代について
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2011.10.16 Sunday▼野球を観ない人にとっては実にどうでもいいことですが、来期の監督人事について中日球団が落合監督と契約を結ばないことを発表しました。加えて、現在のコーチ陣(森繁和、辻発彦、小林誠二、高木宣宏、田村藤夫、石嶺和彦、笘篠誠治、高柳秀樹、奈良原浩、垣内哲也、勝崎耕世)とも契約を更新しない旨を発表した。
なんとももったいない話だなあというのが、このニュースを知ったときの感想だった。落合監督の実績は言う間でもない。以前に日本一を達成したのが1954年天知俊一監督のときであり、実に半世紀以上たってようやく2010年に落合監督が日本一を達成した。去年までの監督成績はAクラスから一度の転落もなく、3度のリーグ優勝、1度の日本一に輝いている。
これほどの成果をあげながら契約の更新がない。落合監督は成績は良かったが周囲の受けは良かったとは言えない。常々「勝つことがファンサービス」と口にし、マスコミにコメントを出さないからマスコミ受けも悪く、采配や選手起用に疑問を持つファンも少なくない。球団からの評判も良くなかったと言われている。
中日は落合が指揮を執るまでは、勝ったり負けたりというか、優勝争いに絡むことはあるがなかなか優勝できないという時代が長かった。Bクラスでシーズンを終えることも多く、そうなるともう野球自体を観なくなってしまう。今のように優勝争いをするのが当然というのは、ものすごく幸せな状態なのだけど、そのことにファンや球団が慣れてしまったのかもしれない。
西武の森監督が常勝軍団といわれる西武を作り上げたものの、その野球がつまらないと酷評され球団を追われている。どうしても、このときの状況と現在の落合監督の状況が重なってみえる。なぜ成績に申し分のない落合監督を切ってまで、高木さんを迎えなければならないのだろう。勝利にこだわるのなら落合を使い続けるべきである。球団は、中日が黙っていても優勝できるチームだとでも思っているのだろうか。
中日の打率はひどく、最下位の横浜ですら.240なのに、中日は.228である(10/15現在)。他の5球団に大きく水をあけられている。投手陣の頑張りはすごいが、こんな打撃成績で首位にいるというのが信じがたい。これは最下位になって当然の成績である。
加えて選手の高年齢化が気になる。荒木・井端も衰えが出ておかしくない年齢であり、谷繁・和田・岩瀬のベテランはよくやっているものの引退は遠くないはずである。もちろん浅尾・平田・大島などの若手の台頭はあるが、それほど戦力が充実しているとは言えない。
落合が指揮を執ってから当たり前のように勝ち続けてきたが、余裕をもって戦えたということではなく常に全力で走り続けてきた結果でしかない。簡単に勝ってきたわけではない。来年以降が本当に心配である。来年は今年までの蓄積でAクラスになれるかもしれない。だが、再来年以降はどうかというと甚だこころもとない。
落合監督が中日のOBではなく他球団のOBばかり使うというのも、今回の人事の原因の一つと言われている。実際に今回契約を見送られたコーチ陣をみると、わずかに奈良原が中日で1年プレーしたのみで、他のコーチは中日でプレーした実績をもたない。だからこそ良かったのである。コーチ陣をOBで固めて仲良しこよしの同窓会チームにしてしまうのではなく、優秀な人材なら外部から招聘して重用するのは当たり前である。そんなのどこの企業でもやっている。
せっかく優秀な人材を集めて勝てるチームを作り上げたのに、よってたかって台無しにしようとしている。いったい勝つことに、優勝にこだわらないで、何にこだわるのだろう。面白い采配といってもBクラスに低迷してしまえば、結局ファンは野球を観ないだろう。たしかに落合の采配、選手起用はファンの望むものと違うことがよくある。
もちろんその采配のすべてが正しいということはない。間違っていることもあるだろう。成績がまったくあがらない謎外人グスマンを使い続けたのも本当に納得がいかない。だが、それでもチームとしては結果を出している。ほとんどオール5に近い成績の子が、一教科だけ1や2だったして、それがなんなのか。そこを責め立てているようにしか見えない。
結局、采配や勝利などどうでもよいのかもしれない。球団にしてみればコーチ陣もそうだが落合も外様なのだろう。生え抜きの中日のOBを監督にしたいというのが本当なのではないか。だから、落合の後に高木を据え、正直なところ高木監督が成績をあげられなくてもよい。そこそこでかまわない。次に立浪を起用したとき、落合と直接比較されないことを気にしているように映る。どう考えても落合以上の成績をあげることは難しい。
わたしも中日ファンなのでもちろん立浪ファンである。いつかは立浪監督が実現すればという望みはある。ただ、ここまで中日を強くした落合監督、コーチ陣をほとんど追い出すような形の人事というのはどういうことだろうか。恩を仇で返すような中日球団の体質というのが疑問である。
監督やコーチは成績が上がらなかったらすぐにクビになる。では、この人事を行った球団幹部は来季成績があがらなかったら責任をとって辞めるのだろうか。とてもそんな覚悟があるとは思えない。結局こんなことまでして守りたいのは、中日出身という血のようなものか。それによって、勝利を失うとしても。
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- モスキート音
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2011.10.14 Friday▼ずいぶん前にモスキート音というのが流行りました。年齢によって聴こえづらい周波数があることを利用して、コンビニ前にたむろする若者撃退や、学生が携帯の着メロに使い、先生に気づかれずに着信がわかるとか、いろんな使い方がされていました。って、2種類じゃないのか。他にあるのか。
今更ですが、モスキート音を聴けるサイトがあったのでやってみました。15kHz(31歳〜40歳ぐらいの耳)までしか聴こえません。それ以下の年齢のものは、音が流れるさいの「ブツッ」という音しか聞こえない。こういうのは大勢でワイワイ言いながらやるといいですよね。誰は聴こえて誰は聴こえないとか、ワーキャー言って楽しい。わたしなど部屋で一人でやったものだから、どよーんとした気分になりました。
「16キロヘルツは、聴こえないか……。本当に音出てんのかな……。誰かいれば聞けるんだけどな……」などと。16キロヘルツ以下って本当に音出てんのかなー。どうなんだ。
「ちゃんと出てるよ!聴こえるよ!このジジイ!」という方は、わたしに自慢して頂ければ、耳にエンピツを突き刺しにいきます。嫉妬って怖い。
モスキート音設置サイト(ページを開くときに、モスキート音FlashのDLをするためかちょっとだけ時間がかかります。ケーブルで45秒程度)
分類不定気味な日報 様
http://genbusai.blog6.fc2.com/blog-entry-56.html
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- 夢
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2011.10.13 Thursday▼仕事を請けている会社で打ち合わせ。
会議室で待っていたけど時間になっても誰も来ない。以前にいっしょに仕事をしていたTさんがやってきた。どうやら前の会議が少し長引いているという。ヒマそうにしていたら話し相手になってくれた。
お互いの最近凝っていること、他愛もない世間話など、以前はよく話していた。そういう何気ないやりとりが懐かしい。仕事を終えてふと思えば、我々はなかなかよいコンビだったのではないか。
「そういえば、しゅんさん(わたし)が昨日夢に出てきて……」
誰かの夢に出てきたと聞くと、すこしドキッとする。なんだろう。おや、これはひょっとすると告白されるのかな。うっすらとそんな予感がした。そうか、そういう展開もあるのかと、しかしそれほど驚きもせずにそれを受け止めることができた。むしろこんなに静かな気持ちでTさんの話を聞いている、そのことに軽く驚いていた。どこかで、そんな可能性を想定していたのかもしれない。
「会社で二人だけで仕事をしてるんです。わたしは仕事をしているのに、しゅんさんはなぜかお盆の前に載せられた大量の、本当に山盛りのハンコをモリモリ無表情で食べているんです。それが本当に気持ち悪くって!これ、どう思います?」
どう思います?って「知らねーよ」以外の答えがありますでしょうか。それか「今日のところは様子を見ましょう。じゃ、次の患者さんどーぞ!」など。もう話しかけないでください。
▼ホラー映画って誰を対象に作られているのだろう。
怪物や殺人鬼の犠牲者として、いちゃついているカップルが犠牲になることがよくある。ホラー映画であるからにはやはり誰かが犠牲にならなければならない。観客にあんまり真剣に「かわいそう……」と思わせるのもまずい。ざまあみろと思うぐらいがいい。いちゃついているカップルなら、まあ死んでもいいということだろうか。
するとホラー映画をカップルで観る行為はどうなのだろうか。本来なら映画中で殺されてもいい人たちが映画を楽しんでいるという状況になる。かなりメタというか。殺されるべきカップルだからこそ、その犠牲者が自分達のように思えて、より映画に没入できて恐怖を味わえるかもしれない。
友人とホラー映画を観た。そんなことを考えながら観たのは怖いからである。こういうことを考えることにより、怖さから逃れようとした。いい年をした男がホラー映画で目を覆ったり、悲鳴をあげるのはみっともない。そんな情けないマネはできない。かといって「ホラー映画は怖いです。だから観たくないです」とも言えない。言えばいいのだけど。
わたしは仏像のようにうっすらと微笑んで、テキサスチェーンソーの虐殺シーンを観ていました。これ以上観ると、この姿勢のまま気絶すると思いました。映画の内容はまったく憶えていません。このジャンルは向いてないのだろうなあ。
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- 映画のCM
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2011.10.12 Wednesday▼猿の惑星:創世記(ジェネシス)の宣伝をよく見かける。小学生の頃に猿の惑星(初代)をテレビで観て、 そのラストシーンにとても驚いた。映画って面白いと意識したのは、それが最初だと思う。ということで猿の惑星シリーズにはやはり期待してしまう。
今回は宣伝をサッカーの澤穂希選手がやっている。その宣伝で「マイベストムービーです」とコメントされていて、やはり有名人は大変だなと思った。澤選手がそう思っていないということじゃなくて、引き受けたからにはやはり褒めなくてはいけないだろう。
以前に何かの試写会に友人と二人で行った。そして上映後にインタビューを受けた。CMで観客がよく「○○サイコー!」とか「感動で涙が止まりません」とか言っているものがある。まさしく、あれと同じ状況だった。
友人がレポーターに引き止められて感想を求められた。
「最高のマグロを獲ってきて、最高の握りを期待していたら、どういうわけかツナ缶が出てきた気分です」と答えた。いやあ、もう、あのときの現場の空気の悪さはすさまじかった。大気汚染とはこういうことかと思った。友人は、レポーターを置き去りにしてスタスタ歩いていってしまった。人からどう思われようと気にしない人なのだ。
次にわたしにマイクが向けられた。わたしはなんとかフォローしようとがんばった。
「えー、なんというか、可もなく不可もなくというか……、ま、あのー、とても迫力のある演技で、でもちょっと脚本に粗が見えないこともないというか……」
などと煮え切らない話し方をしていたら、レポーターはわたしを置き去りにして次の観客のほうに行ってしまった。ちょっとー、まだ、話してんのに!一応、気を遣ってたから煮え切らないのに!
つまんなかったです!すごく!
鼻血が出るほど!
友人とわたしのコメントは、その後テレビCMで大々的に流れたのである。というわけもなく「○○サイコー!」というありがちなやつが流れてました。そりゃそうである。
サービスとして「○○サイコー!」ぐらい言ってもいいのかもしれないなあ。寿命が縮まるわけでもないんだし。ただ「人生観が変わりました」などという宣伝を目にすると、映画一本で変わってしまう今までの人生とはなんだったのかと思い「たはー」という気分になる。たとえ、最高の映画を観ても、手放しに最高とは言わないような気がする。
「ふむ。なかなか……」とか言いそう。もう誰にも頼まれていない部分で、変に見栄を張っている。こういう頑固さを抱えたまま、僕は生きていくのであろう。完。
出ました。大げさな終わり方。
べつに日記をやめるわけではありません。
▼猫にからむ熊
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- The War2
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2011.10.10 Monday▼ちょっとのつもりが何日間かオンラインゲームで遊んでしまった。
The War2という第二次世界大戦あたりを題材にしたシミュレーションゲームである。ついやってしまったなあ。こういう重箱の隅をせせるようなゲームは本当に得意なのである。神様がイチローに野球の才能を与えたように、わたしにはスーパーやコンビニの惣菜に貼ってあるシールをきれいにはがす才能を与えてくれました。あと、ゲームの才能。神様は何を考えているのでしょうか。
ようは、家を建てて人口を増やし、技術開発をして戦争をするみたいなゲームである。どこに予算をかけて、どの支払を遅らせるかなど、ちょっと会社の仕事に似ているような気もする。会社の仕事はなかなか結果に結びつかないものの、ゲームはすぐに結びつくのでいい。そして、加入した同盟内でもどんどん地位が上昇し、もうトップになってしまいそうである。社会人としてまずい。
同盟員の方とチャットをしたのですが、みな若かった。18とか20である。あまりの若さにクラクラした。年齢を聞かれたので、つい「15です!」と答えてしまった。豪快に20歳もサバを読んだ。もはや犯罪である。おかげで、彼らの話題が全然わからない。流行っているアニメとか漫画とか、学校の話とか。
「家が厳しいから、あんまりテレビ観られない」といってごまかした。同盟内では、いっさいの娯楽を知らないわたしに「修行僧」というあだ名が付けられた。もう、ゲームやめる。
面白いことは面白いです。
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