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- 拉致 映画「宇宙戦争」感想
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2011.01.31 Monday▼ある組織に拉致されて日記を更新できなかった。人を拉致して「仕事しろ!」なんて、キミら何様のつもりだ!
お客様ですね。そうですね。お客様は神様ですから。でも、神様は「納期」とか「締め切り」とか言って、かわいそうな民衆をいじめてよいのでしょうか。ペンのお尻でわたしのほっぺをグリグリして「まだこれだけしかできてねーのかよ。納期、間にあうのかー?」などと、それが神様のやることでしょうか。
民衆の反乱は近い。
▼しかし、一週間も日記が更新できない人生なんて!そんな人生なんて!
それはそれで快適だった。お化粧のノリが良くなった。ファンデのノリがね。ほうれい線も消えたね。
よく知らんけど。
来る日も来る日もPCと向かい合って、気晴らしにラジオを聴くぐらいが許された娯楽だったのです。ラジオ面白いなあ。ペンネームならぬラジオネームが面白い。
「次は、ウンコ食べまくりおじさんからのメールです」とか、ひどすぎる。どうにかならないのか、その名前。
夜中に会社で一人で笑っていた。
孤独。
▼映画「宇宙戦争」 /米 2005年
ある日突然、宇宙人が地球侵略を開始する。トム・クルーズ扮する主人公が娘と息子を連れて、母親の家までワーキャー言いながら逃げていくお話。乱暴だな。
この映画のトム・クルーズは頭が切れるわけでも、飛びぬけた運動能力を持つわけでもなく、普通の港湾労働者である。しかも、離婚をしていて、子どもたちはもう新しい父親に慣れはじめている。子どもたちとは、今一つうまくいっていない。むしろ子どもに舐められていて、父親の権威などとっくになくしている。
宇宙戦争という壮大なタイトルはついているものの、世界各国の政府などが出てくるわけでもなく、主人公が逃げ延びていくのをひたすら追ったごく小さなスケールの物語になっている。
映画「2012」の主人公もそうだった。離婚をしていて子どもがたまに父親の元を訪れる。でも、子どもは新しい父親と案外うまくやっている。これが今のアメリカでは普通の家族なんだろうなと思う。離婚家族とでもいうのだろうか。
これは宇宙人どうこうよりも、苦難に直面した家族の成長物語にみえた。
父親の静止を振り切って、軍と一緒に宇宙人をやっつけに行ってしまう息子。それは親の庇護を離れて自立していく若者のようである。その後、息子は行方不明になるが最後に再会できる。
別れたときとは違って、熱い抱擁を交わす二人。反発していた父親から自立したものの、いざ自立してみたら世間はわりと大変で、そこではじめて父親の大変さがわかったという、そんなふうに受け止められた。
娘役のダコタ・ファニングがすごい。パニック状態になり、金切り声をあげてキャーキャー叫びまくるのだが、まあ、すごく耳障りなのである。宇宙人より怖い。ダコタ・ファニング3人ぐらいいれば、宇宙人、殺れる。地球救える。これ、ほんと。
子どもの聞き分けのなさを完璧に演じている。買い物中にあのヒステリー状態に入られたら、置いて逃げるレベル。
映画としては、えー、ちょっとあんまり薦めない。ストレス溜まる。
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- ヤマモトさん
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2011.01.23 Sunday▼以前に、N氏と制作・運営をしたソフトがある。そのソフトの使い方をおぼえてもらうため、納品先の会社に通っていた。とはいっても、週3日で1日2時間程度である。それも先週で終了した。
終了したので悪口が書ける。これで好き放題書けるというもの。
この会社のヤマモトさん(仮名)という20代半ばの男性社員に教えることになった。本当は、モトヤマさんだけど本名出しちゃうと悪いから。モトヤマに悪いから。
この人、人当たりもいいし覚えも早いのだけど、なにせ遅刻する。9時に会社に行きますね、するといない。わたしはヤマモトさんに教えるために出社しているのだから、やることがない。みんな仕事してるし、youtube観たりブログ読んだりするわけにもいかない。後ろを人が通るたびに難しい顔をして資料を読みふけってるフリをしたり。あれか、手持ち無沙汰の新入社員か。誰か仕事をください。
あ、電話かかってきた。3回鳴ってるよ、ほら、出ないと‥‥あれ、みんな他の電話に出てる?
で、出るか、一番ヒマなのわたしだし。
「はい、○○(会社名)でございます」
思い切って出てみたら、ヤマモトさんだった。
「あれ?なんで電話出てるんですかー。おもしろい!」
おもしろがってる場合か。人が通るたびに、意味なくエクセル開いたり閉じたりしてんのは誰のせいだ。
そんなヤマモトさんだが、上司への遅刻の言い訳はなぜかパチンコ屋が関係する。どうやら彼の家の近所にパチンコ屋があるらしい。パチンコ屋に行列していたので、その行列をよけて駐車場から車を出すのに時間がかかったとか、パチンコ屋がうるさくて前日にあまり眠れなかったとか、社会人としてちょっとどうなのかという言い訳ではある。
今回の電話も、パチンコ絡みの言い訳だった。普通に体調が悪いとかじゃ駄目でしょうか。そんなわけでパチンコ屋を逆恨み気味に憎んでいるヤマモトさんであった。
会社の雰囲気は実にのんびりしていて良かった。女子社員がお菓子を交換してキャーキャー世間話をしたり、なんだかこういうの懐かしいなあ。
そういうことをヤマモトさんに言うと「女の子と話せばいいじゃないですか」と言うものの、仕事でもなく他の人の時間を取ってはいけないと思うし、それは気が引ける。その会社にこれからずっといるわけでもない。
次の日、教え終わって休憩していると女子社員がやってきた。
「あの‥‥今まで気づかなくてすみません」と言うと、チョコを一箱くれた。良かったら一つどうですか?じゃなくて、箱ごとである。ポカーンとしているわたしを残して、女子社員は去っていった。
あれ?ヤマモトさん、何かへんなふうに伝えてない。ひょっとして「あの人がすごくお菓子欲しがってた」とか言ってないか。いや、仕事に飽きたときにちょっと話せる人がいると気分転換になっていいよねぐらいのことは言った。
でも、お菓子がほしい!箱ごと欲しい!とは言ってない。
大人だから。
食べたければお菓子は買うよ。
ヤマモトわかってないわー。伝えかた違うわー。
お菓子をすごく食べたい人と思われてる。恥ずかしくなって汗が出てきた。
喫煙所にいるヤマモトがガラス越しにこちらを見ている。わたしの視線に気づくと、2回小さくうなづいて、親指をグッと立てた。「俺、よくやっただろ?気にすんなって、いいからいいから」みたいな感じである。
違うからね!お菓子が欲しくてしかたがないとか、言ってないから!
CRヤマモト!根本的に間違ってるぞ。おまえ、いつか仕事ででかいミスをする。
でも、チョコは美味しくいただきました。皆様、お気遣いありがとうございます。楽しかったです。
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- エムジェイ
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2011.01.22 Saturday▼先週、友人FがDVDの「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」をレンタルしたと言っていた。2009年に行われるはずだったコンサート「THIS IS IT」のリハーサルを中心に構成されたドキュメンタリーである。
DVDを観るまでマイケル・ジャクソンの曲を一曲も知らなかったFである。だが、先日会ったときには様子が変わっていた。
「エムジェイ(マイケル・ジャクソン)の曲には、愛が溢れてるんだよ。博愛っつうか」などと、語り出した。この前までと別人である。
「マイケル・ジャクソンて『ポゥッ!』って叫ぶ人だよね」と言ってたのに、エムジェイとか言い出した。
「で、エムジェイの曲でどれが好きなの?」と聞いてくる。
「Human Natureが好きかな」
「あー、なるほどー、そっちいっちゃいましたかー」
そっちってなんだよ!オマエこそ、どっち行ってんだ。
上からの感じが、鼻につくわー。
先週までムーンウォークのことを「あの後ろにスーッ、スーッてさがるやつ」って言ってたくせに。マイケル・ジャクソンのことを「ポゥッ!の人」って呼んでたくせに。マイケルが博愛の人かは知らないが、とりあえずFを一回ぶちたい。 ぶっていい?
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- どうしたらいいのか
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2011.01.21 Friday▼えーと、生きてます。
前回あんな日記を書いてしまったので、ことによると死にかけているのでは?とご心配いただいたかもしれません。更新しなかったのは、気が向かなかっただけです。すみません。胃腸だけは丈夫です。
たくさんのお見舞いのメールありがとうございます。
などと書いてみたい。一通も来てないから。
そういえば「割り切った関係を希望します。SF募集です」みたいのは来た。あれか、サイエンス・フィクション募集か。やはりブレードランナーかキューブでしょうか。ガタカもいい。旧東ドイツみたいな雰囲気のSFってのも、けっこう好きです。二度と送ってくんな。
▼先日、テレビで落語を観た。
これは演者ではなくわたしが悪いのだけど、あまりよくわからなかった。その時代の知識がないから、うまく入り込めないというのもある。それに、その時代のもの、例えば吉原を知らない時代の噺家が吉原を語るというリアリティのなさもある。
どうも純粋に楽しめない。見続けていれば、志ん生のやる「火炎太鼓」と、他の人がやったときの違いがわかるかもしれない。その状態になると、無心でそれを楽しむというより、分析という方向になっている。「うまい」とか「見事だ」と表現されるものである。分析的な楽しみ方はもちろんあるものの、それは本当に落語の正しい受け止め方なんだろうか。
本来は、もっと無邪気で純粋に楽しめたのではないか。誰かがころんだときに思わず笑ってしまうとか、単なるバカ話というか、そんなもの芸じゃないだろうと言われると、そうかもしれないんだけど。
伊集院のラジオなどを聴いていると、そういう「ただ、おもしろい」という、後に何も残らないおもしろさがある。落語も最初は、普通の町人相手にやっていたように思うんだけど、何かちょっと敷居が高くなってしまったように思う。
歴史が積み重なり、芸という形になると、つい見事な方向に行ってしまう。見事な方向に行かずに、ただのバカであり続けるのはずいぶん難しい。しかも、落語というのは修練を重ねてのバカなわけだから大変だ。必死にネタを憶えて、それを自分のものにして演じるけど、その修練の苦労をお客に見せるわけにはいかない。
芸になってしまえば、バナナの皮で滑ってころんだとしたとしても「あれは実に見事だねえ」とか「先代を越えたねえ」となる。
だから、バナナの皮でこけただけだって!と主張しても無駄である。もう、見事なんだから。なんか変なふうに褒められる。
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- だいたい大丈夫 タイガーマスク運動
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2011.01.16 Sunday▼朝、小倉トーストを食べた。
小倉トーストとは、パンに小倉餡をかけたものです。店によってはサンドウィッチになっていたり、トーストに餡が乗っていたり、さまざまな形があります。
で、賞味期限が7年過ぎている餡子の缶詰と、4年過ぎているバター(パンに塗る)を使って作ったのだけど、どうも今、気持ち悪くて腹痛もある。 賞味期限がどれぐらい過ぎたらいけないかといえば、だいたい大丈夫なんだと思う。食品にあたって具合が悪くなったとしても、死んでないのでマクロ的に見れば大丈夫なはずである。
今、生きてる‥‥よって大丈夫。大丈夫なはず!
ミクロ的に見れば、あたっているのかもしれないけど、わたしは物事を大局でとらえるのです。細かいことにこだわらずに生きていきます。明日以降、日記が一度も更新されなかった場合、それは大丈夫じゃなかったと言えます。マクロ的に見ても。
お腹、いたい。
▼タイガーマスク運動が流行している。
2、3日前テレビを観ていたら、タイガーマスク運動について児童養護施設に取材をしていた。ちょうどその取材の最中に、一人の青年がやってきた。その青年はごく普通の若者で「すみません。タイガーマスクです」と名乗った。
なんだかちょっと変な感じがした。マスク被ってないのに堂々と「タイガーマスクです」と言ってるあたりが変なのかなあ。マスクじゃないし、と思ってしまう。タイガーマスクは孤児院の子どもに正体を隠すためにマスクを被ってるけど、顔面全開で自分から「タイガーマスクです」となると、こちらも「あれ?」となる。
かといってマスク被ってこられても、ちょっと不審者っぽいのでそれはそれで問題だ。じゃ、普通に「あのー、寄付したいんですけど」となるが、それじゃタイガーマスク運動にならないからなあ。いや、ならなくてもいいのか。べつに。
どう名乗ればいいんだろう。
「あのー、タイガーマスク運動に感銘を受けましてお役に立てればと思い、心ばかりの品を持参したのですが、マスクを被るのも社会的にちょっとどうかと思いますし、でもやっぱりタイガーマスク運動としてやりたいということもあるんで、ただの寄付じゃなくて、タイガーマスクと名乗りたいと思いますがどうでしょう?」
なにこのめんどくさい人。わたしが悪かった。もう「タイガーマスクです」で正解。
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- 双六(すごろく)
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2011.01.15 Saturday▼正月に友人夫婦の家に遊びに行った。
正月からTVゲームはどうかと思ったので、福笑いやすごろくで遊ぼうと思ったのだけど、そういうものがこの家にない。嗚呼、日本の伝統文化はどこに行ったのか。実に嘆かわしい。
わたしの子ども時代は、それはもう正月は朝からファミコンですよ。そして昼もファミコン、夜ぐらいにテレビ。いいかげんにしろと言いたい。
で、友人夫婦の子ター坊に紙とエンピツを持ってきてもらう。
チラシの裏にすごろくを作り始めた。マスに止まると、腕立てとか腹筋、背筋、でこピン、秘密を言う、変な顔をするなどの嫌なすごろくが完成。ター坊は小学校1年か2年なのでまだ「腕」とか「腹」が読めないけど仮名を振っておいた。いざ始めてみたが、けっこうハードだった。
「秘密を言う」にター坊が止まったときは、クラスの好きな子の名前でも言うのかと思って聞いていた。
「あのね、今年はお父さんがボーナスがなかっ‥」
「ストーップ!!おまえ、もうしゃべっちゃダメ!」と、こっちが慌てた。正月から何を言う。本当の秘密を告白してどうする。ミニテロリストがいた。こっちは、好きな子の名前とか、テストで悪い点を取っちゃったとか、そういうゆる〜い球を期待してるんだ。150キロのストレート投げ込んでどうする。
当たったら死ぬぞ、それ。
変な空気になりました。
その後もすごろくは継続したがなにせ疲れた。わたしが止まったマスは、
・腹筋10回
・腹筋10回
・腕立て5回
・腕立て5回
・でこピン
・しっぺ
・腕立て15回
・腕立て20回
だったと思う。そんで最後に「ふりだしに戻る」を踏んで、心を折られた。あのね、上がる前に六分の五の確率でふりだしに戻るってどうなの。子どもってなんであんなにふりだしに戻るを置きたがるのか。ちょっとは考えてほしい。考えておくように!
腕が痛いんです。
正月はそんな遊びをしておりました。昨日、また友人夫婦の家を訪れた。またター坊がすごろくをやりたがったので、刑罰が軽めのでお願いした。ター坊が「今度は僕がすごろく書くね」というのでエンピツを渡すと「腕立て」や「腹筋」「秘密」「変な顔」などの漢字をスラスラと書いていた。
「あれー?やるじゃん?漢字博士じゃん」と言うと「エヘヘエヘヘ」と、締まりのない笑いを浮かべていた。ター坊が遊びつかれて寝てしまった後、ター坊のおかあさんがノートを持ってきてくれた。そこには「腕立て」や「腹筋」などの漢字が一面に並んでいた。
こうやってどんどん自分で考えて成長していくのだなあ。ター坊の成長に少し感傷的になって次のページをめくると「上戸彩」って一面に並んでいた。
怖いわ。ストーカーのノートか。
アホで安心した。
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- 食事会
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2011.01.14 Friday▼食事会に行ってきました。友人A子と、A子の元同僚のMさんという女性、そのMさんがコンパで知り合ったKさんという男性、わたしを含めて4人である。Mさんが、Kさんと二人きりで会うのはまだちょっとということで、緩衝材としてわたしが呼ばれたようである。
「忙しい」と最初は断ってたが、実はヒマだった。なにせ前回の日記なんて2400字弱も書いてるからね!原稿用紙6枚分て。一円ももらえないのに。奇特なお人じゃよ‥‥。そんな忙しいわたしですので、行くのを渋っていたら「美味しいカキが食べられるよ」って言うから。美味しいカキがあるとなれば、もうそれは行く。美味しいカキのためならば人をも殺す。
今回、わたしはひたすらカキを食べていた。話題も「彼女の誕生日を一緒にどう過ごすか」などの苦手分野なので大人しく聞いていた。恋愛の話になると本当に引き出しがないんですねえ。引き出しを開けてもインクの切れたボールペンとホコリしか入っていないし。
Kさんが「夜景のきれいなレストランで、彼女の生まれた歳のワインを開けながら『生まれてくれてありがとう』って彼女に言う」と言ったので気絶しそうになった。わたしはこういうセリフはきっと一生言えないのではないか。後ろ手に縛られて正座させられ、その膝の上に石の重しを三枚ぐらい載せられたときはじめて「う、うまれてくれ‥‥て、あ、ありが」
それほど?そこまでしないと言えないかね。死にかけてますけど。
まあ、人それぞれだからなあ。生まれてくれてありがとうか‥‥。前の彼女とケンカしたときに「なんで生まれてきたの?」って言われたことはあります。あんまりじゃないですか。生まれてきてすみません。真摯に反省し、今後このようなことのないよう、二度と生まれてこないようにしたいと考えております。
その他にも「彼女の歳と同じ数のバラの花を贈る」なども好きだという。
イタリア人なのか。こういうことをやる人って実は案外いるのだろうか。
Kさんは20代後半である。好きな女性のタイプも「ヤマトナデシコみたいな人が好き」というので驚いた。久しぶりにヤマトナデシコという言葉を聞いた。あれは、たしか1970年代ぐらいに目撃されたのを最後に絶滅した天然記念物だ。ツチノコとか異星人のほうが、まだ見つかる確率が高い気もする。
女の人に対する幻想もかなり強くて驚いた。あんまり幻想持たないほうがいいと思うけどなあ。Mさんは美人で、綺麗なかっこうして座ってますけど、背中にファスナー付いてるからね。そんでファスナーおろすと、ちっちゃいオッサンが入ってます。女の人はみんなちっちゃいオッサンが入ってるんです。わたしはそう信じて生きてまいりました。そんなこと考えながら美味しいカキを頂きました。
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- ドラマ「味いちもんめ」 小説「つむじ風食堂の夜」(吉田篤弘)感想
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2011.01.11 Tuesday▼前作のドラマ「味いちもんめ」は、料理学校を出たばかりの板前見習い伊橋(中居正広)が料亭で修行をし、成長していく物語だった。シリーズの最初の作品は、1995年1月に放送されている。実にあれから16年もたっている。今回の放送では、伊橋は立板という役職に出世。京都の料亭「菊花庵」再興のために力を貸すことになる。
主題歌の「ら・ら・ら」(大黒魔季)を懐かしく聴きながら、ボーっと眺めていた。今回も成長した伊橋が周囲と衝突しながらも、努力と根性で乗り切っていく。産地擬装や不景気という昨今のニュースを絡めながらも、根底にあるものは変わらないように感じた。
95年というのはバブル期が91年に終わったとはいえ、まだ景気の悪さを感じなかった。このドラマが懐かしさと共に心地良く感じられたのは、努力すれば良い方に結びつく、困ったときには頼りになる上司や先輩が道を示してくれる、その二つが通用した時代のものだからかもしれない。
今は努力が結果に直結しづらいし、上司や先輩に道を聞いても過去の成功体験がそのまま適用できるでもなく、いっしょにグルグル迷ってしまう。これだけやってりゃ大丈夫!みたいなわかりやすさがない。
景気が悪いというのは、一つの要因だけでなく複合的な要因が結びついて起こっているから、その複雑さを紐解きにくい。その複雑さからの揺り戻しとしての、単純さへの憧れもある。
そんなことを思いながら眺めていましたが、中居さんの伊橋役はピッタリである。適度な調子の良さと血の気の多さを保ちつつ成長してきた伊橋が頼もしかった。いい歳の重ね方をしてきたんだろうなあ、と目を細めてしまったのである。
親か。
▼つむじ風食堂の夜(吉田篤弘)
ちょっと今まで読んだことのない本だった。とてもちゃんと説明できる気がしない。
ストーリーがないわけではない。でも、ストーリーの奇抜さ、謎に惹きこまれる、感情を揺さぶられるとか、そういったタイプの話でもない。
すごく気持ちのよい温泉に入ったとでもいいますか、説明をしようとすれば泉質や効能という方向から説明できるのだろうけど、そういううるさいことは言わず、ゆったりと浸かっていたいのである。
日頃、首がもげて血が噴出すとか、バラバラ死体ばかり出てくるのを読む人は、たまにはこういうのもどうでしょう。実はけっこうグロイ描写もあります。なにせ血で血を洗った第二次広島抗争の話がモデルですから。
ちょっと仁義なき戦いの話が混ざりました。
映画化もされています。しかし、この粗筋があるようなないような話をどうやって映画にしたのでしょうか。DVDも観たいなあ。
温泉てのは、好きな人はよく行くし、そうでない人はまったく行かない。そういう温泉みたいな本でした。これからも、ふと開いてしまう気がする。
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- ハナちゃん相談室
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2011.01.09 Sunday▼友人A子からメールが来ていた。
「仕事に、い!き!た!く!な!いっ!」
なんとも力強いメールである。行きたくない感が凝縮されている。
「そんなことより、お!な!か!す!い!た!」とでも返せばいいのか。どうも40点ぐらいの答え。
今、100点の答えを探し中。そのまま面倒になって寝るだろうから、結果何も送らず0点とみた。
みた、じゃなく送れよと思います。思いますけどもー。
▼友人夫婦の家で鍋。食後に、友人夫婦の子ハナちゃん(小学校3年)が紙にマジックで何か書いていた。それを三角柱の形に折り曲げテーブルの上に置く。「ハナちゃんそうだんしつ」と書かれている。
「相談あるひとー!」と大人たちに声をかけるが誰も返事をしない。皆、あーでもないこーでもないと別の話をしている。と、スタスタとわたしの横にやってきて「相談あるひとー。相談あるひとー」と叫び続ける。しようがなく「はーい」と答える。
「なにかなー?なにかなー?特別に聞いてあげるから話してみなさい」
なにこの、おもしろめんどくさい生き物。
特に悩みもないのだけど、この前の忘年会でちょっと考えさせられた。幼なじみの友人たちとは1年に1度か2度会う。でも、会ったときに何かこう会話がしっくり噛みあわず、ズレのようなものを感じる。
お互いが違う方向を向いて成長してきているし、興味の対象も違っている。共通の話題を探すとなると、どうしても何度もしている思い出話になりがちだ。別々の生活を送っているのだから、一緒に仕事をしている人間とのほうが話が合うのは当たり前かもしれない。
問題なのは、お互いがお互いに対する関心をもうあまり持てなくなっていることだろうか。どうやったら、うまく相手に関心を持ち続けられるのかな。それが悩みといえば悩みである。それをハナちゃんに話した。
ハナちゃんはしばらく腕組みをして考えた後、台所に走っていった。
「おかーさーん、しゅん君が人生に悩んでるー。話聞いてあげてー」
ズコーっ!てなった。おまえが解決するんちゃうんかーい!とニセ関西人になった。まあ、小学生に全力で相談したのもまずかろうよ。
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- ネトゲ 年末年始映画
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2011.01.04 Tuesday▼門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし (一休宗純)
あんまりこういう歌に共感すると、早く死んじゃうんじゃないかと怖くなりますが、うまいこと言うもんである。一休宗純も死からは逃れられずその苦しみの環の中にいるはずなのに、そこからひょいと抜け出して、どこか他人事のようないい加減さがいい。
他にも一休は「心配するな、なんとかなる」という言葉を遺しているようですが、そうなんだよなあ。ならなかったら、そりゃもうしょうがないわけだし。わたしも同じことをよく言いますが、こういうのって、言う人が大事ね。わたしが言うと「ならねえよ!なんとかしろよ!」って怒られる。ずるい。一休だけずるい。
▼ブラウザゲームというインストールしないでできるオンラインゲームがありますが、正月はそれをちょっとやってました。でも作業っぽくてすぐ飽きるし、とにかく時間を食う。もうやめる。
ちょっと大きいギルド(ユーザのグループ)に入りまして、そこの代表とチャットした。
100人以上の組織なので、その管理や揉め事の解決は大変である。他ギルドとの抗争や調整などの外交も重要である。戦争のやり方も複雑で、味方の拠点を記したエクセルをもらった。このエクセルも通常の関数だけではカバーできない複雑さで、VBAという言語を使用して記述してある。
データを書き加えてskypeでやりとりをした。なにこれ仕事?と思った。
もはやネトゲ廃人になるスキルが足りない。
▼年末年始は映画を鑑賞。
・善き人のためのソナタ/2006年 独
善き人のためのソナタは、ここ2,3年内に観たものの中でもっとも印象的だった。
1984年、まだ東西冷戦は終わっておらずベルリンの壁は存在する。主人公は東ドイツの保安省の職員である。監視社会の沈鬱な雰囲気や権力の腐敗、そこに巻き込まれてしまう人の弱さが描かれている。
主人公が上司から命ぜられた監視任務は、国家の安全とは関係なく私的なものだった。大臣のお気に入りの女性を監視するという命令である。守るべき国や組織が腐敗した場合、それは守るに値するものなのか。お薦めの作品です。
・ウェイヴ/2009年 独
独裁制を学ぶ体験授業をきっかけに洗脳されていく高校生たちを描いた映画。
そんなに簡単に独裁制に傾くはずがないと思ってはいるが実はそんなことはなくて、内戦での他民族の排斥など、経済問題、軍事衝突などなんらかのきっかけがあれば、意外と簡単にそちら側に行ってしまうのかもしれない。そういった危うさを自覚していないと怖い気がする。
esなどが好きな人は好きかも。面白かったです。
・2012/2009年 米
マヤ暦の2012年地球滅亡を題材にした天災映画。天災が起こっても、実は自分だけは運良く生き延びて死なないんじゃないか、そう心のどこかで思っていたがこれは死ぬ。こんだけいろいろ起こったら、もう死ぬ。わりと序盤の地震で死ぬ。
友達とワーキャー言いながら観るのがいい。家族愛、自己犠牲、すごいCGてんこ盛りのザ・ハリウッドって感じの映画である。鑑賞後の何も残らなさが実にすがすがしい!
あれ?この映画観たっけ?ってなる。
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