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- web拍手 日本シリーズが放送されなかった日
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2010.10.30 Saturday▼大根(だいこ)引き 大根で道を 教へけり(一茶)
畑で大根を引き抜いている人に道を聞いたら、今抜いたばかりの大根で道を指し示してくれたという句です。 農家の人が「ほれ、それならあっちだべ」と大根で指している情景が浮かびます。
なんの脈絡もなく俳句で始まるという。そんな日があってもいいじゃないか。
▼JUGEMにもついにweb拍手のような機能が実装されました。{love clap}タグをソース中に書くだけなので設置は簡単です。
しかし、拍手アイコンにマウスを乗せると「愛を送る」だか「愛をつける」だかのメッセージ(altメッセージ)が表示されてしまい、ゾワーっとなってやめた。背中がかゆくなった。なんか変なことが許せなくなる。年である。ソース書き換えようにも、モジュール化されて改変不可である。
なので、よそのweb拍手サービスを登録した。
しかし、だんだん頑固になるなあ。あと10年ぐらいしたら誰とも口をきかなくなっている気がする。もしくは、誰にも口をきいてもらえなくなっている。誰か話しかけてください。
▼日本シリーズの1,2,5戦の地上波中継がないというニュースを見た。
そうか、ないのか。ないのだろうなあ。ケーブルか衛星で観るからいいんだけども。
野球人気の凋落というのはここ数年言われていたのだけれど、野球が面白くなくなったのか、野球より面白いものがたくさんでてきたのか、どっちなのだろう。両方だろうか。
野球より面白いものって、特に気軽に楽しめるようなものってたくさんある気がする。野球ってのは、これプロレスもそうなんだけど、ストーリーがけっこう重要な気がする。
ある程度の期間、見続けてないと意味がわかんないというか。
今回、リーグ優勝したのは中日なんですが、そのCSの巨人戦で野本選手が代打で同点ホームランを打つシーンがありました。この一試合を観ただけの人は「誰かわからんけど、なんか打ちよった」ということだと思います。
野本選手は、一年間起用され続けてきたにもかかわらず、残念なことにほとんど打てなかったんですね。わたしはテレビを観てましたが、野本選手には申し訳ないですが、正直なところ「そこで野本を使うのかー」となったわけです。ところが打ってしまうという、ごめんなさいというか、この日のためにあなたはいたのですね!と、すぐ掌を返すどうしようもないファンである。
1年間観続けて、その中であの試合の野本選手の活躍という長い話だったわけである。
今回、中日は日本シリーズに挑んでますが、それはファンからすれば特別でして、2007年の日本一は、リーグ2位通過でCSで1位の巨人に勝っての日本一ということで本当の日本一というわけではないように思う。今回はリーグ1位で通過し、そこで勝ってこそ完全優勝であり真の日本一である。
中日はもう長いこと完全優勝をしていない。
それは、1954年、名古屋ドラゴンズから中日ドラゴンズに改名した年、天知監督の下で日本一になってから実に半世紀以上ぶりのことなのである。わたしが生まれるずっと前の話である。その挑戦の機会がようやく訪れたわけである。
このように、野球はストーリーが重要なわけなのだ。が、ストーリーがいるものってのは、そのストーリーを理解するために多少の期間がいる。
youtubeや、他のテレビ番組のようにストーリーがいらない手軽なものに勝てないのではないか。
それに父親の権威の低下が影響しているように思う。昔いた「巨人戦オヤジ」みたいなのは絶滅したのかもしれない。友人の父親がそうだったが、テレビで野球がやっていたら他の番組は一切観られず野球しか観ない。巨人が負けると機嫌が悪くなりテレビを消してしまい、家族にテレビを観せないという。子どもや妻にチャンネル権など与えないミニ独裁者である。
困った人ではあるものの、やむなく巨人戦を観ているうちに自分も巨人ファンになってしまう仕組みである。今、父親は残業で遅いか、共働きで権威が低下しているか、なんだかもうこういう人がいないような気がするなあ。子どもにチャンネル権ありそうだし。
我々が、街頭テレビで力道山とシャーク兄弟の対決に目を輝かせていたプロレス。まあ、当然生まれてないので、見てきたように言っちゃいますが。
そのプロレスもケーブルや深夜に追いやられてしまった。野球も同じ命運をたどるのかもしれない。
やがては落語や歌舞伎のように伝統芸能になってしまうのだろうか。
「宮本のグラブさばきは、名人芸だねえ」なんて今でも言うが、そういう褒め方にはそっちへ行ってしまいそうな要素がありそうで怖い。
野球に限らず映画でも本でも、特に人なんかそうですが、ちょっとわかりづらいほうが面白いんじゃないかと思います。その理解できるかどうかわかんないものを我慢して見続けるってことが、意外とね大事じゃないのかと。あたしのような棺おけに片足突っ込んだジイ様から、若い方にね、ちょっと聞いていただきたいなと思ったしだいです。
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- 静電気防止グッズ【Anti Shoc】
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2010.10.28 Thursday▼静電気が苦手だ。そんなもの得意な人はいないだろうけど。
会社で使うキャビネットは、よく静電気がバチッとくる。もう、3、4年ほど静電気防止用にこの商品を使っていますがなかなかいいです。スイス製のAnti Shocという製品。これを静電気がきそうなキャビネットやドアノブなどに近づける(5ミリぐらい)と、内臓されたランプを点灯させ、静電気が放電したのが確認できます。
今考えれば、そのほのかなオレンジ色の明かりが、消えゆく会社の命運を暗示していたかのようである。
不吉なことを言うなという。会社はまだあります。かろうじてあります。もう今月辺りまずいかもしれない。
そういえば在職中に、社長が「俺は静電気は感じたことがない」と豪語していたので、社長にこのアンチショックという商品を近づけたらバチッ!とすごい音がした。
「おまえっ!バカッ!やめろ!このヤロー!」と、ビートたけしっぽくなったので笑った。人間でも放電できます。
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- 冬気分 トリックオアトリート
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2010.10.26 Tuesday▼急に寒くなった。秋を経由せずにいきなり冬になってしまったようで、心のほうが冬に追いついてない。どことなく未だに夏気分を引きずっている。暑さで気だるく始終ボーっとして、あまり締まりがないというか。
そこへいくと冬は寒いせいか引き締まる。目指すところは冬気分である。猫がコタツで丸くなって、ミカンを食べながらテレビを観るというような。
同じか。
▼雑貨屋に転職した友人の店では、ハロウィンの日にお客が「トリックオアトリート!」と言うと、お菓子がもらえるサービスをやるそうである。
しかし、いい年をした大人が「トリックオアトリート!」となんの恥じらいもなく言うのは難しい。「うちは実家が寺なのでちょっと‥‥」とか、変な嘘をついてしまいそうである。もしくは「トリックオアトリート‥‥で、いいんでしたっけ?」とか聞いてしまいそうである。かえって恥ずかしいわ。堂々と言えと思う。
このよくわからない妙なプライドにいろいろ邪魔されている気がする。
「トリックオアトリート!」と満面の笑みで言えたなら、アタシ生まれ変われそう!
やかましいわと思う。申し訳ないです。
▼友人Fが買った新品の携帯が壊れたそうである。
「それで頭にきてソフトバンクに電話したんだよ!」と大層怒っていた。Fの携帯はSH(シャープ製)なので、シャープに電話するか、販売店に電話したほうがいいのではないかと思う。ソフトバンクに電話して「孫社長に話がある!」とか言いそうな人である。
あれだな、トリックオアトリート!とか言える人だな。うらやましい。
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- 勝利の女神に見放された殉教者たち
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2010.10.25 Monday▼親戚来訪。
PCの購入について助言した。とくに性能を求めなきゃ、もうノートPCのほうがいいんだろうなあ。増設を必要とするような負荷のかかる作業もないのだろうし。
それはそれは偉そうにアドバイスし、調子に乗ったわたしだ。だが、昼時になぜかわたしの幼少の頃の話になった。昔、オムツを取り替えてやったとか、喋るのは早かったのにオムツが取れるのが遅かったとか、夜泣きがひどくてみんな迷惑したとか。
偉そうにしている小僧がおりましたら、幼少の頃の話をするに限ります。もう、ぐうの音も出ない。ええ、本当にもうその節は皆様にはご迷惑をおかけいたしました。もうその話はやめて。
▼東京大学応援部物語(最相葉月)
東京六大学野球。連戦連敗の東大。そんな彼らをひたすら応援している学ラン姿の応援部。彼らに密着したドキュメンタリー。
そもそも応援部というものが存在するということを知らなかった。わたしが通った大学ではチアガールの練習風景を見かけることはあったものの、学ラン姿の応援部を見ることはなかった。わたしの頃ですら、そういった人種は絶滅危惧種だった。
早稲田戦、9回裏0対19、負けが決定的な状況で太鼓を叩き、声を張り上げる部員たち。野球部が勝てないのは応援部の応援が足りないからだという考え方。
厳しい練習やイベントの準備に忙殺され留年も覚悟しなければならない。
年功序列が絶対で、どんな不条理な命令にも逆らえない。体罰さえ日常的にある。
なによりもつらいのが、どんなに必死に応援してもほぼ勝つことのない報いの無さ。
とりわけ頭の良い東大生がなぜその理不尽ともいえる状況を受け容れているのかが不思議だった。まともに考えれば、野球部が弱いのは野球部のせいである。そんなことはわかっている。わかりきっているからこそ、その報いの無い状況に堪えるために、応援とはそもそもどういうことか、それぞれの答えを見つけようともがく。その答えが見つからなかった者、応援が自己満足ではないかという矛盾に耐えられなかった者、体罰もしくは体制になじめなかった者は応援部を去っていく。
著者が冒頭で応援部員に投げかける質問。
イチロー選手がマリナーズに移籍して渡米する前、日本の球場は鳴り物がうるさくて、観客も騒いで試合を見てくれないと嘆いていたことをあげ、応援そのものが自己満足ではないかと問う。
質問を受けた部員は、応援が自己満足であるという矛盾を解消するのは難しいと答える。
部員の多くが、自己満足であるということを肯定したくないためか、応援の意義を自己犠牲や自己実現、仲間との友情に見出していく。そうでもしないと、なぜこんなに苦労しているか納得できないのだろう。本当は自分のやっていることが無意味だと認めてしまったら、その空虚さに堪えられないのではないか。彼らの考え方は、起こらない奇跡をひたすら待ちわびる信者のように見えた。
応援が本当に選手に力を与えるものなのだろうか。実はそんなことは選手にはたいして影響しないのかもしれない。
もし影響したとしても、それは正しいことなのか。ゴルフやテニスのように競技者が力を出し切れる雰囲気を作るのが本当ではないか。応援によって選手が影響を受けるのはどうなのかという問題も出てくる。なにより、彼らがどれほど熱心に応援しようが東大は勝たないのだ。
もう、応援という行為は単なる自己満足でしかないということを認めてしまって、そこから踏み出せばいいのではないか。選手たちががんばってプレーしている姿にはどうしても惹きつけられるし、つい応援したくなってしまう。それは自然な心情だと思う。
著者は常に乾いた目線で応援部を観察し続ける。取材当初は応援部に対して批判的にすら見えた。しかし、やがてそれは好意的な筆致へと変化していく。それは、応援部の体制や応援についての考え方を受け容れたということじゃなくて、がんばっている彼ら自身を著者が応援したくなったのだろう。たしかにそのひたむきさには、心打たれるものがあった。
ただ、著者も応援というものが何かということについて本書で結論づけてはいない。それは、答えを避けたというよりも応援部員の数だけ答えが存在するということなのだろう。この本が面白いかといえば、正直それほどでもないと思う。だが、こういう人たちがいるということを知ることは無駄じゃないように思えた。
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- 強制挨拶
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2010.10.22 Friday▼友人夫婦の娘ハルちゃんに会う。
小学校2年ぐらいなのに、ずいぶんしっかりしている。右手で頬杖をついて左手で髪を触りながら話す仕草が大人びて見える。話す話題も、クラスの友人の一部とどうも好みが合わないとか、小2なのにもう女っぽい。男の小さい頃は「子ども」にすぎないけど、女の小さい頃は「小さな女」なのだろうか。
帰りは家族揃って、駅の改札まで送ってくれた。別れの挨拶をして改札を通ると、後ろから大きな声で「ばいニャ〜!」というハルちゃんの声が聞こえた。軽くうなづいて行こうとすると、改札のところまで駆け寄って来る。
「ばいニャ〜、は?
返事のばいニャ〜がないよ?」
え?やんの?30越えた男が「ばいニャ〜!」とか言わないと駄目なの?人がみんな見てるのに?
「ば‥‥ばいニャ〜‥‥」
「声が小さいっ!はいっ!ばいニャ〜!」
「‥‥」
「せーのっ!ばいニャ〜!」
「‥‥ばいニャ〜!」
もう許してください。次から見送りは断る。
▼単に印象の話でしかないけど、男よりも女のほうがブログに夢(寝るときに見るほう)のことを書いているように思う。以前に男女何人かで飲んでいたとき、夢の話になった。その話をしたのは女だった。それについて「夢のことを話しても意味がない」と言ったのは男だった。
男のほうがより現実的なことに興味を示す傾向が強いのだろうか。具体的にいえば、仕事に直結するような話を好むというか。男のほうが数字や物の構造についての話が得意にみえるし、女のほうが抽象的なものに意味を見出す能力があるように思う。社会的な役割の差がもたらした結果なのだろうか。
夢というのは曖昧模糊としているから、女のほうがこの話を好むのかしら。
「夢のことを話しても意味がない」という言葉はちょっと面白い。この人には意味があるってことが重要なんだろうなあ。
そもそも意味があるものなんて、あるのだろうか。
星をみて何も思わない人もいれば、星を繋げて星座にする人もいる。花鳥風月が目に入らない人もいれば、それをみて詩を詠む人がいる。意味は「ある」というよりも、そこに意味を見出すことに価値があるんじゃないだろうか。「意味がない」というのは「意味を見つける能力がない」というか、残念だけど仕方がないことである。
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- 肩書き
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2010.10.19 Tuesday▼打ち合わせ前、早く着き過ぎたので街をぶらぶら散策。電柱に貼られた手書きの紙を発見。マジックの太く黒々した文字に勢いを感じる。
「お金借りたい初心者は必見!当日融資可能!こちらまですぐ電話!(携帯番号)」
うーん、リアル肝試しだな。最終的に内臓売らされる。
お金借りたい初心者て。ベテランになってどうする。
▼打ち合わせで4名の方から名刺を頂戴する。
営業本部マネージャー
営業本部ディレクター
マーケティング本部サブマネージャー
営業統括
誰が偉いのかクイズである。胸に1〜4の番号札を、偉い順に貼り付けてきてほしい。以前はわたしも「アカウンティング デパートメント ディレクター」という、得体の知れない名刺を持たされていた。ディレクターといえば直訳で指示する人だけど、特に指示する相手もいなかった。
「請求書発行して!税務署と法務局行って帰りにトイレットペーパーと切手買ってきて!」
「了解です!」
自分で自分に指示を出した。ディレクターなので。
なんだろー。名刺に「雑用」とか「置き物」とか刷っとけばいいのに。なので「ディレクター」という肩書きを見ると、トイレットペーパーを買いに行く人かと思っている。
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- 記念日の鬼っ子 ハロウィン
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2010.10.17 Sunday▼なんだかよくわからないものに、ハロウィンの位置がある。
あの所在のなさというか、どうもクリスマスやバレンタインに比べると薄い。記念日の中でも新入社員的立場であり、 何もわからず、とりあえず飲み会のセッティングぐらいは任されるというか、具体的な仕事がない状態である。
友人A子が雑貨屋に転職した。ハロウィンの日にはお買い上げ頂いたお客様に「ありがとうございました」ではなく「ハッピーハロウィン!」と言わねばならないそうである。言われた客の苦笑ぶりが目に浮かぶわ。誰が得するのか、そのイベントは。言うほうも、嫌で嫌でたまらないらしい。是非、10月31日はその雄姿を観にいく。死んだ魚のような目で「ハッピーハロウィン‥」とか言うのを観にいく。ハッピー感がない。
なんで今一つ盛り上がらないかというと、具体的に何をしたらいいかわかんないからではないか。クリスマスやバレンタインと同じように、意味とかはどうでもいいから、恋人にプレゼントをあげる日とかチョコを上げる日とかにしてしまえばいいんじゃないのか。あげる物が具体的に何かは浮かばないけど。
まあ、カボチャは駄目だな。重いし。菓子でもあげとく?そうするか。そんで、ついでにプレゼントとか買わせちゃえばいいじゃん。で「ハロウィンは恋人と夜景がきれいなレストランで!」とかうたえば、アイツらバカだからすぐダマされる。
ねー!そうだよねー!バカだからダマしていろいろ買わせちゃうもんねー!
犬のフンでも売りつけてみる?魔よけとか言って。買うぜ。
アイツらね「流行」ってつけば、死体でも買うから。マジで!超バカ!と言っている大手広告代理店のマーケティング部長の高笑いなどが聞こえるわ。
幻聴が聴こえてきたわ。ハッキリと。
キーッ!くやしー!その手はくうかー!
被害妄想で、勝手に血圧が上がった。
病気か。
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- 夢アンケート コンパ
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2010.10.14 Thursday▼以前ご協力いただいた夢アンケートの結果です。
テーマ「あなたの見る夢に色はついていますか?」
・白黒 2人(18%)
・フルカラー 7人(64%)
・カラー(単色) 0人(0%)
・日によって異なる 2人(18%)
・夢を見ない・憶えていない 0人(0%)
このアンケートで何がわかったかといえば、この日記を見ている人間は11人(わたし含む)なのではないか。夢については、まったくわかりませんでした。
でも、日によって異なる人がいるとは知らなかった。すごいなあ。ご協力ありがとうございました。
▼仕事が一段落し、N氏と打ち上げ。入った居酒屋では、隣でコンパをやっていた。
わたし:コンパか。いいねえ。
N:いや、そうでもないぞ。
わたし:なんで?
N:全然盛り上がってない。まるでお通夜のような。
わたし:あー。もうすぐ読経が始まりそうな。
N:今にも焼香が始まりそうな。
わたし:今にもタモさんが白紙の弔辞を読み出しそうな。
N:今にも‥‥今にも‥‥、くっ‥‥思い浮かばない!
わたし:フフフ‥‥。ま、盛り下がってるねー。盛大に。
N:こっちからだと、女の子の側のテーブルの下が見えるけど、4人中3人が携帯いじってる。
わたし:うわー。それつらいなあ。「今日のコンパ、はずれだわー」とかメールされてんのかな。
N:あの3人でツイッターやってんじゃないの?
わたし:退屈なう!
N:ハズレなう!
わたし:家で「世界の車窓から」でも観てるほうがマシ。なう!
N:無理に「なう」使うな。
わたし:ま、採点とかされてんじゃないのー。
N:それはやられてるな。「左から10点、10点、9点、10点」とか。
100点満点で。
わたし:つらいわー!亡命考えるわー。祖国捨てるわ。
N:あ、山手線ゲーム始まった。
わたし:無理矢理、盛り上げだした。
N:30越えての学生ノリは見ていてつらいな‥‥。
わたし:あ、終わった。1回で。
N:こっちも負けてられないな。
わたし:やんないよ。
N:山手線ゲ〜ム!
わたし:聞けよ。
N:横溝正史の作品。えーと、八墓村!
わたし:獄門島!
N:悪魔の手毬唄。
わたし:悪魔が来たりて笛を吹く。
N:病院坂の首くくりの家!
わたし:まてまてまてまて。2人で横溝正史は怖すぎる。
N:じゃあ、好きな連続殺人鬼の名前!イェーイ!
わたし:「イェーイ!」ってなるか!怖いからやめろって。あと、好きな連続殺人鬼はいません。
まあ、それからも延々二人山手線ゲームだった。そんで「ある日突然、猫に変身したらどうなる?」とか「世界に自分一人しかいなくなったらどうする?」とか、そんなどうでもいい話でキャーキャー盛り上がった。学生ノリである。学生以下である。
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- 若者の言葉づかい
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2010.10.13 Wednesday▼まるで老人のようなタイトルであるが、この日記は75歳の老人、後期高齢者が書いているのでよいのです。
先日、打ち合わせでお会いした取引先の方の言葉が気になった。それほど堅苦しい打ち合わせではないから「なんか微妙ですね」や「ヤバイですよ」という言葉は、いいかもしれないが「マジ、神だと思いました」というのは、仕事で使うのはちょっとどうかと思った。
先方は20代後半の男性である。同行した50代半ばの社長が、その言葉を聞いてどうなのかと様子をうかがうと「ほんと、神だよね〜!」と、あっさり同意した。「自分から使っちゃったよ、オイ!」と思い、椅子からずり落ちそうになった。
そもそもわたしが喧しく言わなくとも、不適切な言葉は自然淘汰されていくのだろう。たとえ、相応しくない、誤用であると考えても、それを使う人が99%なら辞書にも載る。そうなれば、誤用は誤用ではない。それが正しい言葉になるのだろう。老人の繰り言に過ぎない話である。
▼以前、会社にマイラインか何かのサービスを入れたとき、言葉づかいにちょっと問題あると思える営業の方が来た。電話代が月500円安くなるとかで、本当はどうでも良かったのだけど、少しでも安くなるのならということでOKした。
最初から友達口調でそれが気になったが、その場だけのことだから特に何も言わなかった。彼から渡された書類を記入していると、彼に呼ばれた。
彼がこれから自社に電話をするから、マイラインを引くことに同意したことをわたしから自社の人間に伝えてほしいという。客(この場合わたし)の直接の同意が必要だという。たしかに勝手に引かれてもまずいので、もっともな話である。その説明を彼がわたしにする。
「わたしって、○○システムの小野寺じゃないですかぁ?
だから、いっぺん□□さん(わたし)に代わってもらわないとマズイんですよ〜」
「はぁ?」と言ってしまった。
オマエが、ナニ寺かは知らなねーよ!と言いそうになった。温厚で通っているわたしだが、ちょっと態度に出てしまった。
わたしが殿様だったら、絶対オマエを打ち首にするんじゃないですかぁ?
イラッとするな、この書き方。
ああ、権力が欲しい。権力が欲しい。権力が欲しい。
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- 赤めだか 無能の人
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2010.10.12 Tuesday▼赤めだか(立川談春)
立川談志の弟子、談春の修行時代から真打ちになるまでの自伝。
談志が課す厳しい修行。理不尽な命令。談志という人の思惑や優しさは、わたしのような人間に推し量ることはできないものの、落語家にとっての修行とは、辛く、でもやはりなくてはならぬものなのだろう。まがりなりにも社会の形が整えば、あまりに理不尽な経験をすることも少なくなる。何不自由なく、なんの苦労もなく育てられた子どもというのは、実に哀れなものである。その温室の中で一生過ごせるのならともかく、多くの人間は社会に出なければならない。とくに芸の世界ならば、その厳しさはひとしおである。ならば、師匠が弟子にしてやれることといえば、これでもかという理不尽さや厳しさを弟子に与えてやることではないか。
この本は談春の自伝ではあるものの、それは談志への長い長い恋文のようだった。
「落語とは人間の業の肯定である」
駄目な人間の愚かさを哀れさを認めてやる。やはり談志は厳しくも優しい人なのだろう。
▼元の上司とお会いした。かなり変わった人なので、次の会社でちゃんとやれているか、心配しておりました。無職のわたくしが。
わたしの心配は杞憂に終わり、ちゃんとやっていた。けっこうちゃんとしたところで働いていた。二十歳前に大学卒業(飛び級)という秀才に囲まれ、社内文書は英語、社内公用語は3、4ヶ国語(ベース英語)という地獄らしい。わたしなら、その日のうちに故郷に帰る。
そして、話を聞いてみれば外資でかつベンチャーキャピタル(以下VC)からの出資を受けているということで、かなりかっちりと管理をされている。
自分が何の業務にどれぐらいの時間と経費をかけ、どういった成果をあげたか、それを会社の業務管理ソフトに毎日入力する。そのデータと社の会計ソフトが繋がっているかはわからないのだけど、とにかく財務内容と社員の業務・評価が毎週、VCに報告される。
VC側では、それを見て、この社員はいる、いらないといった評価を下す。今までは、企業は当然ながら社長にすべての人事権があり、株主は決算資料を見ることはできるものの、直接あの社員がいるとかいらないとか、そこまで踏み込んだ評価はしてこなかった。業務内容にしても、誰に余裕があり、誰がいっぱいいっぱいなのか、管理がたやすく、それによって補う削るといった人資源の割当が効率よく行えるということらしい。業務を的確に切り分けることにより、替えがきくようになり「あの人でないと、これはわからない」というリスク回避にもつながる。
突き詰めると、管理職以外はパートアルバイト(それが技術職でも)で運営というのも十分実現可能である。これからの働き方は、コストと業務効率化、リスク回避の面からよりパーツ化するのだろう。替えがきくので、故障したパーツ、無能なパーツはすぐに取り替えられ、株主の意思をより直接的に反映した集団が組織される。そういった組織が勝ち抜くのだ。なんつって。
あ、なんか憂鬱になってきた。
とはいえ、友人が勤める会社の社長のように「アイツは気に入らないからクビ」という、わかりやすい人も困り者。
しかし、これからはわたしみたいな無能一直線のような人間は居場所がないんじゃなかろうか。恐ろしい。わたくしをあなたの会社の隅に、マスコット感覚で置いてみてはいかがでしょうか。お菊人形感覚で置いてみてはいかがでしょうか。二ヶ月に一度、散髪に連れて行ってください。
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