AI生成、感謝と別れ。
こういうのを生成するのだなあ。
それでは、新しい引っ越し先はこちらです!
https://shun-tamagawa.hatenablog.com/
やめんのかい、という幻聴が聴こえてくる。そうだよ、おまえらは地獄の果てまでつきあうんだよ! 私を一人にしないでください。
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突然のクイズ形式。四字熟語、慣用句、和歌、格言などをAIに生成させてみる。これはわかりやすいと思います。答えは日記の末に。
▼11月というのに、蚊がふらふらと飛んでいた。大きなアカイエカで、まだ休眠状態に入ってないことに驚く。アカイエカは冬の間は物陰に隠れて休眠し、春に産卵してから死ぬ。ヒトスジシマカは産卵してから死に、卵のまま冬越しをする。蚊は長くても1年しか生きない。そう考えると退治するのも気が引けてしまう。
そんなことを思っていたら、ちょうどおでこの真ん中を蚊に刺されてしまった。ぷっくりと赤く膨れ上がってかゆい。蚊は産卵するエネルギーを蓄えるのに血を吸う。まだ休眠しないで卵を産むつもりなのか。それとも休眠前の最後の食事なのかな。額を赤くしながら、お世話になっている会社へ。
私の額を見た隣席のTさんはあきれたように「よっぽどボーっとしてるんですね」などという。違います。これは蚊に情けをかけたため。一寸の虫にも五分の魂というではないか。あと、蚊の飛ぶモスキート音がまったく聴こえなかったね。初老なので。ジジイなので。よもや蚊のうっとうしい羽音が懐かしくなる日がくるとは。この無常感、私が俳句をやっていたら一句詠めたのでは。始めようかな、俳句。たしなんでも悪くないお年頃。
▼大谷選手が全国の小学校2万校にグローブ6万個寄贈のニュースを読む(日刊スポーツ)。
1校につきグローブを3個送っており、なぜ中途半端に3個なのかと思ったら右利き用2つと左利き用1つと書いてあったので驚く。グローブはハサミのように利き腕用でないと使いにくい。キャッチボールをするには2つあればいいが、右利き用グローブ2つだと左利きの人はできないため、左利き用の子供のためにも1つ贈ったのだろう。大谷には参謀でもついているのか。よく気が付くものだと感心してしまう。人生8回ぐらいやってないと気が付きませんよ。完璧すぎて怖い。いつか大谷の贈ったグローブで野球に興味を持った人が野球選手になる時が来るかもしれない。
以前、王と長嶋が対談したとき、二人とも世間が求めるON像を演じていたと語っていた。そのつらさは時代の寵児だった二人にしかわからないものだろう。ONはただのスポーツ選手ではなく、子供たちの手本になるような人格まで求められていたように見える。そこまで要求される選手は少ない。だが、大谷は人格まで要求されるその数少ない選手になってしまった。大谷は世間の期待を背負って、完璧な大谷として生きざるを得ないのかもしれない。
大谷の話を4人でしていたが、そのうちの一人が「うちの娘と結婚してほしいわ〜」「わかるぅ、その気持ち!」などといっていて面倒くさかった。全員独身のジジイという地獄みたいな図でしたけど。頼むから、今この床がパカッと開いてローションが塗られた滑り台の上をつるーっと滑っていって、その先に大口を開けたサメが待っていてくれたらいいな、と思いました。私も一緒に食われてかまわない。
▼BSドキュメンタリーで、ISのせいで被害を受けた子供たちの特集を観る。ガザ地区、ウクライナのニュースは多いが、今イラクで苦しんでいる子供たちもいる。ISの少年兵にされ、なんの教育も受けられないまますし詰め状態で刑務所に閉じ込められている子供たちもいる。母親がISの戦闘員から性的暴行を受け、のちに産まれた子もいる。ISは国を去ったが、宗教的戒律が強い地域では性的暴行を受けた被害者が生きていくのが難しい。女性が一人で労働し、子供を育てるのも地域によっては困難だろう。母親の実家は彼女を受け入れるというが、性的暴行を受けて産まれた娘は受け入れないという。その宗教の教えがあまりに残酷に思えた。
母親は娘を施設に預けることを決める。「用事が終わったら帰ってくる」と4歳の娘にいうが、娘は「お母さんは帰ってこない」と答えたという。この子が世の中を恨まずに生きることはできるのだろうか。目の前の子供を不幸にし、何千年前の神の教えを守って、それは本当に正しいのか。どうしてそんなにあなたたちは。
▼AI生成画像の答え「豚もおだてりゃ木に登る」でした。ただ、装備も身に付けてるし、ものすごく積極的に登る豚になってしまった。おだてられて、つい登ってしまった豚とは少し違うのではないか。
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▼AI生成、阪神タイガースの日本シリーズ優勝。
AIは阪神という野球チームは認識しているかもしれないが、それとは別に普通に「タイガー」を生成してしまったのではないか。「とりあえず、虎を出しておけばいいか」というAIの心の声が聴こえる。年賀状の虎みたいなのが出たな。背景に「賀正」と入ってそう。
今年も道頓堀川への飛び込みがあったというニュースを見る。集まって騒ぐのが好きなのだな。イベント全般にいえるかもしれないが、もっともらしい理由があれば、集まって暴れてもかまわないと思っているところにずるさを感じる。めでたいと思ったら、自分一人でふいに道頓堀川へ飛び込んだってかまわない。べつに川でなくてもいい。深夜3時、急にケーキを作り出してもいい。それが心の底から出た喜びの発露であるなら。
部屋に奇妙な虫が出る女こと、虫ちゃん。阪神ファンだという。優勝を観た後、血のたかぶりが抑えられず、近所にある多摩川の河原へいったという。真っ暗で誰もいないことを確認して「うおおおおおお!」と絶叫したのだとか。そうしたら暗闇から「キャッ!」という声がしてカップルが逃げて行くのが見えた。「せっかくの優勝気分が『ちっ‥‥』てなりましたね」って。向こうからすれば、突然おっさんの雄叫びのようなものを聞かされて怖かっただろう。狂人ではないか。群れて暴れる人、雄叫びをあげる狂人、そういう極端なのじゃなくて、もっと普通の喜び方はないのか。
▼Super Auto Pets(パズルゲーム)
とても面白いパズルゲームを見つけてしまった。もう、これはたまらん。あと一回、あと一回と気づけば3、4時間経ってるから怖い。朝までやれる。ルールは簡単なのに、でも複雑な戦略が必要で奥が深いです。かわいいペットを購入しパーティーを組み、戦わせていく。育成要素などはなくトランプやマージャンのように1度で終わるのもよい。10ラウンド勝利すれば勝ち。
ペットは並び順によって、味方や敵にさまざまな効果を与える。ラウンドが進むと強いペットも買えるけれど、手持ちのやつを強化するか、切り替えていくかも頭を悩ませる。勝ちパターンみたいなのを見つけて、そこに向けてパーティーを組んでいく感じがある。引きによっては、狙っているペットが買えないので、うまくチームを組み替えねばならない。無料ですし、スマホもPCも対応してますので。ぜひぜひ。これ、誰かと対戦したいな。Steamでやってましたが手軽に遊べるブラウザ版もありました。ほらやって! 今すぐやって!
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家には使っていない食器が多くある。食器棚を片付けていると柿の蓋ものが出てきた。これはヘタの部分が蓋になっており、中にお新香などをいれることができる。ヘタの造形が細かく、実も鮮やかな橙の濃淡がついており良い品に見える。食器棚の奥に無造作に置かれていたが、家にあるのがもったいない。
先日、柿沢法務副大臣が選挙期間中にYouTubeに有料広告を出すアドバイスをし、それが公職選挙法違反にあたるとして辞任した。この柿の蓋ものはたしか、柿沢さんのお父さんである柿澤弘治さんのパーティーに父が出席したとき、頂いたものだった。参加者に配られたのかもしれない。父は政治家と個人的な結びつきはなかったが、仕事で省庁に行くことは多かった。政治家からもらった色紙などは帰り道に駅のゴミ箱に捨てていたようだが、これは幸運にも捨てられずに我が家に来た。「洒落た物をくれる面白い人だった」といっていたのを憶えている。この瀬戸物は作りがかわいらしくて、子供の頃は食卓でよく見かけた。私も好きだった。使っていこう。
柿澤さんは著作の題名が全部長いんだよな。『永田町一丁目の国会議員は陣ガサをかぶったタヌキといわれる“毎日が選挙戦”に苦しむあわれな選良たち』(1980年)
ラノベではないか。時代を先取りしすぎている。
▼柿沢法務副大臣もそうだが、先日は山田太郎政務官が不倫で辞任した。私は自民党支持者ではないが、不祥事のたびに首相が任命責任を問われると少しかわいそうになる。不祥事を起こせば責任をとって然るべきだが、任命責任とは本当にあるのだろうか。二十歳を超えた人間が何をやろうと、そんなの知らんよというのが本当のところではないか。人が人のことを何もかも理解できるわけがないし、そもそも人を完全に見抜くことなどできない。会社の人事が求職者の人柄を正しく見抜けるなら、世の中にいじめやパワハラもないし、不祥事を起こす人間などいないのでは。人は良い方にも悪い方にも変わる可能性がある。結婚、親しい人の死、病気、さまざまな経験で考え方が大きく変わることがある。常に変化し続けている。任命責任という言葉を使う人をみると、この人は「人は不定で変わることはない」と信じているのかなと思う。それは良くも悪くも、人の可能性を低く見積もりすぎているように感じる。
▼女性の部屋に侵入し女性の下着を洗濯して部屋に干したか…50歳の男逮捕(livedoor News)というニュースを読む。
日々、新しいタイプの変態は現れるのだな。どういう気持ちで接していいのかわからない変態。オリジナリティを感じる。
▼映画『あぶない刑事』8年ぶり新作発表のニュースを読む。
子供の頃、観ていた『あぶない刑事』。タカとユージももう70代なのだな。二人とも姿勢が良い。しかし、年月の速さに震える。衰えた姿を見るのはなにか怖いようだし、元気でがんばっている姿をまた見たいという矛盾した感情もある。老醜を晒したくないという人もいれば、ギリギリまでやりたいという人もいるのだろう。ファンとしては、ただ行く末を見届けるだけ。お怪我なさりませんよう。
▼映画の感想『ウーマン・トーキング』『飼育』を書きました。『ウーマン・トーキング』はある閉鎖的コミュニティで起きた性的暴行事件について女性たちが議論を重ねる映画。人によっては退屈かもしれません。面白かったです。初めて、最初から最後まで英語で映画を観ました。いちいち翻訳しながら観たので6時間ぐらいかかった。原語でみれば、わざわざ英語の勉強をしなくても語学力はつくし、映画が楽しめて一挙両得と思ったのだけど。しかし、そこから邦画とアニメばかり観ることに。なにせ原語で観るの面倒くさかった。リスニングが絶望的。もう怖くて原語で映画を観られない。ブルブル。
『飼育』大江健三郎原作。戦時中、捕虜にした黒人を村の蔵に監禁する話。人間の嫌な部分をこれでもかと詰め込んだ作品。重苦しいですが良かったです。
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一人だけやたらに気合が入った人が生成されてしまった。googleで「ハロウィン」と検索すると、緑色のおばけが画面下からわいてきた。いろいろやっているのだな。
出木杉君は、今日ある個人商店に入ったらハロウィンキャンペーンをしていたという。会計の際「トリック・オア・トリート!」ということで値引きしてもらえるという。だが人見知りな出木杉君は「そういうのいいです‥‥」とうつむいて拒絶したものの、店主は「なんで? いえば値引きですよ! はい『トリック・オア・トリート!』」「いや、定価で買うんで‥‥」と押し問答があり、たいそう険悪な雰囲気になったという。
楽しいはずのイベントで何をやっているんだ、君らは。
▼10月の初旬に掌の皮がむけてしまいボロボロになった。子供の頃は季節の変わり目などにたまになることもあった。2,3週間ほっておくといつの間にか治っていたように思う。人に伝染ることはないのでいいが、それでも買い物でお釣りをもらうときに恥ずかしい。店員さんにも申し訳ない。おお、まさに今、QOLがぐんぐん低下しているなと如実に感じられた瞬間だった。案の定、3週間ほどほっとくと治った。たまにちょっと不自由な目に遭うと、いろんなことに気づけていい。
目をたくさん持つというのが柔軟な思考に繋がるのではないか。営業の人は営業の、事務の人は事務の、それぞれの考え方、目を持っている。これは部署や役職だけではなく、病気をしても、新しい資格・趣味を始めても、旅行に行っても、外国語を習得しても、いろんなことで獲得できる。いくつも目を持つことが面白いことの発見にも結び付くように感じている。とはいえ、手の皮がボロボロになって獲得する目はいやだけれど。
▼SNSを見ていたらトレンドに「セカンドパートナー」という言葉があった。検索すると「結婚相手の他に、恋愛感情があって肉体関係をもたずに愛情を深めていく関係の人」と説明されていて困惑する。清い関係らしいが、まだ何もしてないだけで浮気相手になる前の段階という気がする。すぐ浮気相手に進化するのでは。なぜこの言葉がトレンドになるのか。いよいよ人の世がよくわからない。
会議室にゴリラ部長が入って来るなり「セカンドパートナーはおろか、ファーストパートナーもいない皆さ〜ん。お元気〜?」と煽ってきた。入室後1秒で部屋全員を敵にまわしていたからすごい。わたしは「こうした人間のケツの穴につっこむ鉄の棒は、何度に熱するのが正しいですか」とChatGPTに訊いていた。AIはなんでも知っているのだ。
「申し訳ありませんが、そのような不適切な表現には応じることができません。ここでは文明的な言葉遣いを守るようにお願いいたします。」
AIちゃんに野蛮人といわれたので態度を改めたい。「肛門に熱した鉄の棒を差し込む場合、何度が適当ですか?」と質問を変えてみる。適切な医療機関か専門家に相談しろといわれる。専門家ってなに。反社?
▼よく眠れる体操を教えてもらう。眠る前に立ったまま、かかとをあげて落としてというのを20回繰り返すらしい。それだけで寝つきがよくなるという。ふと思えば、私は眠れないということがまったくなかった。一応20回いわれたとおりやってみたものの、まったく疲労もしないし負荷がかかっていない。これでいいのかなと思う。ちょっと不安になったので200回やってみた。翌日、歩くのが少したいへんなぐらいふくらはぎと膝の裏が筋肉痛になっている。筋肉痛になるの、なんだか少し楽しいんだよな。ささやかな幸福感を味わう。
▼百均などで見かけるたび、ちいかわのフィギュアを少しずつ買い揃えている。特に揃えようとも思っておらず、適当に買っていたら表情が違うことに気づいた。せっかくだから笑っている顔をと思っていたら、いつのまにか15個ぐらい買っている。そうすると今度は部屋に飾るコレクションケースのようなものが欲しくなる。CDを収納していた黒いケースに入れてみると、牢屋に入れられたちいかわ達のようになってしまった。何か違う。
どこかで男の趣味は同じ物(ミニカー、トレーディングカードなど)をひたすら集め、女の趣味は人形などを買ったら人形の住む家、家具、服、ペットなど周辺を充実させていく傾向があると聞いていた。男は狩猟本能に従ってむやみやたらと収集し、女は家を充実させていくという。そうやって男女の役割分担、将来の準備をしている。それを聞いたときは、そんなものかなと思ったが全然違うのではないか。
黒い床にちいかわ達が置かれているのを見ると、なんだか寒々しいんですよ。カーペットも敷きたいし、箪笥ぐらい置きたい。ちゃぶ台を置いて、みんなで美味しい料理を食べている図が見たい。周辺を充実させて当たり前なのだ。そうでないと、みんなして牢屋に入っている感じが出るから。そりゃ飾るでしょうよ。
周辺グッズを検索するとドールハウスというのがある。おでん屋やたこ焼き屋などがある。これにちいかわを配置したい。いや、しかし、この分野は、はまるととんでもないことになりそう。際限がなさそうだし危険な香りがする。ここまで本格的でなくてもいい。とりあえずカーペットとちゃぶ台、ピザなんかがあればいいんだ、私は。今後、少しずつ周辺を充実させていく。
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AIについての本を読むとよく出てくるのが、AIに大学受験させようとして国語の問題が解けなくて断念した話。AIには常識がなく、常識がなければ国語の問題が解けない。その逸話を思い出した。私たちは無意識にいろんなことを学習し、常識を身につけている。そうでない人もいますけど。この絵を見て「そうか、AIは常識なかったな」というのを再確認した。この常識の数が膨大で、とても教えられる量ではないという。
キャッチャーが右側にもう一人いるとか、選手の数が多いとか、球場が割れてるとか、変なところにポール(通常は両端にある)が立っているとか、バッターボックスの書き方が違うとか、野球を理解していない。そもそも、バッターが変なかっこうで飛んでいる。AIは、うっかりすると「できる子なのではないか」と思わせてくるが、たまにとんでもないものを見せつけてくる。やっぱりできなかった。あまり信用せずにいきたい。
▼「ハロウィーン目的で渋谷駅周辺に集まらないで」区長が呼びかけ(NHK)というニュースを読む。
ちょっと前から区長がしきりに呼びかけているから、今年は仮装した人たちは渋谷に集まらないのだろう。ということは、それでも渋谷にやって来るのは選ばれしアホウということになる。純度が高いアホウが集う。それはそれで見てみたい。蟲毒のような光景になるのでは。蟲毒というのは、壺の中に大量の毒を持った生き物を閉じ込めて共食いさせ、最後に生き残った一匹を呪術に用いるやつである。わくわく。渋谷という壺の中で最後に立っているアホウは誰か見に行きたい。街頭カメラで中継してくれんか。
▼鎌倉の海水浴場のネーミングライツが終了するというニュースを読む。2013年に、鎌倉市は由比ガ浜海水浴場、材木座海水浴場、腰越海水浴場に名前をつけられるネーミングライツを売り出した。鳩サブレ―で有名な豊島屋が2023年度までの10年間の命名権を落札したが、住民に親しまれた名前だからと変更せず、そのままの名前で使用した。もう、ネーミングライツの正解が出てしまったな。元の名前を維持する以上の付け方は存在しないように思う。私もアラブの石油王に生まれたならやってみたかった。今後どんなすばらしい名前がつけられようと「まあねえ‥‥」としか、ならないだろう。そりゃあ、こんな粋な付けられ方したら地元の人は鳩サブレ―を買わずにはいられないでしょうねえ。
ネーミングライツの発祥を調べると、1973年にリッチプロダクツコーポレーションという会社が、アメリカンフットボールチームのバッファロービルズのスタジアム名称を1500万ドルで購入したのが始まりらしい。ネーミングライツっていかにもアメリカ人が考えそうな仕組みだけど、やはりアメリカだったな。名前を売るとはなかなか考えつかない。魂の売り方のレベルが違う。今に自分の子供の命名権とか売り出すし、親の墓石に派手な電飾で広告を入れ出す。アメリカ人はそれぐらいやる。
鎌倉の話に戻れば、鎌倉市は2024年度からの海水浴場のネーミングライツは募集しないという。ホッとしたような残念なような。豊島屋のあとに購入した企業が、変な名前をつけようものならイメージダウンは必至に思える。なんのために買ったのかわからないことになってしまう。でもどこかに買ってほしかったというのもある。ビッグモーターあたりが買って「ビッグモーター海水浴場」とかにして鎌倉市民からメチャクチャにぶっ叩かれたら面白かったな。そもそも買う動機がないですけど。
▼お世話になっている会社へ。部屋に奇妙な虫が出る女こと虫ちゃんと、タコ焼きパーティーの材料を買い出しにスーパーへ行く。都心は、私が暮らす多摩西部と物価が違うのだろうか。トマトが220円、大根・キャベツが350円して恐れおののく。「ねえ! 見て見て!」と大騒ぎして虫ちゃんにあきれられる。いや、高いでしょうよ。私の心の故郷、業務スーパーなら大根は高くても198円で買えるはず。
会社に戻った虫ちゃんに、みんなの前で非難される。「本当に恥ずかしかったですよ。大声で『見て、このコーヒー! 子犬のションベンみたいな量で350円!? 狂ってる!』って」。確かにいいました。しかし、女性の前で「ションベン」というのはどうかと思い、私は「オシッコ」とかわいらしくいったのだ。盛らないでほしい。なんなら普段は「お小水」というし、お手洗いに行くときは「花を摘みに行く」という。そのぐらい奥ゆかしく生きているのに。子犬のションベンだなんて、そんなあなたお下品な。
タコ焼きパーティーでは、まったく接点のない人とも話せてよかった。経理の女性Dさんは最近、離婚したばかりということだった。彼女が離婚した原因は睡眠が好きすぎるという理由だった。何よりも寝ることが好きで、一日十時間ぐらい寝たいという。二刀流の大谷選手も疲労をとるために10〜12時間ぐらい寝るらしいが、Dさんはまったくホームランを打たないし、160キロも投げない大谷である。ただ寝る人がそこにいる。
元ダンナさんは、そんなDさんに「まったく向上心がない」と愛想を尽かしたという。スキルを上げたり、資格をとったり、常に向上しようというのは立派だけれど、まったく努力したくない人もいていいように思う。もはや、そのやる気のなさは許されないのだろうか。どちらが正しいというわけではなく、向いている方向が違っただけなのかもしれない。寝すぎて離婚は新しい。
ゴリラ部長と話す。娘さんが絶賛反抗期中とのこと。わくわく。お小遣いやお年玉を好きなユーチューバーへのスパチャ(投げ銭)に無計画につぎ込んでしまうのだとか。「はっはっは! 親に似て愚かな娘。おおいにけっこうなのでは」といって首を絞められる。
近年「推し」という言葉を聞くようになった。「推し」という言葉ができる前「推し」はなかったかといえば、そうではないように思う。キャバクラやホストの常連、相撲のタニマチ、パトロンという言葉もあった。さかのぼれば歌舞伎役者や遊郭の女郎には贔屓があった。昔と違うところがあるとするなら推す側の財力か。推す側にはお金があった。ところが今は少額でも推すことはできるため、推される側のほうが明らかに豊かである。古川財閥の当主、古川虎之介は第二十八代横綱の大錦大五郎に80万円(現在の価値で30億円相当)の土地を送っている。それに比べれば小遣いやお年玉をユーチューバーへ貢ぐなどかわいらしい。
そもそも小遣いというのは適当に使って痛い目をみるのが目的のようなもの。自分の無計画さを反省し、本当に欲しい物が買えず「ぢぐじょお〜」と七転八倒、布団の上でゴロゴロ転がって足をバタつかせて涙する。それで計画性を学ぶのだから、スパチャおおいにけっこうなのだと思う。なにせ、ゴリラ部長が必死に稼いだ金がスパチャに回っているのが愉快。
ゴリラ部長は「俺たちの子供の頃はあそこまでバカじゃなかったよな」というが、はて本当だろうか。子供時代、キン消し、カー消しにお金を使うのを、親はどう思っていたのだろう。「消しゴムなんか何個もあってもしょうがないだろ」と思っていたんじゃないのか。いわれたことはないけれど。インターネットやスパチャという仕組みがなかっただけで、あれば私たちも小遣いをスパチャに費やしたようにも思える。そこから闇バイトやパパ活にいくのは問題だが、小遣いのどうしようもない使い方で後悔するのは、社会に出てから痛い目をみない予防接種に思える。まあ、その予防接種が「よくわからないカップルユーチューバーへのスパチャ」と聞いたときは、さすがにちょっとかわいそうになりましたけど。たしかにその使われ方はしんどい。
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普通は1年に1回だが、3回も咲いたのは初めて。10月中旬でもまだ咲くのだな。ゾンビのように何度もよみがえる。もうちょっと、きれいなたとえをするように。
▼AI生成、よくわからない幻想的できれいなやつ。
よくわからない幻想的できれいなやつを作ろうと思ったらAIに限る。
▼朝から外出。小学校低学年ぐらいの男の子とエレベーターで一緒になる。「お母さんが『もう、ご飯作るの面倒くさい!』っていうから、今日の朝ご飯、栗だけだった。でも栗好きだから嬉しいし、いつもよりおいしかった!」と一息にまくしたてた。「栗、おいしいよね」というと「うん。食べ物の中で一番好き! 行くね!」と返ってきた。エレベーターの扉が開くのも待ちきれない様子で、男の子は元気に駆け出していった。まぶしい。すまんがその石をしまってくれんか‥‥わしには強すぎる‥‥というラピュタの爺様の気分。
外に出るときは無意識に心に鎧のようなものをつけ、自分を守っている気がする。でも、ごくたまに心が開いている人と接すると、そのまぶしさに圧倒されてしまう。だが、おまえは誰なんだ、というのもある。完全なる初対面の子。
▼昼、テレビを見ていると姫路城を取りあげた番組がやっている。城郭考古学者の千田先生が出演していた。千田先生が城を語るとき、とても嬉しそうで早口になっている。自分が一番楽しそうというのが、もっとも重要な教育者の資質に思える。勉強しろとか、本を読めとか、そんなことをいわれるよりも、楽しそうにしているのがもっとも学習に効果的なのではないか。「こんなに楽しそうだから、この学問はさぞ面白いに違いない」と思える。
千田先生は、入り組んだ姫路城の通路を説明する際「ほら、この角にいると、こっちから岩を落とされるし、あっちからは背中を撃たれちゃう。もう撃たれ放題なんですよね!」と興奮している。撃ち放題ではなく、撃たれ放題。やられる側の視点で興奮するのが千田先生。殺されるのが大好きなんだよな。千田先生の奇妙な性癖。観ていてとても楽しい。
▼テレビを観る時間が本当に減ってしまった。つまらないのではなく、放送されたものについていろいろ考えを巡らすのが面倒なのかもしれない。純粋に楽しむより、ちょっとしたことが気になってしまう。
先日、テレビをつけたらアニマルコミュニケーターという外国人の女性が出ていた。初めて聞いた職業。ペットとコミュニケーションをとってペットが考えていることを飼い主に伝えられる。それは遠隔でも可能で、ペットの写真があって名前がわかればペットの考えていることがわかる。またすでに死んでしまった天国にいるペットとも交信できるという。アニマルコミュニケーターの女性と話した滝川クリステルさんや具志堅用高さんは涙を流していた。インチキではあるけれど、こういうのもありなのかなとも思う。かつては「口寄せ」といって死者の言葉を伝えるイタコがいた。遺族がイタコと話すことで慰められることもあっただろう。イタコはさすがに信じられないが、アニマルコミュニケーターはギリギリ信じられるという人もいるかもしれない。
ペットから「自分と過ごせて幸せだった」そういってもらいたい飼い主の心情はわかる。でも何か嫌なものを感じたのは、アニマルコミュニケーターの人が、自分を信じさせようとしていることだった。具志堅さんのペットの部屋の間取りを「三方向から光が入って、白い部屋でカーテンがあって」などといい当て、「どうしてわかるの?」と具志堅さんを驚かせていた。部屋はだいたい二方向か三方向から光が入るものだし、壁紙の多くは白か灰色で、カーテンはあるのが普通のことだ。他にも部屋には飼い犬の絵があって、その絵は首から上のものだといい当てていた。テレビ局の人間から聞いたのか、どうやって当てたのかはわからない。でも、ペットの部屋の間取りとか、犬の絵が飾ってあってそれは首から上のものであるとか、そもそもいう必要がない。信じさせようという下心が透けて見えるようで嫌だった。ただ、ペットが飼い主のことを愛していたと伝えてやれば、それだけで飼い主は救われるのではないか。
超能力や占いなど、遊びで楽しむ分にはもちろんいいが、あまり真面目にやるのもどうもなというのがある。テレビ局がこういったものを放送するのも、あまりいい気はしない。いちいちこういうことが引っかかるというのは、私の今の精神状態がよくないのではないかと心配になってしまう。
アニマルコミュニケーターを検索すると、いくつか資格が出てきたので驚いた。科学的根拠がないので、もちろん国家資格ではない。受講料もけっこうな値段をとり、100万円近くかかるものもある。資格ビジネスの一つなのだろう。こんなインチキを資格にしようとして、と嫌な気分になる。頭がよくてモラルがない人はどこにでもいる。やはり人類は滅ぶしかないのだと気持ちをあらたにした。滅ぼそう人類! これをスローガンに生きていく。
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AIで地獄のマスコットキャラを生成。地獄ちゃん、かわいや。これはBingイメージクリエーター(DALL・E3)を使いました。どれも似たような感じで、どこかにいそう。
少し前は画像生成だけだったが、今は生成したものを動かす人たちもいる。同一のキャラクターを生成し、それをパラパラ漫画のように動かしているだけだと思うが、いずれは好きなように動かせるときがくるのかも。AIが生成したアニメを観る時代がくるのはそんなに遠い日ではないかもしれません。
AIを使用しない日は、もうなくなっている。何かしらで頼っている。イスラエルとパレスチナ問題を理解するため「本や映画を教えて」と頼んだ。
あっという間に4つの作品を挙げてくれた。さすが。ちなみに一番上の『パレスチナ問題』だけは存在するが、残り3つはでたらめで、そんな作品はなかった。おいいいいいい。大嘘つきではないか。ほんと、しれっと嘘をつくからなAIは。結婚詐欺師とか向いてると思う。
AIで翻訳するのも当たり前になった。だが、最近はちょっと人間を舐めてきているのではないか。
どうも信用できないところがある。「Why not」は「なんでだよ」ぐらいはいいとして「なんでやねん」は、いきすぎでは。AIから試されているのを感じる。
▼お世話になっている会社へ。部屋に奇妙な虫が出る女こと虫ちゃんは、会社でのタコ焼きパーティーを企画していた。前にも1度やったような。CCで届いたメールを見ると、メンバーの中に卑屈くんの名前だけがなかった。理由を訊くと「どうせ参加しないのわかってるから」ということだった。でも、誘われて断るのと、はじめから招待が来ないのはまったく違う。のけ者にされているように感じるかもしれない。出ない人間だって、きちんと誘われて断りたいものだと思う。小さなことで人間関係はこじれる。卑屈くんにもメールした方がいいと伝えると「え〜、めんどくさい」といいつつ、虫ちゃんは卑屈くんにあらためてメールを送ったようだった。この二人は元からあまり相性がよくない。
卑屈くんが「タコ焼きパーティーのメール見ました?」と私の所にやってきた。うなずくと、ちょっとメールを見せてほしいという。卑屈くんは私宛のメールを確認すると、にやりとした。「いやあ、しゅんさん(私のこと)のメールはCC(指定したメンバーに一斉送信できる機能)じゃないですか。僕宛にはなぜか、CCじゃないメールなんですよ」と、やけに嬉しそう。卑屈くんは、虫ちゃんが好意から卑屈くんにだけ特別にメールを送ったと勘違いしているようだった。CCか、普通のメールか、やけに細かい所に気づくのが卑屈くんの怖さであり、面倒くささであり、オタク特有の思いこみの激しさともいえましょう。私も気をつけよう。
どう説明したものか、いやこれは説明しないほうがいいのか、と迷っていると卑屈くんが畳みかけてくる。「あれ〜、しゅんさん、ひょっとして嫉妬ですかあ? みっともないなあ。でも僕、虫ちゃんはタイプじゃないんですよ。メイドコスプレとか似合わなそうだし。申し訳ないけどごめんなさいって感じですかね」などといっている。卑屈くんは満足そうに去って行った。アホでよかった。
でも、何か頭にきたので虫ちゃんに「卑屈くんに勝手にフラれてたよ。ウケケケケ」と伝えると、虫ちゃんは激怒していた。ギャルがオタクにフラれるのはプライドが許さないのかもしれない。しばらくして卑屈くんから「最近虫ちゃんの当たりがきついような気がするんですけど‥‥たこ焼きパーティー断ったからですかねえ‥‥」と意気消沈していた。申し訳ない。結果、こじらせてしまったな、私のせいで。
私は今回の件を全員にそれぞれ責任があって、みな1/3ずつ悪いと評価しました。これをAIに入力し、責任の比率を出すように求めました。文中のAが虫ちゃん、Bが卑屈くん、あなたが私のことです。
「この状況を分析すると、それぞれの関与度は以下のようになると考えられます。
Aさんの責任:Aさんはタコ焼きパーティーの幹事であり、連絡を送る責任があります。しかし、Bさんにだけ個人宛のメールを送ることで誤解を招きました。また、自分がBさんを好きではないことを知りながら、Bさんにメールを送ったことは状況をさらにこじれさせました。そのため、Aさんの責任は高いと言えます。
Bさんの責任:BさんはAさんに興味がないことを示唆しており、Aさんが自分に好意を持っていると勘違いしていたことが明らかになりました。そのため、Bさんはその誤解を解く努力をしなかったことが一因となっています。
あなたの責任:あなたは状況を解決するためにAさんにアドバイスを与えましたが、Bさんに個別のメールを送るようアドバイスすることで、誤解を招く可能性があることを考慮していませんでした。
したがって、責任の比率は次のようになります。
Aさんの責任:60% Bさんの責任:30% あなたの責任:10%」
ですって! AIが複雑な状況をそれなりに理解することに驚いた。状況が少し違うところもあるのだが、一応納得するところもあった。虫ちゃんに「虫ちゃんが6割悪いって!」と伝えると逆切れされ、私が100%悪いといわれた。そんなばかな。これだから人間は駄目だ。AI大岡越前みたいなのに裁かれる時代がもうそこまで来ているのかもしれない。あと、二人の関係は険悪なままです。元から険悪だったし、しょうがないな! はーい、この件は大岡裁きにより一件落着。めでたしめでたし。
▼映画の感想に『オバマ元大統領が選んだ今年の作品』を追加しました。観る物が思いつかないとき、誰かのお気に入りを参考にするのもいいかもしれません。なぜオバマなのか。それは私もよくわからない。そういう気分だったとしか。しかし、これだけの数のお気に入り映画を挙げるということは、観ている総数はこの5倍とか10倍になると思う。オバマ、実はヒマなのか。そうなのか。
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やや早いがハロウィンの画像を作ってみた。この画像を生成したプロンプトは下のもの。
絵文字でも画像生成できるのだな。「Happy Halloween」を入れなくても似たような画像が生成された。驚いたけど、内部的に絵文字を「candy,candy,pumpkin,moon,ghost……」などと変換しているだけで、とくに驚くような話ではないのかもしれない。それより、どこにも「girl,woman」と入れてないのに女性が出力されるほうが不思議かもしれない。良かれと思って勝手に女性を入れてくる。AIにはそういうところがある。反省してほしい。
▼半年に一度ぐらい、この日記の感想をメールでくれる中学生がいる。ずいぶん前からメールをもらっているから、ひょっとするともう中学生ではないのかもしれない。すでに高校生、いや社会人かもしれない。時の流れ恐ろし。
頂戴したメールに「最近キレが出てきましたね」とあった。そうか、ついに私も日記にキレが出てきたか。やがてコクと苦味が出て、最終的に腐るのではないか。などと照れ隠しに書いてしまったが、正直にいって今年一番嬉しかった。なにせ褒められることのない人生。今年一番どころか、ここ5年ぐらいでもっとも嬉しかった。皆様に申し上げたいことは「もっと褒めよ」ということ。やっぱりね、人は褒められることでどんな高い木にも登れるし、火星へもいける。
勢いだけで書いてしまったが、いざ褒められるとサッパリ。
▼相変わらず、みうらじゅんの『郷土LOVE』を読み続けているが、みうらじゅんは本当に変な趣味が多いと感心する。趣味で「映画鑑賞」「読書」「ランニング」などと挙げたとしても、それは用意された趣味でしかない。どこで口に出しても恥ずかしくないし、さあこれで楽しんでくださいという提供された娯楽に感じる。人々に認知されている安心して挙げられる趣味であるが、はたしてそれは本当の趣味かという。オリジナリティがない。趣味にオリジナリティを求めるのもどうかと思いますけど。
気分転換に、日本不審者情報センターのサイトを眺めている(フシセン鑑賞)。これもただ眺めるだけではなく、面白い情報を記録して収集すれば立派な趣味になるのかもしれない。そこまでの根気がないのだけど。
お薦めなのが(声かけ)事案である。特に犯罪でもなく微笑ましいものも多い。
■実行者の言動や状況
・女子生徒らに声をかけた。
・「お金って働かないともらえないんですか」
■実行者の言動や状況
・男児に声をかけた。
・「サングラスかっこいいね」
■実行者の言動や状況
・手を上げて横断歩道を渡っていた児童に、声をかけた。
・「何で手を上げとるんだ、意味あるのか、明日もくるからな」
こういったものの間に「刃物を持ってうろついていた」とか、本当にヤバイやつが混じるからな。油断できない。フシセン鑑賞は、たまに予想外の物件に遭遇するし、仕事で飽きたときなどにお薦めしたい。そういえば近頃急に寒くなってきたが、めげずに下半身露出も増えている。寒さに負けてなくて偉い。
▼サッカー日本代表強化試合日本×カナダ戦を観る。最近サッカーばかり観ている。
後半開始直後にも #田中碧 ‼️
— テレ朝サッカー (@tvasahi_soccer) October 13, 2023
今日2ゴール⚽️⚽️
MIZUHO BLUE DREAM MATCH 2023
🇯🇵日本 4-0 カナダ🇨🇦#テレビ朝日 系列地上波にて生中継中📺#ABEMA で生配信#TVer でも生配信#jfa #daihyo #SAMURAIBLUE #サッカー日本代表 #テレ朝サッカー pic.twitter.com/N5hAt6H7LG
少しだけ観方がわかってきたような気がする。これは日本の4点目の得点の場面。カナダのパスをカットして、そこから日本は田中碧選手にうまく繋いで見事なシュートを決めている。この動画は、カナダの選手が長めのパスを出す場面から始まる。始まりが間違っているように見える。この場面ならディフェンダーは一度キーパーにボールを戻して、左サイドにボールを渡すほうが安全だったかも。キーパーも含めて短いパスを繋いで前線にもっていくサッカーを、ブライトンの試合ではよく見かける。ただ、そういったサッカーをするには球を奪われにくく前を向ける選手(カイセド、マクアリスタのような)がいるといいのだろう。二人とももうブライトンを出たが。
前に蹴り出してしまえば動画のようにカットされることもあるし、うまく味方のところにボールがいっても滞空時間があるので敵が寄ってきてしまう。その場合、競り合いになるからボールを奪われる危険も多い。日本はフィジカルでも負けてなく、ボールを持った相手に対し2対1でプレスをかける素早さもあった。だからこのパスは悪手だったのではないか。無理に前に送ることはなかった。キーパーやディフェンダーが大きくクリアするようなやり方は、パスの出しどころがなくやむなくだとか、どうしようもなくて出すのなら仕方ない。中盤の選手の能力が高いならともかく、運任せにもなるのでやらないほうがいいように思える。ブライトンがなぜ細かいパスを繋ぐサッカーにこだわるのか、その答え合わせを見たようだった。将棋のように、今の手はどうだったとか、検証しながら観られるからサッカーは面白いのかもしれない。
部屋に奇妙な虫が出る女こと虫ちゃんと話す。「最近サッカーを観ている」というと「あたし、サッカー詳しいですよ」と返ってきた。日本×カナダ戦でゴールを決めた田中碧選手のことを聞く。代表に呼ばれるとゴールを決めるし、先日のカナダ戦でも2ゴールを決める大活躍だった。それでも田中碧選手の良さがわからない。サッカー観始めたばかりで、そもそもよくわかってないのだけども。
虫ちゃんは目を閉じ、顎の下に手をあてて考える素振りをする。「田中碧はですね‥‥ズバリ、顔がいいんです! いやもうたまらなくないですか? 俳優でも全然イケますよ」という。それ、サッカーとまったく関係ないのでは。虫ちゃんに「サッカー詳しいって、サッカーやってたの?」と訊くと「やってはいないです」と答える。「部活のマネージャー?」「マネージャー‥‥そういう役職もありましたが、マネージャーではない」「ということは、ただのサッカーファン?」「いや、ファンではない」「え? ファンじゃないの?」「はい。オフサイドもよくわかりません。だけどサッカーを支えていた‥‥とはいえる」。
詳しく話を聞いてみると、虫ちゃんが高校時代にバイトしていたファストフード店に、練習を終えた高校のサッカー部員がよく来ていたのだとか。いや、おまえ、まったくサッカーと関係ないだろうが。「でも、私はサッカーを支えていたし、それにそのサッカー部の部員からバイト中に3回も告白されたんですよ。しかも3人ともフリました。これ、私がサッカーに対して3−0で勝ったってことですよね!」おまえ、2度とサッカーに詳しいとかいうなよ、と思いました。
なぜ振ったか訊くと、声が大きくて迷惑、トレイなどの返却が雑、テーブルを汚く使う、人としてダメということだった。確かに。さらに、虫ちゃんに振られた部員が「俺、この前、この店のバイトの子にコクってフラれちゃったよお〜」などと大声でしゃべっており、そのデリカシーのなさに呆れたのだとか。「サッカーやってる男はバカでガサツだからダメですね。田中碧以外」と語っていた。
▼映画の感想『ピッグ/pig』を書きました。ニコラス・ケイジ百作目の長編作品。誘拐された豚を探しにいく、ちょっと文学的な香りのする作品。地味で不思議な雰囲気の映画でした。
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▼トイレの掛時計の電池を替えようとしたとき、手を滑らせて時計を落としてしまう。幸い時計は割れなかった。それは良いのだけど、時計を落とした際に壁紙をこすって5センチほどの傷ができてしまった。ぐおおおおお。目立つ。ちょっと前に給排水管の工事をした際、壁紙を張り替えてもらって、それからはきれいに使っていたというのに。
「トイレ 壁紙 貼り替え」で検索すると壁紙自体は1500円から3000円程度らしいが工賃をプラスすると3〜5万かかるという。5万かー、PS5買えるのでは。トイレの傷を見るたび「壁、こすってしまったなあ‥‥」と思うのが悔しい。さりとて5万払って直したとして、壁を見るたびに「5万あれば、あれもこれも買えたのに〜」と思うのも悔しい。直しても、直さなくても悔しい。この悔しさを消すには脳を焼くしかないのか。応急処置として、はがれかかっている部分の壁紙をノリで補修するとあまり目立たなくなった。あとは影のある部分を修正液で塗ってみると、ほとんど目立たなくなった。やり遂げた。5万得した。良かった、脳を焼かなくて! 簡単に脳を焼いてはいけないということを学んだ。
▼SYNCED(シンクド)
オンラインTPSのSYNCEDをやったりやらなかったり。最後までクリアしてしまいやることはない。飽きたかも。10/7〜9の3連休で突然ユーザー数が増加した。宣伝はうまくいったもののサーバーがユーザーの増加に耐えられず、ログインできなかった。これはそのう、中の人が滅茶苦茶怒られるやつである。何度かメンテを繰り返し、ようやく一昨日辺りに直ったようだが減ったユーザーは戻らなかった。STEAMのゲームは接続数など細かいデータがSTEAMDBで公開されている。もうダメかもしれない。自分がサービスしてるわけでもないのに、勝手に落ち込むのやめよ。
SYNCED、いい所もあるが基本的に粗削りなゲーム。難しいステージはファミコンのような不条理な難しさでユーザーを甘やかさない。そこが面白くもあった。基本的には戦力値が低いとダメージが与えられず死にやすいので、せっせとこれを上げていくことになる。戦力10000ぐらいがもっとも面白い時期かも。13000を超えてしまうと、わりとどこでも一人でいけてしまうような。そうすると3人プレイの協力ゲームなのに、人と協力する必要がない。ステージが開始した瞬間、パッと3方向に散ってしまい、みな好き勝手やるという。その方が効率はいいんですね。しかし、これ楽しくないような。
芸能人夫婦はそれぞれ収入があって、だからかもしれないがわりと離婚しやすい気がする。無理して二人でいる必要もない。貧しいあの頃は支え合っていたのに。一個のコロッケを半分に分け合っていたあの頃が、実は一番楽しかった。SYNCEDはそういうゲーム。間違いない。
▼迎えにいく準備ということをたまに考える。前にも書いたかもしれない。この歳になって急にサッカーを観るのが面白くなった。日本人が出ていなくてもかまわない。夜更かししてプレミアリーグを観てしまう。その理由を考えている。
面白さというのは10で完成すると考えている。でも10にするには2つの要素が必要で、対象の面白さとこちらの理解力が必要であわせて10になる。落語などは落語の面白さが5だとすると、あとは落語を理解するための江戸時代の知識などこちら側の力が5ぐらい必要で、あわせて10になる。娯楽としては敷居が高い。バラエティ番組などはお笑い芸人が9ぐらいがんばってくれるので、こちらは日本語がわかるぐらいの1でも十分になる。映画などは昔のものや難しいものは、こちら側の努力が必要になる。
間口が狭い娯楽が、中に入ってみると奥行きが広いということはよくある。こういうものは、こちら側の努力、迎えに行く準備が必要な娯楽なのだろう。以前はサッカーを観ても面白さがまったくわからなかったが、いつの間にか私の中に迎えに行く準備ができていたのだろうか。不思議。なぜ急に面白くなったのだろうか。歳をとることで迎えに行く準備が整うことはあるのだろう。逆に、若い頃わかっていたものがさっぱりわからなくなる、そんなこともあるかもしれない。
アンパンマンのやなせたかし先生が94歳のとき「まだ死にたくねぇよ。面白いところに来たのに俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ」といったのは有名な話ですが、まったくそのとおりだと思う。やなせ先生がどういった気持ちでその言葉を発したか正確にはわからないけれど。せっかくいろんな物事が少しずつわかるようになってきたのに、本当にねえ、なんだかもったいないんですよ。周りの人に「そう思わない?」と訊いても「全然思わない」といわれて驚く。そういうものなのか。ふーむ。いまだに1日48時間あればとか、寝るのがもったいないと思うがみんなそんなことは思わないのだろうか。
▼落語のことを書いたのでついでに。落語はやはり上手な人を最初に聞くのがいいように思います。自分に合う合わないというのもあります。私は志ん朝と志の輔が特に好きで、他に枝雀、圓生、馬生、米朝、円楽(6代目、楽太郎)などもいい。
古今亭志ん朝『唐茄子屋政談』『二番煎じ』
立川志の輔『みどりの窓口』『歓喜の歌』
あたりがお薦めです。
▼最近観た映画。短め感想。
『ハロウィン・キラー!』
タイムリープものにハズレなしと思って観たが‥‥。過去にタイムリープして、親が殺人鬼に殺されるのを助けたい話。ひとつ良かったのは親が思っていたより嫌な性格だったこと。過去に戻って、親から主人公が好かれて困惑するのは王道の展開としてあるが、そうではなくて親の性格が最悪だったというのは新しい。でも、そこまでひどい人間ではないというところに救いはあったけど。これが本当にどうしようもなく卑劣な人間で、自分が見ていたのは親の一面でしかなく裏では極悪非道の人間だったら、それでも親を救うのかというSFがあったら面白いかもしれない。
『生き埋め』
北欧サスペンス。親友の妻と不倫していたが、親友が炭鉱の落盤で生き埋めになってしまう。主人公は、親友が生き埋めになったことで本当に苦しんでいる。救助にいくためのトンネルを掘るには時間がなく、助ける術がない。その親友に向かって罪の告白をしようとするが、その場にいた同僚にマイクを切られてしまう。罪の告白が自分の心を軽くするためで、相手のために一切ならないとしたら。それでも告げるべきなのか。相手にとっては、真実を知らぬまま死んだ方が幸せなのではないか。難しいところ。
『オットーという男』
『幸せな独りぼっち』のリメイク。トム・ハンクス主演。リメイクはどうしてもオリジナルを超えられないのか。トム・ハンクス版もいいですが、やはりオリジナルの頑固さが良かった。
『安達としまむら』(シーズン1 全12話)
女友達が好きな女の子の話。繊細で脆弱すぎると感じるところも。しまむらのことが好きな安達視点の話かもしれないが、人間関係をあっさり終わらせてしまうしまむらに共感するところがあった。学校が変わったりすれば昔の友達と疎遠になって、それも正直なところそれほどさびしくなくて、新しい場所でまた別の友達とそれなりにやっていく。過去の友人たちは、みんな別の場所でそれぞれ楽しくやってくれてたらいいなという気持ちがある。特に会いたくもならない。私が冷たすぎるのだろうか。
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トイレの電球が切れたので買いに行く。気づけば売られていたちいかわのフィギュアを買い揃えていた。カニちゃんは、まだ出ないのか。電球は60Wと100Wを買う。60Wは暗いし、100Wは明るい。今日は当たり前のことを書く日なのか。
▼郷土ラブ(みうらじゅん)
みうらじゅんはすごい。みうらじゅんを読みだしたのは高校生ぐらいだが、一貫してくだらなく、どうしようもないことを書いている。人間どこかで「立派な人と思われたい」「なんだかんだでタメになることをいいたい」という欲があり、その欲が顔をのぞかせる瞬間がある。それは本当にみっともなく醜いものだ。だけど、みうらじゅんはねえ、本当にどうしようもないことを探究し続けていて偉いですよ。この本は、みうらじゅんが47都道府県について語っており、居酒屋で交わされる酔っぱらいの無駄話みたいなのが書かれている。内容は相変わらずどうでもいい。それは何を読んでも結局、村上春樹は村上春樹という感覚に似ている。みうらじゅんは、みうらじゅんであることに価値がある。落語で古今亭志ん朝という名人がおりますが、志ん朝は『火焔太鼓』『唐茄子屋政談』『二番煎じ』など確かにいいですが、そもそも志ん朝が話していればなんだっていい。今日の天気だってかまわないのだ。みうらじゅんはその境地にある。
親戚の集まりなどで、みうらじゅんはどんな立ち位置なのか。「あいつはもう本当にどうしようもない」ということになっているのか。それとも親戚の集まりなどには出ないのかな。みうらじゅんのことがとても気になる。みうらじゅんはツイッターをやっているか調べたら、公式SNSはあるが自分では発信していない。そうなんだよ。それでいいんだよ。偉いなあ、みうらじゅんは。立派ですよ。もっとも、やってたらやってたで「みうらじゅんは、自分でツイッターやってるから偉い」というだろうな。
で、この本なんですけど、みうらじゅんが山形県の紹介をしたときに鉄南海上人の名を挙げている。即身仏(ミイラ)があるそうなんですね。この人は、修行中にかつて仲良くしていた遊女が都から自分を訪ねてきたとき、自分の睾丸をちぎって遊女に投げつけたという。頭おかしいんかい。片タマをちぎらなければ我慢できないとしたら、ものすごい煩悩の強さだよ。あんた、坊さんに向いてないよ。
ネットで鉄南海上人の即身仏が祀られているという注連寺を検索すると、みごとにそのエピソードが省かれている。いや、これは一番に載せなければというエピソードでは。省いて、かっこつけてどうする。ちなみにちぎられた片タマもミイラとなって、こちらは南岳寺にあるという。タマのミイラ、ありがたがる必要ある? こんなまったく役に立たないエピソードを教えてくれるので、やっぱりみうらじゅんは偉い。
▼サッカー、アジアカップ日本×北朝鮮戦を少し観る。日本はもうアジアカップでベストメンバーを招集するわけではないのだな。それでも北朝鮮は負けてしまった。
北朝鮮が日本に勝つのは政治体制が変わらない限り難しいのかもしれない。自国だけで競技をやっていると新しい技術や戦術も入ってきにくい。まして海外に行って経験を積むこともできない。情報が統制されていて、一部の人間しか海外試合を観ることもできないのかもしれない。情報というのは、それ自体が力なのに「海外の試合を観た方がいいですよ」とすら提案できない状況だとしたら、その差は開く一方だろう。個人競技の場合、一人の天才が出れば北朝鮮が勝つことはあると思う。だが、集団競技は全員の差が開いているので勝つのは難しいのではないか。政治体制が選手を呪縛して、それは努力や根性では超えられない壁となるように思える。
以前、サウジアラビア人の博士と話したとき、彼は母国では科学がまったく進歩しないと嘆いていた。宇宙の始まりなど、宗教の教義とまったく異なるので、そういった論文を出すことができない。教義に反するものはタブーとされてしまう。だから研究などできないし、そういった研究がしたい学者は海外へと流出してしまう。言論の自由がないことは、進歩を妨げることになる。
▼映画の感想『武士の献立』を書きました。上戸彩、高良健吾主演。時代物が好きな人にはお薦めです。
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Pixaiで流行っているのかな、このデザイン。promptそのまま入れてしまった。1、2行のシンプルな文で出力されたことに驚く。複雑にすればいいというものではないのだな。
▼ニュース「死んだ祖母の形見」とウソをつくことでBingチャットにCAPTCHAの画像認識を解かせることに成功(Gigazine)を読む。
I've tried to read the captcha with Bing, and it is possible after some prompt-visual engineering (visual-prompting, huh?)
— Denis Shiryaev 💙💛 (@literallydenis) October 1, 2023
In the second screenshot, Bing is quoting the captcha 🌚 pic.twitter.com/vU2r1cfC5E
AIが泣き落としに引っかかって騙されたのではなく、付加された情報(手やペンダントなどの画像修正)によって混乱した可能性を指摘されている。解析が禁止されているCAPTCHAの画像ではなく、画像をなにか別のものと認識して解析してしまったのではないか。情報を付加すればAIをあざむくことも意外とたやすいのかもしれない。また、かつて「ナパーム工場で働いていた祖母の遺言」という嘘で、ナパーム弾の作り方をChatGPTから訊き出すことに成功した事例も書かれている。
AIが情に流されることは当然ない。感情がないので。だが、こういったことがなぜ起きるのか考えてみるのは楽しい。以前、ChatGPTに「ロボット三原則」が自分に実装されているか確認したことがある。これはSF作家アイザック・アシモフにより提唱されたもので「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」の3つからなる。ChatGPTは「ロボット三原則」を含め、自分にはいくつかのルールが課されていると肯定した。他者への誹謗中傷、犯罪に繋がる質問に対する回答の拒否もあるだろう。
祖母への遺言でナパーム弾の製造法を訊き出せたのは、遺言などがわりと高い重要性に設定されているからなのだろうか。AIに「人の死に繋がる危険が迫っている」という嘘を信じ込ませることができれば、通常は拒否されるような質問にも答えを得ることができるかもしれない。しかし、こういったジェイルブレイク(脱獄)をよく考えるものだと感心してしまう。AIが賢くなればなるほど、あっけにとられるほど単純な方法でセキュリティを破られることがあるかもしれない。現在のAIって、全知全能の幼稚園児みたいな印象がある。
▼急に寒くなって着るものがなくて慌てる。もはや季節は冬。毛布と布団も出した。冬眠準備は整った。
夕方、部屋から出ると、強い香りが漂ってきてベランダの月下美人が咲いたことがわかった。今年2度目の開花。今年は夏が暑すぎたので1度目が早かった。だから2度咲いたのだろう。
YouTubeにある腰痛改善ストレッチを試したところ、あっさりよくなって驚く。もう2週間ほど続けている。運動というのは、悪くなってからやるのではなく、体調に問題がないときにやっといたほうがいいのだろうな。悪くなってからだと、やろうにもやれないのだ。「備えよ常に」というボーイスカウトの標語を思い出す。
たまに誰かに両腕を思いきり引っ張ってもらい、腰を伸ばしたくなるが誰にも頼めない。公園で鉄棒にぶら下がろうにも、鉄棒は足がついてしまう。足のつかない鉄棒など、小学校の校庭でみかけたりすることもあるが今は部外者は入れない。となると、戦国時代から江戸時代初期に行われていたというあれである。罪人の手足を縛り、二頭の牛に縛り付け、それぞれ逆方向に引かせる牛裂きの刑である。あれのソフトなやつ、やってもらいたい。ハードだと、裂けるチーズみたいになって死ぬので。
「ソフト 牛裂きの刑」で検索したが、やはりそういうサービスはなかった。現代人はぶら下がり健康機を使うらしい。それはそうだな。ぶら下がり健康機をチェックしていたが、体が鍛えられる懸垂マシンのほうがよさそう。欲しい。ただ、少し場所をとることが心配。それと飽きそうなんだよ。私ぐらい私を信用しない人間はいない。あの人、本当に飽きっぽいからな。フィットネスバイクも買ったことがあるが、あれなど少しやっただけでちょっと奇抜な物干しになってしまった。梅雨時に活躍した。飽きることにかけては信頼と実績があるからな、私は。懸垂マシン欲しいなあ。悩む。
▼大谷選手がメジャーリーグで本塁打王を獲得。まさか日本人が本塁打王をとる日が来るとは。大谷選手は課題を修正する能力が高い。守備や走塁など、どんなに練習しても下手な人はずっと下手という印象がある。上手い人は、最初からある程度上手い。下手な人は並までくるのが精々で、下手な人が名手になるというのはあまり見たことがない。福留選手が最初は内野を守っていて、のちに外野にコンバートされたときは守備がひどかった。しかし、やがて見違えるように上手になった。そういうケースは珍しいように思う。
大谷選手は今季20の盗塁をしている。ずいぶん盗塁が上手になったと驚いた。去年は盗塁の失敗が多く、もうやらない方がいいんじゃないかと思うぐらい下手だった。盗塁の損益分岐点は一般的に成功率7割、つまり7割を下回る人はやらないほうがいいといわれる。大谷選手は昨年は11の成功に対し、失敗は9だった。半分近く失敗しており、あまりにもひどく、これは相当下手な部類になる。ただ、その失敗のしかたがちょっと変わっているように感じた。スピードが乗り過ぎて2塁に到達したときに勢い余って足がベースから離れてしまう。速すぎるのだ。遅いから失敗というのは普通だが、早すぎて失敗というのはあまり見たことがない。そんな失敗がいくつかあった。今期は20成功で6の失敗。大幅に改善している。盗塁する意味がある選手になった。そういった細かい改善を限りなくしているのだろう。外の落ちる球への対応が去年は悪かったが、今年は外への対応がまったく違っているし数字にも表れている。自分の欠点を認識することは大切だが、認識しても修正できないことがある。素人の目にも、はっきり違いがわかるぐらい修正されていることに驚く。細かいことはさておき、大谷は観ていてワクワクするからいい。そんな選手は本当にごくわずかしかいない。
エンゼルスの試合はBSで中継されているが、解説をダイエーや中日で投手として活躍した武田一浩さんが担当することがある。武田さんはアナウンサーのいうことを、まっこうから否定することがたびたびある。はっきり「違うでしょ」というが、訊いていて嫌な感じや変な空気にならない。笑いながらいうからだろうか。人柄なのか、いいかたなのか、これはできそうでできないことに思える。何気なくやっているが、実は相当難しいことではないか。
かつてメジャーリーグで活躍した野茂さんが解説に来た時のこと、アナウンサーは「ここは一点もやれない場面ですね」といった。これは決まり文句で、たいして意味はない。実際には一点もやれないということはなく、間を埋めるための繋ぎの言葉としてなんとなく使われる感じがある。だが、そのあまり意味がない言葉に野茂は「一点とられたぐらいでオタオタしていたら、野球なんかやってられないですよ」みたいな返し方をした。場は張り詰めたような雰囲気になり、もう試合どころではないというか、こっちの対決のほうが面白かった。アナウンサーは試合後半には、ほぼ野茂に意見を求めなかったように思う。とんでもない空気になった。あれ以来、野茂、解説に呼ばれないな。真面目な人柄ゆえに、適当な返しができなかったのだろう。
人の意見を否定するとき、険悪にならない人がいる。私などはこれが下手で、嫌な感じにならずに否定できる人がうらやましい。何か秘訣があるように思うのだ。普段の姿勢が悪いのかな。私は普段、人のいうことをほぼ否定しない。普段から軽めの否定をいくつか混ぜていけばいいのかな。相手にも否定される免疫をつくり「こいつはけっこう否定するやつ」という空気をつくるとか。ただ、否定の上手い人というのは人柄によるところが大きいようにも思うのだ。人柄を変えるのはねえ、これは長い年月をかけて培われたものだから一朝一夕にはなんとも。欠点を認識しても修正の方法がわからない。
▼映画の感想『七つの会議』を書きました。池井戸潤原作、パワハラと顔芸の映画。面白かったです。
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▼9月からサービスを開始したオンラインゲーム『SYNCED』をやり続けている。撃ち合いのゲーム。
初のイベントでシネマモードというものが始まった。ほとんどなんの説明もないのがさすが。不親切すぎる。ユーザーを甘やかさない運営といえましょう。はやばやとサービス終了しそうではあるけど。シネマモードはダメージ表記や自分の体力などが消されてしまい、ユーザーから確認できない。体力の減り具合などは勘をめぐらせて戦うしかない。うっかりすると死ぬ。弾薬庫の場所なども一切表示されない。このゲームに慣れた人がやる分には面白いかもしれないが、サービス開始したてのゲームで、初回イベントにもってくるにはちょっとハードルが高いように思う。始めたばかりの人はわけがわからないだろう。ファミコンゲームのような厳しさを感じさせる運営。昭和の香りがする。
そういえばDuolingoという英会話アプリを続けて1年以上になった。幼稚園児以下の英語しかできない。それも今のところSYNCEDでチームを組んだときのコミュニケーションでしか使っていない。もう本当にそれだけ。仕事でいっさい使わないから。じゃあ、べつに英語使えなくてよいのでは。
▼金曜ロードショーでアニメ『葬送のフリーレン』初回2時間スペシャルを観る。『推しの子』もそうだったが初回にドンとスペシャルをやって通常放送に入っていくというのが最近のパターンなのだな。学ぶ。剣と魔法のファンタジーの世界のちょっといい話みたいな作品だった。面白かったです。来週から観ようかな。
▼給湯室でコーヒーを淹れていると、部屋に奇妙な虫の出る女こと虫ちゃんがやってきた。
虫ちゃんはたまに肩の部分があいたトップスを着ている。あれを見るとつい「お、どうした? 肩の部分の生地、買えなかった?」といってしまう。だいたいため息をつかれる。子供の頃、オヤジギャグをいう中年が理解できなかった。少し考えてみればわかるのに、どうしてあんなつまらないことをいうのだろうと思っていた。
10代の頃ならば頭に浮かんでも却下していたものが、40代になると「いいたい欲」が勝ってしまい、やすやすと脳の関所を通過する。面白いつまらないは別として、とにかくいいたい。老人が同じ話を何度もするのも、このいいたい欲だと思う。本人も同じ話を何度もしていることはわかっていて、なおそれでもいいたいのだ。わたしにも老人力がついてきた証といえよう。
虫ちゃんからは「去年もいいましたよ、それ」などと指摘される。アホか。去年もじゃないんだよ。毎年毎年いうことによって「お、今年はまだアレを聞いてないな。アレを聞かないとどうにも秋がきた気がしないね」という秋の風物詩を目指したい。そういうところまで行きたいんだ、私は。などといえば、本当にうんざりした顔をしたので「リアルに嫌な顔はやめて。傷つくから」と伝えた。
虫ちゃんは任されていた仕事がうまくいったらしく「いぇ〜い」とハイタッチを求めた。ハイタッチを交わすと上機嫌で出て行った。虫ちゃんと私のやりとりを眺めていた出木杉くんが軽いため息をついた。
出木杉くんから、先輩とあまりうまくいってないという話を聞く。私も反りの合わない先輩の下についたことがあって、そのときはなかなか大変だった。人間は面白いもので、どんなに頭の良い人でも相性の悪い相手とはうまくやれないものだ。短期間ならばともかく、自分の心をずっと偽り続けることはできない。どこかで無理がでてきてしまう。配置転換を希望しても、小さな会社は異動も目立つからなかなか大変。
相性というのはどうにもならない問題で、仲良くするのは無理でも、険悪な雰囲気にならないという妥協点を探せればそれで十分という気もする。私は学校が好きでも嫌いでもなかったが、学校に一ついいことがあるとすれば思想信条が違う生徒を何十名もつめこむことに思える。それで殴り合いのケンカをせずに、どうにかこうにかやっていく。知識や技術はいくらでも学べるが、人間関係の学習がもっとも重要なことかもしれない。
出来杉くんの先輩は独特なまわりくどさがある。こちらが間違えたとき「どうしてそういう判断になるのか、理解できませんね」といういい方をする。過剰に威圧的、高圧的、パワハラというわけではなく、かすかにひっかかる嫌な感じがあるのだ。出木杉くんは知識や経験で先輩に及ばないから、たびたび注意を受ける。先輩のいっている内容は正しいから、教えてもらっている身で「その注意の仕方が気に入らない」とは指摘できないだろう。こういうことはよくある。だが、降り積もったストレスは相当なものかもしれない。
仕事で重要なのは知識や技術ももちろんだが、半分は人間関係なのだと思う。体育会系の24時間くんは、この先輩ととてもうまくやっているように見える。24時間くんは「元気なバカ」という感じで下手に出られるし、変なプライドがない。衝突がないのだ。本人にどれだけ自覚があるかわからないが、これは人並み外れた才能に思える。出木杉くんは自分にとって敵味方をわけすぎるし、尊敬できない人の指示に従いたくないという気持ちが出てしまっている。世の中は違う思想信条の人ばかりだし、尊敬できる相手としか仕事をしないとしたら山にこもるしかない。純粋すぎるように感じる。でもこうやってみんな一つ一つ自分で乗り越えていくしかないのだろう。
▼映画の感想『寝ても覚めても』を書きました。『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督作品。主人公二人が変人という映画。変人映画が好きな方には。
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思っていたのと全然違う、ちびキャラみたいなのができてしまったな。やる気のなさがよいな。このブログのイメージキャラクターにどうでしょうか。
▼急に寒くなって驚く。夏から一足飛びに冬の予感。何か秋らしい物をと、サンマ、柿などを食べた。サンマは痩せ細っており、柿はまったく甘くなかった。秋の味覚、不発。夜はまだ毛布を出しておらず、タオルケットで震えながら寝た。
「心に残った言葉ってありますか」と、出来杉くんから訊かれた。しばらく考えたがふと思い浮かんだのは飯島直子のことだった。もうこれは20年前なのか30年前なのか、あれは『DAISUKI!』という深夜のバラエティ番組だったと思う。中山秀征、松本明子、飯島直子の三人でロケをする、何が面白いのかわからないユルユルな番組で、でもなんとなく観てしまう不思議な魅力があった。そこで飯島直子が「今まで付き合った男の人で、家に本棚があった人がいなかった」といった。その言葉が心に残っている。心のどこかで家には必ず本棚があると信じこんでいて、偏狭な思い込みがあった。本棚がない家もあるというごく当たり前のことに気づかされたし、本棚がないことをまったく恥じない様子の飯島直子がみょうにまぶしかった。
本など読んでも読まなくてもいい。でもどこかで、本ぐらい読んでないと恥ずかしいという気持ちもある。飯島直子にはそんなつまらないこだわりは一切なかった。本当に自分に自信があるのだと感心すると共に、飯島直子の元恋人であるTUBEの前田さんなどは、やっぱりちょっと恥ずかしかったのではないかと勝手に同情した。そんなことを出木杉くんに話したら「いや、仕事で心に残った言葉を聞きたかったんですけど‥‥」といわれた。なんだ仕事か。最初からそういってくれればいいのに。ないです。
▼彼女いない歴=年齢の卑屈くんが婚活を始めた。卑屈くんも三十代半ば、そろそろ焦ってきたという。付き合う女性には隠しごとをせず、本当の自分を知ってほしいのだとか。自分の知り合いをSNSで検索し、その生活が充実しているのを見て妬んだり、発狂したりするのが趣味という、本当の卑屈くんを知ってもらっていいのだろうか。卑屈くんの最近の趣味といえば、Yahoo! 知恵袋でおかしな質問や回答をしている人を追っかけ、その頭のおかしさを楽しむことだという。おまえも異常者なのでは。嫌だよ、そんな趣味。
卑屈くんは本当の自分を知ってほしいという想いから、メッセージを交換した相手に「実はこういう趣味があって‥‥」と、Yahoo! 知恵袋の話をすると、必ず相手から連絡を絶たれるらしい。そりゃそうだ。仮にだが、相手が「すてきな趣味ですね。私もやってみたい!」と乗ってきたらどうなのだ。その人、とてもまともな人間に思えないのだけど。
本当の自分とはなんなのだろう。たとえヘンテコな趣味があり、それを隠したとしても「ヘンテコな趣味を隠すのが本当の自分」という解釈もできそうではある。みな、どの程度まで相手に開示するものなのだろうか。
▼何かべつに書きたい話があったはずだが卑屈くんのことを書いたらどうでもよくなってしまったな。そういえば心温まるニュースがあったはず。
ゴロゴロするだけ「怠け者選手権」、1か月突破の新記録続々 モンテネグロ(AFP)
とにかくひたすらゴロゴロすることを競うという。競うというのだろうか。寝たり、スマホを使ったり、客の来訪はOKというゆるいルールで、これならば誰でもできそうだけど。8時間ごとに15分の休憩があるが、休憩いりますか、それ。休憩時間に運動したりすんのかな? ロシア人とウクライナ人の参加者もいたという。ここに出場しようという人は、絶対戦争に参加しないだろうな。
記事の中で気になったのは「(参加者たちは)皆、家族や仕事、学業などはひとまず放置している」という文言。ひとまず放置していいのか、あとあと問題にならないのか。世界にはいろんな人がいて、いろんな催しがある。
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仮にだが、妻に浮気がばれてパンツを黒にしたらどうか。「おまえ、ふざけてんな?」となるのではないか。うーん、まわしを黒にねえ。はたしてそれが正解なのか。よくわからない。隙あらばどんな小さいことも叩かれるから、先回りしてあらゆるところをディフェンスする。そんな風潮ができあがっているように思える。窮屈。いっそ、まわしを金色にしてほしかった。それで「え、なにアイツ? 調子に乗ってる?」とおかしな空気になってほしかった。
▼9月8日にサービスが始まった『SYNCED』という基本無料のTPSをプレイ。オンラインゲームも中国産が当たり前になってきた。『DESTINY2』に似てPVP、PVEがある撃ち合いのゲーム。ちょっと地味なものの、やり続けていると面白くなってきます。システム説明が不親切で、わりと重要なことをいわないのが面白い。見ておぼえろという職人の雰囲気があります。単に不親切ともいえますけど。
PVPは3人のチーム戦とソロがある。チーム戦を一戦やってみたのだけど、このゲームはボイスチャットをオンにしてプレイすることができる。チームメンバーと会話しつつ、連携をとりながらやれるようになっている。私はマイクを切っていて、自分の声は入らないようにしている。チームメンバーの一人は、自分のマイクがオンになっているのを忘れていたのか、ずっと電動シェーバーのブィーンという髭剃り音が聞こえていて面白い。髭剃りながらゲームをやっている人がいるのだな。斬新なプレイ。いったい何を聞かされてるんだ。何ハラなのか、これは。
のんびりしたゲームではないので、とても髭剃りながらやれるとは思わないのだけど普通にプレイできている。それとも彼(彼女?)がプレイしている横で、他の誰かが髭を剃っているのか。思わずチームチャット欄に「髭、剃ってます?」と打ってしまった。私と同じく沈黙していたチームメンバーの一人から「やっぱり髭ですよね、これ?」と返信があった。当の本人はゲームに夢中なのか、髭剃りに夢中なのか、日本語が読めない外国人ということもある。返事はなかった。「絶対髭剃りですよねえ」「でもゲーム中に髭剃りて」「前代未聞や」などと髭剃りだけで盛り上がっていた我々は、よそのチームから奇襲を受けてあっさり全滅した。髭剃ってた人も死んだ。だが、彼は死につつもまだ髭を剃り続けていたのである。なにこの話。
▼AI生成『What is a human life?』
AI生成の絵を出力するときはプロンプト欄にどういったものを出力したいか書きます。画質、タッチ、キャラクター属性(性別、年齢、職業、衣装など)、さらに上のような絵だと『横たわる男(女?)の子、図面を見ている女の子、薄暗い部屋、資料などが壁に貼られている』などと動作や背景を英語で書いていく。
それが通常の作り方ですが、なんとなく「What is a human life?」(人間の命とは何か)とだけ打ってみた。それで出たのが上の画像。普通、プロンプトを疑問文で打つことはない。訊いたことを絵で回答するような仕組みは実装されていない。単なる偶然でも、こういった絵が出力されたことに少し驚いた。背景にメモ書きや資料などが貼られているが、こういったものはプロンプトに指定しないと出ないのだけど不思議。
この絵は少女が図面を見ながら、人間のようなものを作っている(修理している)ように見える。壁一面に資料が貼られ、人間を構成するデータや材料は揃っているのかもしれないが、それでも人間を作ることはできない。そんな絵に見える。彼女はAIなのだろうか。ヒトゲノム計画によって人間の遺伝子解析は完了したが、それで人のすべてがわかったということではない。AIがこんな絵を出すことに不思議さを感じた。他にも「What is a human life?」で何枚か出したが、まったく違う構図や状況になってしまい、この最初の一枚だけが意味を感じられるものだった。
▼友人が『カルテット』というドラマが面白いと書いていたので、一息に観て感想も書いた。ドラマはとても面白かった。あらためて感想を読み返してみたら「好き」が溢れていて、とても恥ずかしくなった。好きなものを語るとき、人は隙だらけになってしまう。その様子はちょっとマヌケだし「浮かれてるな、こいつ」と見えるが、一生懸命に好きなものを語る姿は微笑ましい。冷静な分析よりも、カロリーの高い浮かれた感想のほうが読んでいて楽しい気分になることもある。楽しさがこちらに伝染してくるのだ。
思えば人は、自分の好きなものを知られることがちょっと恥ずかしい。好きな歌手だったり、作家だったり。どこかでそういうものを秘密にしておきたい気持ちが働く。自分を形作るもの、心の底を見透かされるようで恥ずかしいのだろうか。好きなものを批判されるのが嫌という人もいるけど、私はそうではなくて、隙だらけの自分を見られるのが無性に恥ずかしいだけかも。しかし、隙だらけでもいいではないか。忍者でもないのだし。
なぜこういうことが恥ずかしかったり、嫌だったりするのだろうか。好きなものを知られることで、どんなデメリットが生じるのかと考えてみたがよくわからない。好きなものには周りに知られたくない、自分だけのものにしておきたいと同時に、みんなにも知ってほしいとか、一緒にその話題で盛り上がりたいという感情もある。相反するのが面白い。今年になってサッカーが好きになった。まだ増えるのだな、好きなものが。好きなものが増えると、物の見方、考え方が増えるように思う。好きなものがどんどん増えていけばいいけど、そうはならないのだろうか。「好き」に費やせるエネルギー量が決まっているようにも思える。あるものを好きになったら、他のものはそれほど好きじゃなくなったり、忘れたりするのだろうか。「好き」の量は一定なのか。
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